「さて、それじゃあ、今後の方針について話し合いましょう」

そう言うとななこっちは誰のものとも分からぬ座席に腰掛け、その後ろの席に俺も座るよう顎で示す。え、っと、まさかこの教室で、さっき俺がカミングアウトした、その、デリケートな話題について話そうとでもいうのか、この人は!「ちょっと、せめてどっかの喫茶店に入るとかさあ…」そう提案する俺を見た彼女の目は、とことんあきれていた。「なに言ってるのよ、涼太…喫茶店だなんて、誰が出入りするか分からないような場所で話すなんて、それこそどうぞ聞いてくださいって言ってるようなものじゃない」それはこの教室でも同じじゃないスかねえ、とは思ったが、どう言っても彼女が折れる気配はなさそうなので、仕方なく、促されるまま腰掛けた。「まあ、万が一誰かが来てしまったとしても、」カタン、不意の高いそれは、彼女が腰を持ち上げた際につられて浮いた椅子が床へ落ちた音である。こんなこと、前にもあったような、そう振り返りながら、目と鼻の先で笑う彼女を見ていた。「こんなところを見たら、逃げちゃうんじゃない?余計なことなんて頭から放り投げて、ね?」…全く、自分の顔をうまく生かす人だ。確かに、こんな人気のない教室で、いかがわしい体制をとっている男女、そのうえそれが俺と彼女であるのならば、たとえそれが男だろうが女だろうが腰を抜かすだろうけど。

「はいはい、分かったっスよ!そんで、方針って言ってたけど、ななこっちには何か案でもあるんスか?」

まあ、ないだろうな。聞いておいてなんだが、期待はしていない。何度も言うように、彼女は俺と同じく、恵まれた容姿を持って生まれた。つまり、相手からの好意なんて努力せずともひけた。言い換えてみせれば、俺たちは相手の気を意図的にひくテクニックを持ち合わせていないのだ。席に座りなおした彼女はしばらく低い声でうなり、「ちっとも思いつかないのよね、それが」お手上げといったように苦く笑って俺を見た。だよなあ、同性ってだけでも厄介なのに、そのうえあの、恋愛ごとに興味があるとはとても思えないような絶対零度の黒子っちが相手というのだから。「というわけで、第一歩は身辺調査よね」一番手っ取り早いのは、わたしが黒子君と直接接触して、あれこれ聞く方法なのだけど、それじゃあ彼、わたしに惚れちゃうものね?なんて、きれいに笑いながらさらりと言ってのけるものだから、さすがに俺も顔がひきつったね。

「ということで、わたしは黒子君について周辺に詰め寄ってみるわね。得た情報はどんな些細なことでも逐一報告してあげるから、安心するように」
「…頼もしいことこのうえないっスわ、マジで」
「……うーん、本当はね、こんなことするの初めてだから、うまくできるか分からないのだけど、」

頑張ってみるよ、彼女はそう言い、右手で作った拳をもたげる、ベタなポーズをしてみせた。そこでふつと沸いた疑問は、今思えばこの席に着く前から持っておくべきものだったのだけれど、俺もやっぱり焦ってたんだなあ、なんて一人苦く笑う。彼女の名前を呼べば、不思議そうに首をかしげた。「ねえ、どうして俺に、そこまでよくしてくれるんスか?」まさかそこらの女のように肉体的な見返りを要求しているとは思えないけれど、だからこそ、予測のつかないそれは恐ろしいものがあった。きょとんとした様子の彼女が次に口を開いたとき、どんな爆弾を放ってくるものか、ごくりと喉が鳴るのが分かった。

「どうしてって、ねえ…友達だから、だけど?」
「…はあ、ともだち」
「うん、友達の幸せを願うのは当然のこと、じゃないの?まさかわたし、また違う?」
「違わない、スけど」
「うん?」
「今どきなかなかないっすよね、そんなクサい信念」

そうだ、彼女はこういうベクトルでおかしいのだった。いらない心配にも程がある。よく分かってはいない様子だったが、なんとなく馬鹿にされていることだけは勘付いたのだろう、彼女は拗ねたように眉をゆがめる。皺のよった眉間を、「似合わないっスよ、その顔」そう小突くと、今度は頬が膨れた。面白い人だ。「ねえ、ななこっちにもしも、俺みたいに好きな人ができたら、ちゃんと相談するんスよ?」俺も、誰かさんのクサい信念にのせられることにしたから、そう続けるはずだった言葉は、あの予行演習のようにぐっと近づいた彼女によって、飲み込まれた。廊下から、誰かが歩くぱたぱたという、軽い音が聞こえる。ちょうどこの教室まで届いたそれは、一度止まると、早送りでもしたかのように慌ただしい音でもって遠ざかっていく。「女の子だったよ、今の」彼女がにこりと笑いかけた。たった今、誰かの恋の芽を摘み取ったかもしれないというのに、それはそれは綺麗に。

「ところで、わたしが恋をしたとき、ねえ…お任せします、と言いたいところなんだけど、そんな日は絶対に、来ないかな」

射るように冷たい眼差しで、静かに彼女は言う。

「わたしはね、駄目なの」

正直、圧倒されてしまった。あまりに綺麗なその表情は様々な感情を表しているようで、そのどれにも当てはまらないようだ。見ていられない、けれど、見ていたい。俺も彼女もしばしそのまま、といっても、彼女のそれは動かない、俺のそれは動けないと、全く意味は違ったのだが、時が止まっていたことだけは同じことであった。再び動きだすのは、彼女の平手まがいのスキンシップであった。スパン、いい音を鳴らして、彼女の白い両手に挟み込まれた俺の顔。「なんて、わたしのことはどうだっていいの!」あの何とも言えない表情はいつのまにか、なかったもののように崩れ去り、いつものように笑う彼女がそこにいた。「わたしは精一杯やる、でもやっぱり、涼太自身がどうするかで左右されるのよね」とはいってもあんた、見た目は完璧よね、それこそ、その手の男が抱いても構わないって思える程度には、なんて背筋が薄ら寒くなるような冗談を言うななこっちの頬をお返しとばかりに引っ張れば、そのままさっきまでの雰囲気はとうとう瓦解した。話にならなくなったので、同時に俺たちも帰路につくこととなる。
彼女と別れて一人になれば、ふと脳裏にあの表情が浮かぶ。あの時、体が竦みながらも俺は確かに、彼女の視線に、ぞくりとした何かを感じていた。