「私の大事な弟を衆道に引きずり込んでおいて無事で済むと思うなよ、火消し風情が」

狐太郎と一進の関係をどうやってか知ったらしい一進の兄、佐倉琢馬が側仕えも携えずにその身ひとつでく組に乗り込んできてから一週間が経った。
もとより宣戦布告をしに来た琢馬との初対面は当たり前に最悪。伴って、第一印象もお互いに最悪だったに違いない。
狐太郎とて年端もいかない子供に手を出して責任を感じていないはずはないが、だからといってもうどうすることもできないというのも本音だ。一度この手に捕まえたものを手放すことも、まして突き放すことなどできはしない。
一進が武士だと、知った上で惹かれてしまった。目の敵にしていたはずのそれにまさか恋慕するなんて笑える話だが、何年も蟠っていたはずのそれすら一進のおかげで嘘のように解けていったというのにどうして愛しく思わずにいられようか。

しかし、狐太郎に如何なる理由があろうとも琢馬にはなんの関係もないわけで、大事な大事な弟に手を出した狐太郎を許せないらしい琢馬はそれから毎日く組に通っているのだった。





「暇なのかあいつは…!」

一進の兄であるということはつまり正式に旗本の跡取りであるはずだ。それが毎日毎日町火消しの長屋なんて辺鄙な場所に来るほど暇だとは到底思えないのだが、実際に訪ねてくる事実は覆しようもない。

「暇なわけではないと思うのですが…」

「じゃあ何で毎日毎日こんなとこまで来やがんだ!」

人のことを言えない自覚のある狐太郎をしてもあの弟への愛は少し異常に思える。

「すみませぬ、でも、兄上は私のことをただ心配してくださっているだけなんです…」

兄を庇うような言葉に苛立ちは募るが、恐縮したような一進の様子を見てはもう何も言えない。一進へ八つ当たりするのは筋違いであって、何より大切にするべき一進を自身が傷つけるなんて以っての外だ。

「…―悪い、まあ考えてみりゃ当たり前だよな、実の弟が男なんかに…」

走って?手籠めにされて?
どう表現しても身も蓋も無く、口にするのが躊躇われた。
間違ってはいない。きっと狐太郎が何も言いさえしなければ一進の自分への感情は親愛の情で終わっていたはずだ。
そうなると必然、狐太郎が「引きずり込んだ」という琢馬の言も正しいのだろうけれど。

「?狐太郎殿?」

「ん、なんでもねえ」

不自然に途切れた台詞の続きを問う一進の真っ直ぐな瞳に一瞬だけたじろいでしまった自分を自覚して、苦笑が洩れる。首を傾げる一進の頭を撫でようと手をのばした、その瞬間、まるで図ったようなタイミングで部屋の障子が開かれた。

「お早う、一進」

「兄上!お早うございます」

「…また来たのかよ」

「ああ、居たのか」

白々しく宣う件の佐倉琢馬は一進に向けていた甘ったるい笑顔から愛しさだけを器用に消して狐太郎に笑いかけた。同じ笑顔なのにこうも違えるものかといっそ感心する。

「兄上、こんなに頻繁に外出していて大丈夫ですか?」

「一進のためならこのくらいどうということはないよ」

「随分とお暇なこって、羨ましいね」

「そう言う貴様こそ、忙しそうにしていたことがあったか?」

嫌味ったらしく言ってみても、口上では一枚も二枚も上手である琢馬に口で敵うはずもなく間髪入れずに返ってきた言葉には反論する余地もない。
このところく組の担当地区で火事は起きていない。それはもちろん良いことなのだけれど、確かに最近のく組を見ていたら忙しさとは無縁なのである。

「うるせえな!てめえらとは意味が違…っ」

「いちいち大声を出すな、猿」

「誰が猿だ!」

「貴様以外に居るはずがなかろうが」

「てめ…っ」

「!っ、狐太郎殿も兄上もおやめください!」

一触即発、腰を浮かせて今にも掴み掛からんとしていた狐太郎とまるで我関せずの琢馬との間に入った一進に抱き着かれる格好で制止されて、反射的に身体が固まる。

「おい、ちょ…っ、」

腰の辺りにきつく抱き着かれ自然頬にじわりと赤みが射した狐太郎に反して、それを見た琢馬はひくりと頬を引き攣らせ額には青筋が浮かんだ。狐太郎でさえ怯みそうになる般若の如き形相に、しかし一進は気付くことなく無邪気に続ける。

「何故お二人共そう喧嘩腰なんですか」

琢馬の表情を見ている限り喧嘩どころではなく今にも腰の帯刀を抜刀しそうな勢いなのだけれど。

「一進、わかった。わかったから早くその手を離しなさい」

どう見ても口先だけの言葉を一進は素直にも信じてしまったらしく、大人しく狐太郎からその手を離す。離れていった子供特有の温もりに欠片の淋しさを感じつつも腰の刀に手を添えたままの琢馬を前にそんなことを言えるはずもない。

「………一進」

「?はい」

「この男が好きか?」

「え?…、あ、兄上…?」

「好きか、と。」

「!…っ」

「おい!いきなり何言っ…」

「貴様は黙っていろ。」

突然何を言い出すのか。
しかし琢馬の表情は今までとは一変、「兄」のそれだった。
そうだ、この男のこれまでの行動は全て兄が、琢馬が、一進を心配するが故のものであったのだと、今更に理解した。

「一進」

促すように名前を呼ぶ声に、俯いていた一進が顔を上げる。
その顔を見て、はっとした。
かりそめにもこいつは、一進は武士なのだと。

「…好きです。私は、狐太郎殿のことが好きです。たとえ兄上に反対されようと私は…っ」

「もう良い。…それが一進の気持ちなら、私に否定できるはずがなかろうよ」

「あにう…、っ」

苦笑混じりに落とされた思わぬ兄の言葉に大きな瞳をじわりと涙で潤ませる一進を、琢馬が至極優しい仕種で抱き寄せる。
すると一進は何かが切れたように兄の肩口に顔を押し付けてぼろぼろと泣き出してしまった。

それに僅か感動にも似たものを覚えてしまって、目頭が熱くなる。















しかし、そんな陳腐な感動はすぐに激しい後悔によって押し流された。

自分の首元に抱き着いて泣く一進をあやすように抱きしめる傍ら、狐太郎を見てにやりと口の端を歪める琢馬をそれならいっそ見なければよかったのに。
見逃すはずもなかったのだ。


(こん、の、狸野郎…っ!)
(貴様を認めるかどうかとはまた別の話だ)



おわり




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長くなってしまってすみません…!
く組か琢馬絡みとのことでしたので今回は琢馬の方で書かせて頂きました。しかしいまいち琢馬の口調が掴めていないという…´`狐一要素も少ないしでほんとにすみません、こんなものでよろしければお納めください…!

晴奈さま、リクエストありがとうございました!