「にやにやしてんな、きもちわりぃ」
バスケットボールと共に投げつけられた侮蔑を含んだそんな言葉も、今の黄瀬にとってはかすり傷にもならない。
「センパイ今日何の日か知っててそんなこと言うんスか?!」
「馬鹿にしてんのか、キリストの誕生日だろ」
「いやそんなインテリな答え求めてないっス」
真顔でふるふると首を横に振ると、再びバスケットボールが飛んできた。苦もなく避ければ理不尽にもチッと鋭い舌打ちが聞こえてきたけれど、それも今の黄瀬には右から左だ。
「クリスマスなんだからそりゃテンションも上がるっスよ」
笠松の言うキリストの誕生日も間違ってはいない、そちらが本家本元と言うべきであるのはいくら学のない黄瀬とはいえ承知済みだが、しかし、昨今の日本で12月25日といえば恋人達の日である。
そして黄瀬もその例に洩れず、今日部活が終われば最愛の恋人との逢瀬が待っているのだから多少の顔の緩みは致し方ない。
普段会っているのと何が違うのかと言われればそれまでだが、それを言うのはいささか野暮というもの。
「先月からずーっと楽しみにしてたんスからちょっとくらい舞い上がったっていいじゃないスか、手抜いてるわけでなし」
むしろ今日はいつになく調子がいい。
それは見ていればわかっているはずだろうに。
「先月ってお前…、引くわー…」
「何で!?ちょ、だって聞いてくださいよ!今日の約束黒子っちから誘ってくれたんスよ!?キスもえっちも手繋ぐのだって今まで黒子っちから誘ってくれたことなんてなかったのに!」
「言うんじゃねえよ俺達が必死に目逸らしてる事実をよ!!」
勢い込んでまえのめりになった黄瀬の顔面に、今度こそバスケットボールが叩きつけられる。紅潮した黄瀬の顔はそれでも幸せそうで心の底から気色悪く思うのと同時、もう何も言うまいと心に決めた海常バスケ部員たちだった。
「じゃあ俺はお先に…」
「ああもうとっとと行けよ」
しっしっ、と追い払う仕種に黄瀬は気を悪くした様子もなく、(まず見えているのかどうかも怪しい)誰よりも早く部室を後にした。
*
「黒子っち!」
「こんばんは」
開いていた文庫本を静かに閉じ、肩に掛けたバッグに仕舞う一連の動作にさえ見蕩れてしまう。いつもの無表情の中ぽつりと赤くなった鼻の頭がかわいらしい。
「えへへ…」
「?どうかしましたか」
「あっ、いや、なんか、嬉しくって」
否応なしに頬が緩む。今すぐにでも抱きしめたい。
不思議そうに見上げてくる黒子はどうしたって可愛くて仕方ないけれど、人目を気にする彼のことを思ってうずうずする腕をどうにか我慢して冷えた手を握るだけに留めておいた。黒子の真っ白い手は見た目を裏切らずひやりと冷たい。
「黄瀬くんの手、あったかいですね」
「あは、じゃあ手繋いでていい?」
両手で包み込んだ小さな手にはあっと息を吹き掛けると、一瞬目をぱちくりさせた黒子が秘めやかに微笑った。
「今日だけですよ」
寒いから。
手が冷たくて仕方ないから。
あっためるだけだから。
と言い訳を重ねながら、こっそりと手を繋いで歩き出す。
「そういえばまだどこ行くか聞いてないんですけど…」
戸惑いがちに視線を向けてくる黒子にこれからのプランを全て計画済みだなんてことはもちろん告げていない。
もしかしたら黒子は黄瀬が計画を立てていることなんてお見通しかもしれないけれど、できる範囲での格好つけくらいはしたいのだ。
「着いてからのお楽しみ!」
今はクリスマスの街中をふたりで歩く、ささやかで幸せな時間を満喫したい。
そう告げれば、黒子は何も言わずにきゅっと手を握ってくれた。
歩いて20分、電車を乗り継ぐこと15分、見知らぬ場所に来てきょろきょろと辺りを見回す黒子を微笑ましく眺めること10分。モデル仲間に紹介してもらったホテルに着くと黒子は少し驚いたような顔をする。
「…ホテル、ですか?」
「!えっ、あ、の、変な意味じゃなくて…っ!」
「わかってますよ」
訝しむような表情に焦って弁明すると呆れ混じりにそう返ってきて、やっと履き違えたのだと理解した。
ホテルと言ってもあからさまな場所ではないし、いやらしさのない高級感漂うそこはおおよそ高校生には相応しくない外観を誇る。モデル仲間の紹介だけあって正直金銭面での気遣いは全くなかったのだ。
「そうじゃなくて、こんな…高そうなとこ」
「気にしない気にしない」
黒子に出させるつもりなんて端からない。エスコートするなら基本中の基本である。男同士でも当て嵌まるのかどうかは知らないけれど。
躊躇う黒子の背中を押して、笑って誤摩化しながら回転扉を潜るとホテルマンが出迎えてくれた。しかしそれにも恐縮しっぱなしの黒子の肩をさりげなく抱き寄せる。
「大丈夫っスよ、ご飯食べるだけ」
緊張していたら折角の夕食も台なしだと耳元に口を寄せていたずらっぽく告げれば、僅かに黒子の表情も緩んだ。
40階建てのホテルの32階、エレベーターから直接繋がる一面ガラス張りのレストランに他の客の姿は見えないが、そういう造りになっているだけでクリスマスの夜、予約で一杯のはずだ。
案内された席からも他の客は見えない。
―男同士という世間一般から見たら特殊な関係上、そういう場を選んだのだけれど。
「これならゆっくりできるでしょ?」
「――…ありがとう、ございます」
場に似合わないことなど承知で屈託なく笑う黄瀬に、ふわりと微笑が返される。
それだけで満たされた。
「今日くらいさ、何にも気にしないで楽しんだって罰は当たらないよ」
「そうですね、クリスマス、ですもんね」
男同士だって何だって、恋人同士であることに変わりはない。愛なら誰にも負けない自信だってある。
店内を彩るクリスマスソングに紛れるように密やかな会話を交わして、少しだけ声を上げて笑って、これ以上ない幸せを噛み締めた。
それを思って、しかしすぐに自らの考えを否定する。黒子と居る限り幸せに際限などないのだろうと。
告白を受け入れてもらったときも
初めて手を繋いだときも
初めてキスをしたときも
初めて身体を繋いだときも
その度に、これ以上ない幸せだと思ってきたのだから。
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