||愛し君よ


「喧嘩しました」
「……は?」
「だから、喧嘩したんすよ」

ぱちぱち、と見開かれた瞳が幾度か瞬く。ダメ押しのように聞こえてきた「嘘だろぃ」という呟きは俺のイライラを募らせるのに十分な効果を持っていて、荒っぽくため息をついて荷物を後ろにほん投げた。ドサッ、と華麗な着地音についで、ガタガタという何か余計なものが落ちてくる音。振り返って確認する気はとてもじゃないが起きなかった。

「喧嘩って……え、峰里と? どうやって?」
「知らねーっすよ」
「はあ?」

まるで信じられないものを見るように俺を見て、丸井先輩は眉を大仰にひそめた。その表情にまたイライラ募って、トントントン、と足を踏み鳴らした。いつも思うことではあるが、この先輩はどうしてこうも人の神経を逆なでするのが上手いんだろうか。
普段より目に見えてイライラした様子の俺を煙たがることなく、「なんかあったのか?」と声をかけてきてくれた時は本当にこの先輩がかっこよく見えたというのに。いつも喧嘩してばかりだった先輩とは到底思えない年上としての表情に、一瞬でも期待をした自分が愚かだった。やはり、丸井先輩は丸井先輩だ。相談するような相手では決してなかったらしい。
馬鹿なことをしたな、とガシガシ頭をかきながら小さく悪態づく。俺がうなずいてからも尚、真偽を再三確かめてくる彼を恨みがましく見上げると、ようやく彼は尋ねてくるのをやめた。代わりに出てきたのは、お前馬鹿だろという、なんともシンプルで腹の立つ罵倒であった。

「あの峰里と? お前が? 喧嘩?」
「…………」
「ハッ、どう考えてもお前が悪いな。謝れ」
「いやなんで全部俺が悪い前提なんすか」
「違うのかよぃ?」
「……違わないっすけど」

じゃあ良いじゃねえか。
先輩の答えは実に簡潔である。完全に他人事だと思って、軽く見ていやがるのだ。実際そうではあるが、心配するようなそぶりを見せたのであれば見せたなりに、最後まで心配してくれたって良いのに。決して慰めがほしいということではないが、馬鹿にしてほしいわけでもなかった。

「……どうやって謝れば良いんすか」

ズバリ、俺がここまで悩んでイライラしていた理由を聞くと、丸井先輩はまた信じられないものを見るような目で俺を見た。なんだ、その顔は。口をついて浴びせられた馬鹿だろ、という二度目の罵倒に歯をギリギリと噛んだ。丸井先輩だって素直に謝れなかったことが原因で彼女にふられたくせに、人のことを言えるのだろうか。

「ふつうに謝れば良いじゃねえか。呼び出して、ごめんって言うなりなんなり、色々あるだろ」
「それができないから一週間も会えてないんすよ!」
「一週間も? あーあ、お前終わったな。こりゃ破局だ。ざまあ」
「怖いこと言わないでくださいよ……、そうだ、丸井先輩って綾乃先輩と同じクラスでしたよね。なんか変わった様子ありませんでした?」
「全く?」
「…………」

あいつはそういうの、顔に出さないタイプだからな。
丸井先輩が爪をいじりながらそんなことを言う。まるで綾乃先輩のことをなんでも知っているというような口ぶりだ。腹が立つ。イライラと再び足を鳴らし始めると、丸井先輩がこちらを見て嘲笑うように息を吐いた。

俺よりも丸井先輩の方が彼女のことを知っているというのは、仕方のないことだとよく理解しているつもりだ。一年付き合いが長いわけだし、何より先輩たちは、高校に入ってから三年間、ずっと同じクラスだったんだそうだ。丸井先輩づてに知り合ったから感謝はしているが、彼らの仲が羨ましくないわけではない。綾乃先輩は俺にはいつも優しいけど、丸井先輩に対しては少し毒のある言葉を吐くし、恐らく彼氏である俺より心を許している。それはでも、本当に仕方がない。彼氏と友達は違う。好きだといって、抱きしめ合える今の関係が、丸井先輩とのそれより悪いのかと言ったらそうではない。十分、わかっているつもりだ。

「峰里が喧嘩かぁ……」
「そんなに、変ですか」
「だって俺、三年間一緒にいるけど怒ったところ一度も見たことねぇし。おまえ、ほんと何をどうしたらあいつ怒らせられたの? 馬鹿?」

笑うように言われると、やはりムカついてしまう。「三年間」という実に具体的に述べられた俺との差を痛いぐらい感じてしまって、嫌になるのだ。先輩の口ぶりからして、彼はその間彼女と一度も喧嘩をしなかったのだろう。綾乃先輩が温和だというのもあるけど、それ以上に二人の仲が良いからなのだと言える。……本当、面白くない話だ。

「早く謝れよぃ」

やはり終始鼻で笑うようにしながらそう言って、丸井先輩は立ち上がった。別れの言葉もなしに出ていくつもりらしい。
部室の扉が閉まる直前、先輩の背に「ありがとうございました」と投げ掛けた。ロクな相談ではなかったが、心配をしてくれたことに代わりはない。先輩からの返答はなかったものの、礼を言ったことで、先ほどよりスッキリしているような気がした。



早く謝れ、とは言うが、そんな言葉一つで片付くのなら、そもそも相談なんかしていないわけである。

「どうやったら謝れるんだ……?」

誰もいなくなった部室で唸りながら、ふと首をまわして自分の背後を見る。先ほど投げた鞄が乱雑に置いてあって、その上に数冊の本が乗っていた。投げた時にぶつけて落ちてきたのだろう。すぐ傍の本棚に妙な隙間ができていた。
仕方なしに立ち上がり、その数冊を元の場所に戻す。ここにあるのはテニス関連のものばかりだ。残念ながら、あまり熱心に読もうとしたことはないので内容についてはわからないが。

(謝る……謝る、か)

綺麗に並んだ背表紙を眺めながら、ぼうっと綾乃のことを考える。どうやって謝れば良いか、いつが良いのか、どんな言葉を選べば正解か、とか色々。頭の回る彼女のことだ、生半可な謝り方では「謝れば良いと思ってるんでしょう?」とか言われて終わってしまうだろう。その通りなのだから言い返しようがない。俺は確かに、この喧嘩を少し甘く見ている。
実際、誠意を見せれば彼女は許してくれるだろう。喧嘩の発端は大したことではないのだし、本来そこまで気に病むほどのことではない筈だ。
温和で優しいあの綾乃先輩が怒った、やれ事件だ、やれ破局だ、なんて騒ぎはするけれど、喧嘩は喧嘩。言ってみればただの行き違いだ。謝りさえすめば済む。そう、謝りさえすれば。

「……はあ」

そんな態度が、透けて見えていたのだろうか。喧嘩をしてからすぐ、先輩に謝りに行ったとき、先輩は俺が何か言おうとした瞬間に「帰って」と俺を拒絶した。その言葉が信じられなくてしばし呆然と立ち尽くして、目の前で扉を閉められてからようやく、その言葉を飲み込めた。

喧嘩は喧嘩、謝れば済むこと。

その事実は変わらないはずなのに、先輩もそう思っているはずなのに、どうしてか上手くいかない。きっとそれが何故なのかわからない限り、この喧嘩は終わることがない。俺たちの行き違いがなくなるまで、俺がきちんと謝れるまで。

「丸井、いる?」

ガチャリと扉の開く音がして、それと同時に女の声が聞こえた。反射的にそちらを見て、「あ」、と互いに目を合わせて固まった。

「せ、せんぱ……」
「赤也」

先輩は俺を見て少し迷うように目線を彷徨わせた後、そのまま扉を閉めて出ていこうとした。慌てて身を乗り出して、閉めようとしたその手を掴む。白くて細い、冷たい腕だった。

「先輩、少し話したいっす」

まっすぐに見つめると、彼女はわずかに目を細めてうなずいた。それを確認してから自分の方に軽く引き寄せて、扉を閉める。部室は静かで、ああ誰もいないんだなあなんていう、当たり前のことを再確認させられた。早く謝らなければと思えば思う程に言葉が出なくて、息苦しくなる。彼女は沈黙していた。単純に気まずかったのか、拒絶の意思だったのか、それは俺にはわからないけれど。

「丸井先輩に用があったんすか?」
「まあ、そう。部室に来いって言われたから来たんだけど」

言葉を止め、俺を見上げる。最近まともに見れていなかった、愛しい人が俺を見つめている。嬉しくて、でも緊張した空気にうまく笑えずに、ひきつったように笑った。自分でも変な顔をしていただろうとわかるくらい、下手な笑いだった。

「腕、離してよ」
「……嫌っす」

子供のようにかぶりをふった。先輩は何も言わなかったが、たぶん、困らせてしまったのだと思う。俺は子供だ。年不相応とも取れるくらい大人びた先輩とは違って、いつまでも。

「俺、先輩と仲直りしたいです」
「……私もしたいよ。でも、将来また同じ喧嘩を繰り返すのは嫌なの」

やはり、先輩は俺に心からの反省がなかったことを見抜いていたらしい。幼い子供ならば「ごめん」で済む話も、大人になるにつれて、どんどんと面倒くさいステップを踏まなくてはいけなくなる。子供な俺と、大人な先輩とでは、そのステップがきっと大きく違うのだ。
わかり合えない、のだろうか。そんなことはない筈だと信じている。今まで仲良くやれてきたんだし、それは俺たちがわかり合えていたからだと思う。……でももし、それは俺の思い込みで、先輩がいつも不満を押し殺して接してくれていたんだとしたら?今回の喧嘩は、それが爆発して起こってしまったことなんだとしたら?

「綾乃先輩は……」

何を言おうとしたのか、無意識に開いた唇が彼女の名前を呼んだ。俺は下を向いていたが、彼女は俺を見つめてくれてるのが視界の端でわかった。何にも言葉にならなくて、ひゅう、とただ息苦しさだけが喉を抜けていく。先輩はやはり、沈黙している。

「……なんでもないっす」
「――そう」

そしてまた、事は振り出しに戻った。相変わらず掴んだままの腕は、少し震えている気がした。余っていた片手でその手を握ると、彼女はゆるりと首を振る。強くはなかったが、拒絶、だったのかもしれない。でも離したくなかった。すがっていたかった。

「俺は、先輩のことが好きです」
「、」
「だから、仲直りしたい。先輩に謝って、……許してもらいたい、です」
「…………」

ごめん。
滑り落ちるようにして発されたその単語に、俺は驚いたように顔をあげる。謝ったのは俺ではなかった。先輩の方だ。先輩は身を震わせながら俯いていて、呼びかけても顔を上げようとしない。それでも顔が見たくて、しゃがみこんで先輩を見上げると、……驚くべきか、彼女は泣いていた。透明な雫をぽろぽろと零しながら、綺麗に、静かに。

よく考えれば涙の理由もわかったのかもしれないが、妙に焦ってしまって、慌てて彼女を抱きしめた。わけのわからないまま抱きしめた体は小さくて、不安になるくらい細い。長い黒髪を手ですくようにしながら撫で続けると、先輩がゆっくりと手を背に回してくれた。ぎゅう、と力がこもる。こんなに強くだきしめあったのは初めてかもしれない。いつもは安心するはずのこの感触に、どうしてか酷く不安になった。

「先輩」
「…………」
「ごめん」

ほぼ無意識に謝罪が零れる。言ってから、自分で驚いた。あれほど言い辛かったはずなのに、今は本当に素直に、彼女に謝ることができている。なんでかはわからない。彼女を泣かせてしまったから、と一瞬頭を答えが過ったが、違う気がした。

「……あの、先輩?」

何も言わない先輩の様子に不安になって、頭をなでる手を止めて声をかけると、ふいに体を押し離された。泣いて僅かに赤くなった目と視線がぶつかり、気が付いたときには彼女の顔がすぐ目の前まで来ていた。唇に柔らかいものが触れる。呼吸が止まるような、優しい口づけだった。
やがて唇が離れると、先輩は俺を押しのけて部室の扉に手をかけた。慌てて手を伸ばすと、彼女が扉を開きかけたまま動きを止めた。

「せんぱ「赤也」……はい」
「これで喧嘩、おしまいね」
「……え、」

ばたんと扉が閉まって、部室は再び一人きりになった。急に力が抜けて、その場にしゃがみ込んでしまいそうになる。でもすぐにハッと我に返って、鞄を掴んで走って部室を出た。目指すのはもちろん、あの人の背中だ。


し君よ


――――――――――――
大変お待たせしました……!
喧嘩して仲直りするふたり、ということで。

書いているうちにどんどんと長編のワンシーンみたくなってしまって、短編として完結させるのに非常に戸惑いました。思えばいつものことでした。

稚拙な文ではありますが、楽しんでいただけましたら幸いです。
リクエストありがとうございました!

2014/6/21 repiero (No,146)


[一覧に戻る]
[しおりを挟む]

[comment]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -