||一期一会を信じた私


大人になるということは、過去から切り離されるということなんだと思っていた。
お気に入りだった漫画から離れ、どこか浮遊感のある思考から離れ、過去の恋愛や悩みなんかからも離れ。あらゆる過去から切り離されることで、人と言うのは子供から大人へ、さなぎの殻を脱ぎ捨てるように成長していくものなんだと、そういう風に思っていた。大人になる為にはピーマンが食べれないとかそんなくだらないことは言っていられないし、朝寝坊も許されなくなる。子供のうちはそれで良いと、許されていた事柄は全て、大人になるにつれて乗り越えなくてはならなくなる。よく「大人げない」とかそんな言葉を耳にするが、それはその人達が過去を切り離しきれていないからなんだと、そういうことなんだと思っていた。実際それは間違っていないのだろう。
けれど。
わかってはいても、それを自分が大人になって実行できるかというのは全く別の話で。私はその点、社会というものをなめて見ていたのかもしれない。

(なにもない)

電車に揺られながら、外を流れていく景色をじっと見過ごす。美しいというよりは汚く、静かというよりは死んでいる街並が、ただただ、何にも心にひっかかりを残さないまま目の前を流れていった。街中に入ればきっと賑わう何かや目を惹く店などがあるのだろうが、傍目から見ていれば、この付近の街並みは、どことなく汚らしく、どことなく活気に欠けた寂しいものばかりだった。
電車内を見渡す。私の近くに人は少ない。朝早い時間、通勤ラッシュの駆け出しの時間帯というせいもあるだろうか。確認できる限り、電車に乗っている人たちは各々何か楽しむ術を持ち合わせていて、お互い会話など関わりを持つ気はなさそうであった。普通はそうだろう。私だって基本はそうする。話しかけて無視などされたら悲しいし、相手の迷惑になったら、という懸念もある。話しかける勇気がないといえばそれまでだが。

(今日もいない、か)

大学に入りたての時のことだったか、ずっと遠く過去に去った記憶をよみがえらせ、やりきれない感情と共に目を伏せた。以前、話しかけてきた記憶の中の彼。ひどく整った顔立ちをした彼は、この人と人とのつながりに乏しい場所で、イレギュラーにも私に声をかけてきた。私が声をかけるならともかく、あんなに綺麗な人に声をかけられるなど夢にも思わず、話しかけられた時は後ろは窓しかないのにも関わらず振り向いて確認してしまったほどだ。

『お隣よろしいですか?』
『・・・え、あ、はい』
『俺は幸村精市と言います。お名前お聞きしても良いですか?』
『・・・峰里、綾乃です。どうも』

ぺこり、と軽く頭を下げ。それから流れた沈黙に吹き出したのは幸村で、初対面のくせになんてやつ、とそちらを見ながら内心腹立たしく思ったことを覚えている。でも、次の瞬間にはそんなものどうでもよくなった。抗議しようとした口は開きかけて止まり、目の前の光景に心臓がドクリと跳ねた。

『ん・・・、どうかされましたか?』

まだほんの少し笑みをあとびかせ、その頬にうららかな春の日差しを落とし込みながら、幸村がこちらを見る。絡んだ視線に尚更身動きがとれなくなる。

『峰里さん、俺に見惚れるのは構いませんけど、口はしっかり閉じた方がいいですよ』
『・・・は、』

ぐい、顎を持ち上げられ口を閉じさせられ、そしてまた幸村がクスクスと笑う。・・・・なんなの、こいつ。ナルシストな上に失礼だし傲慢っぽいし。なまじ顔がいいだけにたちが悪い。
そんな悪印象ばかりが目立っていた。

『・・・あの、あなた失礼ですよ』
『ふふっ、それはすみません。せっかく綺麗な方なのに、あまりに間抜けな顔をしていたから』
『・・・・・・、世辞なら間に合ってます』

そこから二言、三言。売り言葉に買い言葉、という風にいつのまにかちょっとした論争になり、しかしどうやら年下であるはずの幸村には何故か勝てず、けっきょく私が引き下がるはめになった。その頃にはもう幸村の印象は最悪もいいところで、とにかく早く目的地につかないかとイライラしていた。幸村は余裕そうな笑み、であったが。
車両内にはどういうことか私たち以外に人はおらず、先程の私たちの論争を見て、厄介事はごめんだと別車両に移動されてしまったらしかった。電車はガタガタと揺れて私たちを運んでゆく。いつも降りる駅の、ひとつまえの駅に電車が止まった。もうすぐこの嫌なやつともお別れだ。清々する。

『それじゃあ』

突如、幸村が立ち上がった。つられて見上げると、どうやらここで降りるつもりらしい。

『峰里さん、話に付き合ってくださってありがとうございます。俺はここで』
『どうも。さよなら』
『・・・クス』

不貞腐れて横を向く私に幸村が笑い、腹が立ったので降りるならさっさと降りてしまえと悪言を吐いた。すると私にかかっていた日差しがふと遮られ、顔をあげると幸村の顔が近くにあった。

『な、』

言えたのはそれだけ。額におりた感触に、なにも言えなくなった。幸村はそのあとすぐに電車を降り、直後に扉がしまった。あっ、と呟くがもう遅い。電車が発進する。

『っ・・・、なんなの、今のっ・・・』

口付けられた箇所が熱い。どういうことか心臓が跳ねている。ひとりきり、残された車両には、ただ冷めた温もりばかりが残されていた。

以来、何年か経ったが、いまだに私はあの時のことを忘れられずにいた。今までなんとなく乗っていたこの車両のその席に、毎日座り続ける理由ができてしまったのだ。
今年、私は成人を迎え、社会人となる。もう過去のことなど切り離さなければいけない時期だ。それなのに私は、まだ過去にしがみつき、「もう一度」と馬鹿げた期待を込めてしまっている。相手のことなど名前しか知らない、叶うはずもないのに。

「一期一会、か」

所詮はその程度だったのかもしれない、と少し達観するように呟いた。そうだ、これはきっと、私が大人になるための儀式だ。忘れねばならぬ過去なのだ。よくよく考えてみればどうして彼のことなど考えているのだろう、あれほど嫌がっていたというのに。
慰めのような言葉は決して心に響くことなどなく、ただ、どうやっても忘れられないのだろうという漠然とした悟りと、好きだったのだろうという当然のような理解が、冷静に冷静に、私の頭を締め付けていた。


を信じた


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黒村どころか幸村のキャラの基軸すらぶれぶれ。なかなか難しいですね。
リクエストありがとうございました!

2013/5/8 repiero (No,127)


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