||命


最愛の夫が死んだ。
酷い雨の日だった。私は妊娠で膨らんだ腹を大事そうになでながら、見舞いにくる彼のことを待っていた。なかなか来ないなぁ、遅いなぁと、まだかまだかと彼の到着を待ち続ける私は、まるで子供のように落ち着きがなかった。彼のことを考えるだけで幸せで、そして更にこれから生まれてくる私たちの子供のことを考えると、もっともっと幸せな気分になって、満ちたりた気分になったのだ。このまま幸せで楽しい人生が続くんだと、無条件にそう思っていた私にとってはあまりに突然なことで、看護師さんの慎重な声を聞きながらしばし呆然とするよりなかった。
どうしてそうなってしまったのか、それは今でもわからない。その記憶はなにも私に与えはしないくせに、ひたすらに私を苦しめる。運命だった、とだれかが言い、乗り越えるべきだ、とまた別のだれかが言ったけれど、そのどちらも、私は受け入れてしまいたくなかった。また彼に会いたい。彼の声を聞きたい。彼と一緒に笑いたい。神はなんと残酷なんだろうか。そして、人の命と言うのはどうしてかくも脆く儚いのか。私は認めたくなかった。生きているから「死」があることを。終わりよければ全て良しとか、終わりがあるから始まりがあるとか、人類揃いも揃って「終わり」についてなんだかんだと前向きに考えているというのに、私はだめだった。あの日のことを現実だと思えなかったのだ。夢だ夢だと逃げ続けて、そうして何もわからなくなってしまった。

「・・・まさ」

苦しげな呻きの合間に、彼の名前を必死に繰り返した。生涯味わったことのない猛烈な痛みが身体を襲い、意識が朦朧とする。視界にうつったものがぶれ、冷や汗がとまらない。出産直前の陣痛は、本当に半端ではない。できることなら、彼が傍にいる状態でこの日を迎えたかったのに。いや、そんなことを考えてはいけない。私の精神状態が悪くなって、お腹の子にさわりでもしたら大変だ。

「っ・・・」

苦しい。痛い。吐き気がする。
誰かが頑張れ、と私にむかって叫んだような気がした。心なしかそれは、大好きな彼の声に似ていた。まさ、頑張るからね。もうすぐ産まれるからね。もういないその人に向かって心の中で何度も呟いた。

「大丈夫ですかー?ゆっくり息吸ってくださいねー!」

看護師さんの声。声。声。いちいちそれを誰が言ったとかどんな風に話したとかはわからなかったけれど、でもその声に混じって、時々彼の声が聞こえたのは確かだった。そうだ、彼も応援してくれている。痛みの末に聞いた幻聴だろうと冷静に判断する脳もあったが、それでもその声に安心することができた。

「もうちょっとですよ!頑張ってください!」
「っく・・・う・・・!」

その声に押されるようにして、一気に力を込める。辛い。つらい。ツライ。いっそ殺してもらったほうが、そうしてまさのところに行った方がずっと楽なのではないかとそんなことまで思った。ぼやけた視界にうつった銀髪が揺れる。そんなことをしてはだめだと、そうとでも言うように。ああ、幻聴では収まらずに幻覚まで見えてしまっているのか。ただでさえ曖昧な視界が更にぼやけて、自分が泣いていることについと気がついた。

「あ・・・・・・」

ふと、痛みが消えた。その直後に、甲高く元気な泣き声が聞こえてくる。おぎゃあ、おぎゃあと、その存在を主張するかのように。

「がんばりましたね、元気な赤ちゃんですよ」

首を動かして、ゆっくりとそちらを見る。よくは見えなかったが、なるほどたしかに、元気そうな様子ではあった。なにかと病弱というか、不健康だった彼とは正反対だ。

「ま、さ・・・・・・」

私、産んだよ。あなたとの子供を。あなたはこの子に触れてあげられないし、一緒に遊ぶこともできないけど、でも、産んだよ。まさは喜ぶかな。それとも、悲しいのかな。

「っ・・・・・・」

ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙が頬を伝っていく。助産師さんたちはそれを喜びの涙と思ったようで、優しく微笑みながら白いタオルを渡してくれた。痛みの末に産んだ我が子は、助産師の腕に抱えられどこかへ移されようとしている。待って、いかないで。見てもいないまさの死に様が視界に浮かぶ。黙って私の元を去っていく彼と、一瞬現実がダブる。しかしそれ以上はもう声をあげることもできないままに、私はきっともう二度と経験はしないであろう出産というものを終えた。


それから数日経ち、可愛い赤ん坊が私の元にやってきた。私と、まさの子だ。顔立ちはまさによく似ていた。別に彼と赤ん坊をまったく一緒にするつもりはないけれど、まるで生き写しじゃないかとそんなことをぼんやり思った。

「・・・わた、し」

赤ん坊にはじめて触れ、抱き抱えた瞬間、ぽろ、と涙がこぼれる。それに病室にいた人たちが驚いたような表情を浮かべた。どうしたのかと、おろおろと私の様子を窺い始める。私はほんの少し微笑んだ。

「この子を、一生大事にします」

それは決意だった。形見、なんて重い言葉はこの子にかわいそうだから使わないけれど、でもこの子は私とまさの間に残すことのできた唯一のものだ。私たちの宝だ。だから、大事にしなければならない。彼がこの子に注いだであろう愛情の分まで。そう、私がこの子を育てなければ。

私の表情と言葉に、その場にいた全員が口を閉ざした。私もそれきり黙って、ただ腕の中の赤ん坊をじっと眺めていた。





すやすやと眠るその子を見つめるうち、どこかからまた彼の声が聞こえてきたような気がした。
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勝手に出産しかも死ネタすみません……。
楽しんでいただけましたら幸いです;

リクエストありがとうございました!

2013/3/13 repiero (No,120)


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