||盲目ピアニシモ


とん、と。

物悲しく切なく、それでいて温かな音が、室内に広がった。鳴らした少女にとって見れば、ただ鍵盤に指を乗せただけの音が、まるで最初から聞こえていたかのようにすんなりと耳に馴染んだ。
とん、とん、とん、と彼女の指が音階を下っていく。やがて目的の音に辿り付くと、少女はそこに合わせて両手を鍵盤にのせた。瞳はいつものように、すっと閉じられる。それから小さく深呼吸をした後、ダンッ、と突然力強いハーモニーが辺りに響き渡った。指が踊るように鍵盤の上を駆け、見ているこちらが息をするのを忘れてしまうほどに、なめらかに音楽が紡がれていく。
強く、激しく、ところが曲の中盤に差し掛かると、急激に指の動きが落ち込んだ。花がしぼむように、涙が零れ落ちるように、静かに、優しく、メロディーが続いていく。
何かに操られているかのように、一心不乱にピアノに向かう彼女を、俺はどこか恋するように見つめていた。





「盲目のピアニスト」。
今年16になる俺が目にしたのは、そんな陳腐ともとれる大きな広告文字だった。それと共にうつっていたのは、俺と同い年か、ひとつ上くらいの年頃の少女の姿だった。

「綾乃・・・」

決して遠い存在ではなく、むしろ近しい存在であるかのようにそのひとの名を呼ぶ。久しぶりに会いに行こうか、と呟いて、そのポスターを横目にその場を去った。





小さな一軒家の扉を開けると、少女の母親に出迎えられた。綾乃なら奥に、と言われて通された部屋にいくと、彼女はちょうどこれから、演奏を始めるところのようであった。目をきょときょとと動かしながら鍵盤を探す彼女の様子を、邪魔しないようにと部屋の隅に立って見守った。そうしてはじまったのは、例のポスターで広告していたコンサートの為と思しき曲の演奏だった。最初は力強く、中盤急に勢いを削いで静かにやさしく。最後はまたAメロに戻って力強く曲の演奏を終える。特に意識していたわけではないのに、自然と、拍手が出た。彼女が驚いたように振りかえる。どなたですか、という声に、合言葉のように「俺だ」と答える。彼女が嬉しそうに笑った。

「柳さん、来てくださってたんですね」
「ああ。元気そうでなによりだ」

そう言うと綾乃ははにかむようにして微笑みを見せ、それから少し覚束ない足取りで俺の方に歩み寄ってきた。あのポスターが示していたように、彼女は、生まれつき目が見えなかった。

「大丈夫か?」
「あ・・・、ありがとう、ございます」

彼女の手に触れ、そっと引いてやると、頬を染めて俯いた。思わずため息がもれる。するとそれを察してか、彼女が不安そうな顔で俺を見上げた。焦点は定まらず、瞳には光の入らぬままだが、それでも彼女は綺麗だ。彼女によって紡がれる音楽もそうだが、彼女自身もまた、内外共に美しい人だった。

「今度、コンサートを開くのだろう?」
「はい。・・・ご存知だったんですか?」
「ふっ、お前のことなら何でも知っている」
「っ、それは、ちょっと恥ずかしいです」

困ったようにして顔を赤くし、綾乃が微笑む。俺が知る限り、演奏中をのぞけば彼女はいつも笑っていた。目の見えない世界というのは俺にはわからないが、辛くない筈がないだろうに。糸目だのなんだのと散々言われている俺ですら、辺りの様子ははっきりと視認することができる。でも彼女は、本当に何もわからないのだ。暗闇の中を歩くというのは、きっととてつもなく恐ろしいことだろう。

「・・・辛くないのか?」
「何がですか?」

いつも聞く質問だった。もう何のことかはわかっているだろうに、彼女はいつもそうやって不思議そうな顔をする。辛い、という言葉など、忘れてしまったかのようだ。彼女は一度俯いて微笑んで、俺の手を掴んだままの手に力を込めた。

「辛くなんてないですよ。生まれた時から"無い"んですから、目が見えた時のことなんて、私にとってはただの想像の世界です。目が見えたらどんなに良いか、とかも考えましたけど、でも無いものは無いんです。それなら、最初からそれが当り前だと考えた方が良いじゃないですか」
「・・・・・・」

何度も聞いたセリフ。彼女は本当に強い。いつ何があっても、ひょっとしたら盲目ではない俺よりも鮮明に、未来の事を見つめている。同い年の彼女は俺よりも遥かに大人だ。
そうか、といつものように話を締めくくろうとして、彼女の声にそれを遮られた。

「それに・・・」
「・・・?」

彼女が顔を上げる。きょときょとと目を動かしながら、俺を見上げ、それから微笑んで、

「盲目だったおかげで、柳さんに会えましたから」

なんて、ちょっと罰当たりでしょうか?と彼女は困ったように付け足して、それからまた俯いた。頬が赤い。そしてそれを見つめる俺自身もまた、きっと赤くなっているだろうなと思った。たしかにそうだ、もし彼女が盲目でなかったとしたら、俺と彼女は出会わなかったかもしれない。少し納得しつつ、けれど驚いたように彼女を見つめた。

「綾乃」
「・・・はい?」

そっと、綾乃の腕を引いた。名前を呼んで抱きしめて、それから囁く。


目ピ


囁かれた言葉に、顔を真っ赤にしたまま少女は小さく微笑んだ。
――――――――――――
盲目ピアニストと柳さんのお話、ということで。
かねてより考えていた話だなんて、そんな大切なものを私なぞに書かせてしまって大丈夫なのでしょうか……。
楽しんでいただけましたら幸いです。
企画参加、ありがとうございました!

2013/2/10 repiero (No,106)


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