||それは謎めいたまま、


私は悪くない。

そう呟いた少女の名前は、ええと、なんだったか。あいにく忘れてしまったが、少女はそう言って、それから逃げるようにその場を走り去っていった。蔵と一緒に呆然とその背を見つめ、へなへなとへたり込んだのだけはよく覚えている。あの頃はまだ幸せで、この少女のように、私をいじめるような輩は何人かいたけれど、でもそれでも、その頃はまだ平和で楽しかった。

『悪くない、言うても、明らかにお前らが悪いっちゅうか』
『いいよ、別に。それだけ蔵が人気者ってことでしょう?』

クスリ、と顔にあざをつくって微笑んだ私の顔は、蔵にはどう映っていたのだろう。愛おしかっただろうか、切なかっただろうか、憎たらしかっただろうか、どうとも思わなかっただろうか。別に今更あの時の蔵の気持ちを問いただそうとは思わないが、いくらいじめを受けてもへこたれずに笑う私は、蔵にとってどういう存在だったのか、というのは気になるところだった。別に、悪い印象でなければそれで良いのだが。けれどそのあと起こったことを考えれば、少なからずその笑顔が彼を傷つけていたのは間違いない。

『綾乃、別れよう』

あまりに真剣な顔で、そして泣きそうに言った彼は、最後の最後まで笑っていた。私はと言うとその言葉が衝撃的すぎて受け止められず、ただぱちくりとまぶたを一度瞬かせただけだった。それからようやく我に返って理由を問いただせば、あれは嘘だったのか本当だったのか、『お前を嫌いになった』、という声がかえってきた。

『それならなんで、そんなに泣きそうなの』

自分だって泣きそうになっているだろうに、私は蔵にそう言った。すると彼は顔を顰め、そんな事はない、と強がるように言って、それからじゃあ、と踵を返してしまった。それからいじめはぱったり止み、身体中にあった傷は癒えたが、でも心にはぽっかりと穴が開いてしまったようだった。蔵が私を嫌いになっただなんて、信じられなくて。
その後すぐ、蔵が私をよくいじめていたグループのリーダーと付き合いだしたことを知り、なんだか裏切られたような気分になって全てがどうでも良くなってしまった。あれから数ヶ月と経つが、彼らは別れたそうだ。理由は、知らない。私たちが2年かけてキスまでだった関係が、彼らはどこまで進んでいたか、というのも。できれば手すら繋いでいて欲しくないものだが、まぁ、それは実際に現場を目にしてしまったので叶わぬ夢である。
そんなことを考えていたら、ぼんやりと、初めてキスをした後のことを思い出した。

『蔵』
『・・・ん?』
『わたし、幸せ』

本当に、よく笑っていたものだ。昔の自分がとてつもない英雄か何かに思える。蔵がいれば幸せだなんて、そんな甘っちょろいことを思っては、彼を見る度それを再確認していた。私が笑えば蔵が笑う、だからどんなに辛いことがあっても、せめて笑顔でいよう。たしか、そんな健気なことまで考えて。

蔵、と小さく呟いて、少し離れたところで真面目に授業を受けている彼をじっと見つめた。自習ということでみんなガヤガヤとうるさいが、彼だけは真面目だ。そして彼を見つめる私の姿も、きっと周囲には真面目に映っているだろう。

――さて、私が笑えなくなったのは、一体いつの頃だったか。


れはたま


呟いて、そっと目を伏せた。
――――――――――――
企画へのご参加ありがとうございました!
自己満足だけは最高潮です。

リクエストありがとうございました!

2013/2/9 repiero (No,99)


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