||相互愛


秋めいた日のある朝のことだった。

目が覚めたのは前と変わらぬ時間で。時計の針は6時ぴったりをさし、窓辺から差し込む光がたしかに朝を告げていた。昨日までずっと降っていた雨は、もう面影すら残していない。身体を起こすと、ベットがキィと軋んだ。本当ならばもう少し寝ていたいところだったが、脳裏に過ぎる光景と言葉を思えば、そういうわけにもいかなかった。

「・・・いってきます」

手早く準備を済ませ、鞄を片手に玄関を出た。登校路にはまだ誰もいない。私が学校につく頃には、ようやく活気もあふれ出すだろう。しかし今はまだ、頭上で鳥の声が途切れ途切れに響くばかりだ。

「あ・・・、柳生君」
「おや、峰里さんではないですか」

声をかけた前方の男性は、おはようございます、という落ち着いた声と共に頭を軽く下げた。私も俯きがちに返すと、柳生君は小さく微笑んだ。

「この時間に登校とは、ずいぶんお早いですね」
「・・・そうかな。朝練の時は、いつもこの時間だったよ」

しかし、それもあくまで過去の話だ。もうみんなと朝練や部活をすることはないし、彼らのテニスを見ることもきっとないだろう。私たちのテニスは、夏に終わってしまったのだから。

「・・・マネージャー業、あなたがいなくなると大変でしょうね」
「また新しいマネージャーが見つかるまでの辛抱だよ。・・・それより、私は赤也君のほうが心配だな」
「切原君なら大丈夫でしょう。彼にはそれだけの器がある」

そう言って少し目を細めた柳生君には、ずっと先の将来のことが見えているような気がした。大切な後輩のことを、労わっているような瞳でもあった。
私はそんな彼を見つめ、また俯いた。みんなとの約束を思い出す。彼らの優しさを思うだけで、きゅぅ、と胸が締め付けられる気がした。

「・・・や、柳生君は、どうしてこんな早い時間に?」
「私ですか?私は風紀委員の仕事があるので」
「そっか。・・・大変だね」
「いえ、そうでもありませんよ」

彼がどうしてこの早い時間に登校しているかは、本当の事を言うと既に知っていた。にっこりと穏やかに笑う柳生君は、私の考えることなど到底知りもしないのだろうけれど。そうに決まっている。彼にとってはテニスが全てであり、仮にそこに少しでも隙間があったとしても、私が入り込むことはできない。テニスがなくなった今でも、隙間がいくら大きくなっていようと、それは変わらない事実のはずなのだ。・・・そうでもなければ、彼が私の思いに気がつかぬはずがないのだから。いや、もしかしたらとっくに気がついているのかもしれないが。

「今日、数学のミニテストあるよね。やだなぁ」
「峰里さんなら大丈夫ですよ。数学は得意だそうですし」
「・・・あれ、知ってたの?」
「ええ。チームメイトのことですから、少なくとも得意教科くらいは当然知っていますよ」
「そ、そっか。なんかちょっと嬉しいな」

思わず表情を綻ばせると、柳生君は驚いたように目を瞬かせた。しかしすぐに優しげに微笑んで、また前を向いた。しばらくの無言が流れる。その中で、自分の心音がどくんどくんと早鐘を打つ。隣に立つ彼に聞こえてしまうような気がして、それを思うと頬が火照った。3年間も片思いした相手が、今こうして「友達」、あるいは「チームメイト」として隣に立ってくれている。決して届かないと思っていたから、それだけでも私にとっては十分すぎることだった。
でも、欲深い私は、それだけじゃ心はまだ満足できない。友達としてでも、チームメイトとしてでもなく、私が、望んでいるのは。

「・・・や、ぎゅくんは。好きな人とか、いないの?」
「好きな人、ですか?」

きょとん、という効果音の似合いそうな表情で、柳生君が再びこちらを見る。私はそれを見上げ、できるだけ明るく笑って見せた。いつもどおり、いつもどおり。みんなにせっかく応援してもらったんだから、今日だけは頑張らないと。

「そうですね・・・」

柳生君は困ったような顔で考え始める。私はそれに眉尻を下げ、熱心に上を向いていた頭を重たくおろした。
みんな・・・、テニス部のみんなは、大丈夫だと言ってくれた。柳生はこの日は朝早く出るから、その時に一緒に登校して告白しろ、と。絶対に大丈夫だ。心配するな。綾乃は柳生だけを見ていれば良い。
みんながみんな、そう言って私の頭を撫でてくれた。でも、やっぱり。柳生君を困らせるようなことは、私はしたくない。こんなこと、聞くべきじゃなかったんだ。そう思って口を開こうとした私を、柳生君の声が遮った。

「いますよ」
「・・・え?」
「ですから、好きな人、いますよ」
「え・・・、そ、なの?」

うっかり立ち止まってしまいそうになった。全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになって。でもそんな事になったら柳生君に迷惑をかけてしまうから、一瞬だけ止まった身体を無理矢理動かした。柳生君に好きな人がいるだなんて。視界がぼやける。ここで泣いたらもっと柳生君に迷惑がかかるのに、涙が零れ落ちそうになった。
口を開く。震える唇を動かす。何を言えば良いのかもわからなかったが、とにかく必死で笑顔をつくって喉を震わせた。

「へ、へぇ・・・、そうなんだ・・・・・・」

それ以上は、言葉が出なかった。重たい空気と、締め付けられる心に耐え切れずに、ぽろ、と一粒涙が落ちた。柳生君が息を呑む。私は唇を噛んで足を止めた。

「峰里さ・・・」
「ごめん」

後ろから柳生君に名前を呼ばれた気がした。でも反応はできなかった。あふれ出す涙をごしごしと擦りながら、逃げるように走った。後ろから追いかけるような足音が聞こえたが、きっとそれも幻聴かもしれないと思った。けれど、すぐに肩をつかまれる。身体を反転させられて、焦ったような顔をした柳生君と、しっかり向き合わされた。
柳生君の悲しそうな声。怒ったような、心配するような瞳。柳生君の優しさだと思った。こうして彼が私を追いかけてきたのは、ただの彼の優しさでしかないと。けっきょく、彼の瞳に私のことなんて、

「・・・・・・ないで」
「え?」
「これ以上、優しくしないで!!」
「峰里さん!!」

また柳生君の腕を振り払った。涙がぼろぼろと頬を伝っていって、でももう隠すことはしなかった。酷いぐちゃぐちゃの泣き顔で柳生君を見つめながら、せめて最後に伝えてやろうと、精一杯の無理矢理な笑顔で言ってやった。

「好きなの」
「峰里さん?」
「私、柳生君が好きなの」

柳生君が目を見開く。私は一歩、後ずさろうとした。しかしそれを阻止するように、柳生君の腕が私を引き寄せた。抱き締められている、ということを自覚するのに、そう時間はかからなかった。

「好きです」
「え・・・、」
「私も、好きですよ。峰里さんが」

聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。彼は一体何を言っているのかと、全身が必要以上に彼の言葉への理解を求める。抱き締められている腕は、振り払えなかった。

「好き、って・・・友達とかじゃ、ないんだよ?」
「勿論です。私は、ひとりの女性として、貴女を好きなんです」
「・・・・・・ほんとに、」

柳生君がうなずく。抱き締められる力が強くなった気がした。私はそっと彼の背に腕を回し、自分も力を込めた。

「峰里さん」
「は、い」
「好きです。お付き合いしてくれませんか?」
「・・・はいっ」


相互


抱き締められた温もりを感じながら、赤い頬に、嬉し涙が流れていった。
――――――――――――
雰囲気だけでも切ない感じに、と思ったのですが難しいですね……。
リクエストありがとうございました!

2012/9/7 repiero (No,67)


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