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※この作品は、間違った隣人の続編になります。こちらの本編を読まれた後での閲覧を極力推奨いたします。※

時の流れというのは早いものだった。
そして、記憶が薄れるのも。





夜は好きだった。朝の清々しさと昼の泥臭さを、全てこの漆黒でもって隠してくれるから。と同時に、いずれ訪れてしまう新たな「明日」への疲労感と嫌悪感を、否応がなしに増幅させてしまう夜は大嫌いだった。
けっきょく俺が夜を好きなのか嫌いなのかと問われれば、たぶん答えは死ぬまで出ないのだろう。それに何故、と問う人がいたとしたらその人は間違いなく愚者で、愚問だ。全ての疑問に答えを求め、己の命のある内に些細なことから壮大なことまで明確に「正解」を見つけることができる人は、恐らく過去にも現在にも未来にも存在しない。
俺が夜を好きか嫌いか、という疑問は、その「解き明かせない答え」のひとつにあたるのだ。

街中は平穏である。雑多と極彩色にまみれた繁華街はここにはなく、都会には似つかわぬ静寂だけが人々に平等に訪れる。数ヶ月前にここに越してくることを決めた時、その決め手となった最大の理由がそれだった。過去の判断が間違いだったとは少しも思わないが、けれど越してきたことを後悔しているのも確かな事実だった。だって、「彼女」と出会ってしまった。それなのに今、その「彼女」がいない。

「ねーぇー、精市ぃ?」

腕に絡みついた女が、甘ったるい声をあげて俺の名前を呼ぶ。産まれてこの方、己の名前を特に嫌に思ったことはないが、しかしこうやって大して知りもしない女に易々と名を呼ばれるたびに、どうしようもない嫌悪感が身を襲った。ちなみにこの女、親しげにしてきてはいるが会うのは2度目であり特に親しんだ覚えはない。更に言えば名前を教えた覚えもなかったりする、がそんなのは俺の人生においてよくあることなので、そこについての違和感はとうに抱かなくなっていた。

「聞いてるのぉ」

少しでも目線を合わせたり声をあげたりしては終わり。それは長年の経験でわかっていることだったので、そちら(仮に女Aとしよう)も見ずに無言で振り払った。女Aがよろめくのがわかる。一方通行の知り合いにベタベタ触られたら、気分が悪いのがわからないのだろうか。

「ま、待ってよぉっ」

待つわけもなく。

「精市ってばぁ!」

返事を返すわけもなく。

「・・・、・・・!」

もはや遠く後ろの方で何を言っているのかわからなくなった頃に俺はようやく息をついて、しかし油断はできないので一気にそこから走り出した。今度こそ女Aの声は聞こえなくなる。振り向いたが、姿はなかった。諦めたか、それとも撒けたのか。まあどちらでも良いか。どうせもう会うこともないだろうし。

不覚にも女Aに気をとられてしまい、走りついた先は自宅とはほど遠い公園だった。少し抜ければ大通りがあり、そこそこの賑わいを見せる町並みを拝むことが出来る。ここからタクシーか何かで帰っても構わないが、今日はなんとなくそんな気分でもなかった。たしか近くに居酒屋があったはずだ。仕事の付き合いで一度行ったことがある程度だが、なかなか料理も美味しいところだったし、気休めによるには調度いいかもしれない。

「いらっしゃいませー」

貼り付けた笑みをこちらに向ける店員。バイトの高校生か何かだろうか。本来この時間にこんな場所で働くのはいけない筈だが、しかしその表情に残った幼さはどう考えたとしても若い学生のものだった。周囲も気付いているだろう。わざわざ彼女に声をかけてそれを確かめたり諌めたりする人がいないのは、ここが酒の席で、そしてそういった類の労働者が、居酒屋においてわりに多いという事実があるからかもしれない。

「生をひとつ、それから、何かオススメのつまみも」

飲んだくれるほど長居をするつもりもないし、けれど何も食べずに店の迷惑になるのも申し訳ない。軽く居座っても煙たがられない程度の適当な注文をして、カウンターではぁ、と息を吐けば急に疲れが押し寄せた。待っている間も暇なので、何とはなしにまわりを少し見回す。当然だが知り合いはいない。自宅からも会社からも遠いようなこの場所で、知り合いに会えるというほうが珍しいかもしれない。

と。そう、思っていたのだが。

「んー!!これ美味しー、ほら、希も食べてー!」
「いいよ、私は。・・・あんた、できあがってない?」
「気のせいだよー、ほらぁ、たーべーよー」
「い、いいって・・・、んぐ。あ、美味しい」
「でしょー!?」

どこかで聞いた声どこかで見た姿どこかで恋焦がれた「彼女」の存在。
うそだ、と無意識に自然とこぼれた声は、まるで自分のものではないかのように上擦って、遠く離れた場所で聞こえてきた。一度目を伏せ、そうしてまた開く。彼女の姿は変わらずそこにある。隣にいるのは、友人だろうか。なんとなく友人は少なそうだと思っていたが決してそんなことはなかったらしい。・・・いや、今はそんなことどうでもいい、

(希さん、だよね・・・?)

まずは一度落ち着いて、再度彼女を見つめなおす。見紛うはずがない、あの人は間違いなく希さんだ。数ヶ月前、突然どこかへ越していってしまった希さんその人。自分が越してきて今では3ヶ月経つが、彼女がいなくなったのはちょうど1ヶ月目が過ぎる辺りだったし、実に2ヶ月ぶりだろうか。久しぶりに見る彼女はなんら変わらず美しく、そして彼女に向ける俺の気持ちも、前と同じ、代わり映えしないでいた。

「あー、飲んだ飲んだ!さいこーの気分ですわー!」
「ちょっと、大丈夫?ふらふらしてるけど」
「だーいじょぶだいじょぶ!希は相変わらずお酒強いねぇ」
「あんたが弱すぎるだけでしょう」
「あははぁ、言えてるかもっ!」

彼女たちの談笑は続く。そろそろお開きの時間なのだろうか。しかしまだ少し話し込むようで、しばらくの間、最近なにがあったとか会社の同僚がどうだとか、そんな世間話のような内容が続いた。その間に俺の注文した品が届けられ、それを軽く嗜みながら会話に耳を澄ます。と、その内に、話題が今の住居についての話にうつった。少しだけ前のアパートについてのことも触れながら、希さんが淡々と話を進めていく。もしかしたら、俺の話は出るだろうか。住人についてはあまり触れていないが、ひょっとすれば何か、名前だけでも、

「それより、そっちはどうなの。私の話なんて聞いてもつまらないでしょう」
「えー、わたし?わたしはねー、そう、隣の部屋の人がかっこよくてさぁー」
(・・・触れられるわけもないか)

彼女たちの話題はどんどんと流れていく。俺の話など出るわけもなかった。そうだ、うっかり忘れかけていたが、彼女は2ヶ月前、俺に何も言わずに引っ越していった人ではないか。そんな彼女が俺を気にかけているわけもなかったのだ。下手をすれば忘れられているかもしれない。

「じゃぁー、そろそろ帰ろうか!私、先に会計行ってるよー」
「あ、うん」

お開きになるようで、二人が立ち上がる。友達の方は先に会計にいき、希さんは携帯を確認してから後を追うように会計に向かっていった。それに俺も、ほとんど無意識に、つられるようにして立ち上がる。

「希さん」

彼女を呼び止めたのも、無意識だった。

「精市さん」

特に驚いた様子もなく、振り返った彼女は俺を見て当り前のように名前を呼んだ。久しぶりの再会にも関わらず、俺と会うことなどなんとも特別とは思っていないような表情だ。それが悲しくて、眉尻がさがりそうになる。

「久しぶりだね」
「・・・お久しぶりです」

平々凡々とした、社交辞令のような会話。会話と呼ぶのも無理があるかもしれない。

「ねぇ」

俺は口を開く。彼女はただこちらを見つめている。居酒屋の明かりに煌く瞳が、少しだけ、ちらりと揺れた。

「少し、話していかないかい」

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