||雨宿り


梅雨というものは、雨があまり好きでない私にとって本来歓迎されない時期の筈であった。
私は停車したバスの中で立ち上がり、料金を機械に入れて人気のないバス停に降り立った。その途端に雨に晒される。すぐにバス停のボロ小屋に入って、発進した寂しいバスの後ろ姿を見やる。今日もこのバスの利用者は、私と老人と、若い女性の3人だけだった。

「……あった」

ボロ小屋を振り返り、目当てのものはないかと見回すと、やはりいつもの定位置に、それがさりげなく置いてあった。
赤い、番傘。持ち柄に手を伸ばし、存在を確かめるように握ると、まだ微かに暖かいような気がする。この傘の本当の持ち主が、先程までここにいたのかもしれない。私は傘を持ち上げ、外に向かって広げると、それをさして歩き出した。雨の音が、不思議と心地よく感じられた。


この傘と出会ったのは、ほんの1週間前のことである。その日は雨が酷く、しかし私は不幸にも傘を持っていなかった。バスを降り、ひとまず小屋に逃げ込んで、うんざりと雨を眺めた。心なしか雨足が強くなっているような気すらして、土砂降りも良いところだった。ため息をつき、それから走って帰ろうと決心を固めたところで、カタン、と後ろで音がした。振り返ると、立派な赤い番傘が壁に立て掛けるようにして置いてあったのだ。このバス停の利用者などそれこそ自分だけだと思っていた私は、一体誰の忘れ物かと驚いた。心当たりなど当然のことながらない。自分のものではないし、持ち主が持って帰るまで放置しておくのが妥当だろう。そう思って再び酷い天気の外へと身体を向ける。

ザアアア、うるさく雨が鼓膜をうならせる。土砂降りの雨と存在を主張する赤が、私の思考を傾けていく。

「…………」

私は傘を取った。灰色の空にむけてさし、その下に入る。おかげで雨はほとんど当たらない。私は歩き出し、申し訳のない気持ちと、誰のものともわからない傘と共に帰宅した。明日の朝、謝罪の言葉と手作りのお菓子と一緒に返すことを心に決めて。


それからというもの、毎日バス停にはあの傘が置いてある。朝わたしがお菓子と共に返し、帰りに借りる頃には傘だけが置かれている。そして翌朝また持って行くと、お菓子へのお礼が書かれた縦書きのメモが残されている、とそんな具合である。雨がふる度に傘を借りているが、今のところ持ち主には会えていない。一体誰なのだろうと気にしたことはあったが、簡単に会える筈もなく、会ったところで何かあるわけでもなく。梅雨はまだもう少し続くが、それが終われば、私は相手の顔など知ることなくこの奇妙な関係を終わらせてしまうのだろう。
けれど傘を借りはじめて2週間が経つ頃、私な思いがけぬ新たな出会いを果たすことになる。

(……)

いつもの時間、バスに乗った。なんら変わりない、ただの日常である。その日も雨は降っていた。
乗り込んだ時にはいつもいる若い女性がひとり、そしていつもは見かけない若い男性もひとりいた。はじめは珍しいな、くらいにしか思わず、気にはしなかった。間もなく老人が乗り込んできて、自分の降りるバス停までもう少しだという時、私は気がついてしまったのだ。

(……あ、)

私の視線が、若い男性の方で止まる。男性の手には、まさしく例の赤い番傘が握られていたのである。間違いない、あれはいつものあの傘だ。

(どんな人なんだろう)

男性は私より前のほうに座っているため、顔は見えない。背が高い人のような気はした。彼の黒髪が揺れ、僅かに後方に顔を向ける。口元がちらりと見え、ふ、とその人が笑った気がした。
間もなくバスは私が降りるバス停へ止まり、私と彼が同時に立ち上がった。彼はすたすたとバスを降りていく。自分も追いかけるようにしてバスを降りた。雨が私を濡らす。彼はまだ小屋の前で立ち止まっている。

「あの……」

声をかけた、その瞬間、彼が振り向いて私の上に傘をさした。驚いて、言葉が止まる。初めて見る傘の本当の持ち主と、視線が絡む。

「……ふむ。傘と一緒にお菓子をくれていたのは、君か?」
「え、あ、はい」
「そうか、いつもありがとう」

彼が微笑む。傘が揺れる。雨音が騒ぎ出す。

「……っ、」


宿り


こちらこそ、と続いた声は頼りなく、けれど彼はその声に確かに笑った。どくん、と心臓が大きく高鳴った気がした。
――――――――――――
無理やり詰め込みましたが、中編向きなネタだったかもしれません。

2/28に書いたもののようです。

2013/7/15 repiero (No,136)

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