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「柳くん、ちょっと」

またか。
本日二度目となるその声にうんざりと振り返って、けれど表情には出さずに穏やかに微笑んだ。声をかけて来た女はいわゆる一方通行のお知り合いで、俺からの面識は塵ほどもない。そのくせ知ったような顔をして近づいてくるんだから本当に面倒だ。せめてそれらしき名目でも語ってくれれば、俺とて最初からこんな偏見まみれな対応はしないのに。

「あのっ、柳くんに伝えたいことがあって……今、いいかな?」

期待をこめた上目遣いを若干冷ややかに見下ろし、内心だけでため息をつく。”伝えたいこと”の内容には大方予想がつく。自意識過剰と言われたとしても、何度もこんな場面に遭遇していれば、その先に起こりうる出来事をある程度決めつけてしまうのは致し方ないことだろう。

「すまないが、これから用事があってな。忙しいんだ」

決まり文句のように言い放てば、女は一瞬泣きそうな顔をしてすぐに走り去っていった。ずいぶん諦めが良いものだ。若干の罪悪感こそ残るが、名も知らぬような相手の用事を優先させる義理はない。女の姿が見えなくなってようやく、俺は今度こそ大きなため息をこぼすことができた。
「用事がある」と言ったのは、何も意地悪で嘘をついたわけではない。誘いを断るには少々説得力に欠けるかもしれないが、それでも俺にはしっかりとした用事があった。それを果たすべく、いつもより気持ち早足で廊下を進んでいく。

「…………」

たどり着いた先は図書室だった。しかし、扉はしまっている。少し急いで来すぎてしまったらしい。授業が終わってすぐに向かってきたとは言え、委員よりも早くついてしまうとは少し焦りすぎたようだ。けれどつまりそれは、委員であるあいつはまさに今からここへやって来るということ。

「早いね、柳さん」

予想通り姿を現した相沢の姿に笑みを零す。思わず口をついて出そうになった言葉を喉の奥にしまいこんで、代わりに当たり障りのない一言を返した。いつもより少し回転の早い頭は色んな、たくさんの言葉を彼女に用意しているのに、そのどれもがこの場に不釣合いな気がして上手く音にならない。口内はカラカラに乾いてしまっている。
どことなくこの状況は、幸村や仁王と腹の探り合いをしている時に似ている気がする。それと、目上の人間と一対一で話している時にも。

これはそう、いわゆる――緊張だ。

俺は相沢と話しているこの状況に、酷く緊張してしまっている。視線をそらすのは失礼なことだとわかっているのに、彼女の方に目を向けることができない。彼女はこちらの様子など少しも気に留めていないにも関わらずだ。

「また本、借りに来たの? 好きだねー」
「それを言うならお前もだろう」

彼女の後に続いて図書室に入り、扉を閉める。すぅ、と息を吸い込めば、詰め込まれた本の匂いと共に少し冷たい空気が肺を満たしていく。図書室に入るとき、いつもする癖だ。深呼吸ひとつで、ここの空気をより色濃く感じることができる。
相沢はさっさと奥の方に入っていくと、カウンターに入って帳簿のようなものを開いていた。真面目な顔で帳簿を見下ろしている様子が少し可笑しくて、小さく笑みを浮かべる。すると相沢がぱっと顔をあげて俺を見る。

「柳さん、ちょっと」

どきり。
再び震えだした心臓の音が頭中に大きく響く。さっきも聞いたばかりのそのフレーズがフラッシュバックして、笑みを作る表情がぎこちなく固まる。なんだ?なんて他人行儀な、あまりに簡単すぎる返事をやっとのことで口にする。

「この本、ずっと返してないみたいなんだけどわかる?」
「……あぁ、それならしばらく前に返している筈だ。きちんと委員を通したんだがな」
「そっかぁ。じゃ、記録ミスだね。ありがとう」
「あぁ」

期待外れの話題は、あくまで普段通りに交わされて消費されていく。

『あのっ、柳くんに伝えたいことがあって……』

いくらなんでも、意識しすぎだ。全く彼女の近くにいるとどうにも調子が狂う。仮にあの名も知らない女生徒と同じ用件を持ち掛けられたとして、今の自分がすぐに色よい返事をできるとも思えないのに。
けれど紛れもなく大きくなりつつある想いに気付かないふりをできるほど、俺も器用ではない。
唇にシャーペンを当て、真剣そうな表情で作業を続ける相沢の横顔に、ばれない様にそっとため息をついた。

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