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横たわる親友の身体を見て、私は世界の終わりを思った。
何度呼んでも彼女の優しい声は返ってこないし、起き上がることもない。あんなに可愛くて綺麗だった親友なのに、今は血にまみれて汚れてしまっている。大きな車体に弾き飛ばされたせいで、嫌な方向に曲がった腕が残酷さを余計に引き立たせていた。
そばに落ちていた「萌美へ」と書かれた手紙を拾い上げると、急に手が震えてきて息苦しくなる。私は彼女に、ごめんとすら言うことができなかった。

ただ呆然と座り込んでいる私を他所に、周囲では次々と慌ただしく事が進められていく。何が起こっているのかは理解できても、何をすれば良いのかはわからないままだ。私だけ置き去りに、ひとりぼっちにされたことがただただ悲しかった。

(こんな世界、なくていい)

お母さんはいない、親友もいない。私に残されているものは何もない。
なら、死のう。簡単に、そう思った。
どうやって死のうか、と考えながらふらりと立ち上がったとき、頭が割れるようにガンガンと痛むのを感じた。たまらなくなって頭を押さえると、目まいまでもが襲い掛かってくる。それでも無理矢理前に進もうと一歩を踏み出すと、急に視界が暗転してその場に倒れこんだ。





再び目が覚めたとき、そこは病院ではなくて私の部屋だった。でも不思議と、自宅特有のあの落ち着ける雰囲気を感じない。代わりに妙な浮遊感と、違和感ばかりがあった。
いまいち状況が把握できず、自分の身体を見下ろす。親友からの手紙はしっかりと手の中にある。続いて辺りを確認しようと顔を上げると、部屋の奥に見たことのない男が立っているのに気が付いた。恐怖は感じない。

「こんにちは」
「……、こんにちは」

呟くように言うと、男がにこりと笑った。まるで親しげなその表情に首を傾げる。けれど相手はただ笑うだけで、今起こっている不可解なできごとについて何も語ろうとはしてくれない。

「君の名前は、坂田萌美……であってるかな」
「はい」
「最近、お母さんを亡くしているね」
「は、い」
「それとさっき、大事な友達も亡くしているのかな」

はい。
涙も流れず、怒りが湧き上がるでもなく、そう答えた。ぼんやりと死という言葉を思い出して脱力し、思考が石のように固くなっていくのを感じる。絶望した時、人の頭というのはこんなにも簡単になってしまうものなのだろうか。

「可哀想に。君は今、親友に別れを告げられた時と同じく、絶望に暮れてしまっている」
「…………」
「そんな君にひとつ、救いの手を差し伸べてあげよう」
「…………」
「親友を生き返らせてやる」
「……え」

顔をあげると、男は優しく微笑んで私の頭を撫でた。何も反応できないまま呆然とただそれを見上げる。生き返らせる、という非現実的な言葉に思考が蕩けてしまいそうだ。藁にも縋るとはまさにこのことなのかもしれない。
しかし頭はすぐに冷たく冷静に戻って、ありえないと男の甘言を一蹴した。するとそれを察したらしい男が声を上げて笑う。

「信じてよ。どうせ君、死ぬんだろ?」

ただ死ぬか、最後に賭けに出てから死ぬか。簡単な話だよ、と甘ったるく声が続ける。私はそれを聞いて、ふと最後に見た親友の姿を思い出した。無残な、あのひね曲がった彼女の姿だ。綺麗だった彼女の笑顔がそれに重なる。
詳しく聞かせて、と呟くように言うと、男がくくっと喉を鳴らして笑う。

「なぁに、簡単なことだよ。俺が君を異世界に飛ばしてあげるから、そこにいるある男の子を自分のモノにしてみせてくれれば良い」
「それだけ?」
「それだけさ。それができたら、親友を生き返らせて、元の世界に戻してあげる」
「……へぇ」

混乱で、正常な判断ができなくなっていたせいかもしれない。
明らかに胡散臭いその言葉に私が抱いたのは、「なんだそれだけか」というあまりに軽い感想だった。実際それで親友が生き返るのなら安いものだと思ったし、嘘だと言うなら異世界だろうがなんだろうが自殺して、親友のあとを追ってしまえばいいのだ。男の言葉は酷く魅惑的なものに聞こえた。
どうする?と尋ねてきた男に素直にうなずくと、男は嬉しそうに笑った。何故自分にこんなことをしてくれるのか、そもそも男が何者なのかは全くわからなかったけれど、今はどうでもいい。親友が傍にいてくれるのなら、それで良いと思った。

「なら、一つ条件」

視線を合わせるようにして腰を曲げ、男は顔に柔和な笑みをぴたりと張り付けた。それまでは優しそうな顔に見えていたのに、急に作り物のように見えてしまって怖くなる。でももう、引き下がることはできなさそうだった。
男は私に、ひとつ偽名を考えるように言った。別の世界で暮らすには、別の名前に生まれ変わらなくてはいけない……らしい。本名が向こうの世界の人たちにバレたら、私は強制的に元の世界に戻らなくてはいけないんだそうだ。慎重に決めることだね、と言った彼は少し愉しそうだった。
偽名か。考えてみて、ふと浮かんだのは親友の名前だった。身内の名前では苗字が被るし、ちょうどよく名乗るべき偽名を持ち合わせているわけでもない。それを考えれば、一番近しい彼女の名前を使った方が馴染みやすい気がした。
それに、と私は未だ手の中にある手紙に視線を落とした。異世界に行って、親友の死を忘れないようにする為にも……これはきっと必要なことだろう。

「名前は決まったかな」
「はい。……高橋恵理佳にします」
「親友の名前か。はは、皮肉なものだね」

男は笑って、でも納得するようにうなずきながら私の頭を撫でた。大きいけど、冷たい手だ。

「それじゃあ、最後にひとつだけ注意。別の世界に行くと、君は前の世界での出来事を忘れてしまうんだ」
「記憶をなくす、ってことですか?」
「いいや。なんていうかな、これまでの記憶を自分のことだと思えなくなるというか……他人事に思うようになる、というか……」
「……それなら、大丈夫です。死別の辛さを、忘れるわけない」
「そうだと良いけど……、忘れるなよ。俺は高橋恵理佳の味方じゃなく、あくまで坂田萌美の味方なんだからね。あまり名前にのまれているようなら、この話はそもそもからして白紙になる」

のまれる、か。思いのほか真剣な男の顔にぼうっと笑みを返して、小さくうなずいた。言葉の真意はわからないけれど、わからずとも、私はやらなくてはならなかった。
男は行こうか、といって私にあの大きな手のひらを差し出した。私は手紙を持った手をそっと見下ろして、もういちどしっかり握り直してから反対の手を伸ばした。手と手が重なる。きっともう戻れない。男の優しげな目に対して、私の目は虚ろなままだ。

「それじゃ、行こうか」

視界がだんだんと暗くなっていく。
その日から、私は高橋恵理佳になったのだ。

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