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萌美へ。

そう書かれた手紙をポストに入れかけて、ふと動きを止めた。逡巡し、投函できないままに腕を下ろす。何度も推敲してようやく書き上げた想いなのに、それは結局届くことがないままに鞄にしまわれてしまった。
私はポストに背を向けて歩き出した。

(萌美、怒るだろうなあ)

ぼんやりと宛先の彼女を思い浮かべる。鞄の中では、役目を失った手紙がいつまでも存在感を放っている。私の弱さの象徴みたいで鬱陶しい。どうせ出せないくせに、私の頭は手紙のことに拘泥している。自分の裏切りの免罪符のつもりで書いたからだろうか、私にとっても恐らく相手にとっても、重たいものになってしまった。
後悔と情けなさが私の歩みを迷わせる。頭の中では臆病な言葉ばかりぐるぐると回って、うるさいくらいだった。そんなにウジウジするくらいなら最初から直接伝えれば良いのだ、と脳内では萌美が説教を始めている。それが可笑しかった。
足取りは相も変わらず遅い。半分は未練、もう半分は単純に暑さのせいだろう。この茹だるような暑さの下では、できるものもできなくなる。やる気もなくなる一方だ。それに、ここ最近は準備でずっと忙しかったから、疲れが溜まってしまっているんだろう。早く帰って休みたいと思う一方、歩みが速まるような気配は一向に見えなかった。

「おーい!」
「……え、あ」

萌美、と小さく息が漏れる。遠くから彼女が笑顔で駆け寄ってきていた。それを嬉しいと思いつつも、内心動揺した。もう会えない、この手紙で最後だと言うつもりでいたのに……これは私の臆病に対する罰なんだろうか。

「久しぶり、元気そうだね?」
「……うん、元気。萌美も元気そうだね」
「何してたの? これから用事?」
「ううん、もう帰るよ。萌美は?」
「私も帰り。久しぶりに、一緒に帰ろうか」

萌美がにっこりと笑う。それにうまく笑い返せないまま、並んで歩き出した。
歩いている間、私は萌美の様子が気にかかって仕方がなかった。手紙のことは勿論だが、それよりも、萌美が今どんな気持ちでいるのかが怖かったのだ。今はもう大分落ち着いているとはいえ、彼女はほんの少し前に母親を亡くしている。元々父親がおらず、母子二人暮らしだった彼女にとっては相当なダメージだったはずだ。親友として心の支えになれている……と自負してはいるものの、本当に力になれているのかはわからない。だからこそ、彼女が辛い思いをしていないか、心配で仕方なかった。

(……それに)

萌美の横顔を盗み見る。

(私はもうすぐ、萌美を裏切ることになるんだもの)

そう思うと苦しくて、鞄の中にしまい込んだ手紙が急に重たくなったような気がした。
ある交差点のそばで、私は萌美を促して近くのベンチに座った。疲れたから休憩しようと、そんな嘘とも本当ともつかないことを理由にした。大事な話があると言えば良い事だろうに、言えなかった。私は臆病だ。

「あーもう、ほんとあっついね。だから夏って嫌いなんだよなぁ」
「ふふ、私は好きだよ。確かに暑いけど、イベントいっぱいだし」
「それはそうだね。一緒にまわるの楽しいし!」

嬉しそうな顔でそう言われ、つられて笑った。今年の夏祭りは楽しかったね、とか、花火綺麗だったね、とか。プールも行ったよね、なんて思い出話をして、お互いまた笑顔を作る。私たちはずっと仲良しの、親友だ。できればこの先もそうありたい。
でも――とやはり考えは堂々巡りにふりだしに戻り、私は会話の途中でしばらく黙り込んでしまった。萌美が私を心配そうにのぞき込む。お母さんを亡くしたばかりで、辛くて、ひょっとしたら誰かにあたってしまいたいくらいかもしれないのに、萌美は優しい。本当に素敵な、私の友達。

「あのね……萌美に、言わなくちゃいけないことがあるの」
「ん? なに、どうしたの?」

ドクン、と心臓が大きく波打つ。大きくて強い脈動なのに、胸がきゅうっと苦しくなった。ようやく言う決意をして口を開いたのに、情けない。ギリギリまで待った方が良かったんだろうか。それともやっぱり手紙に任せて、去るのが良かったんだろうか。でもそんな風にはやっぱり、したくなかった。
じわじわと私たちを蒸す太陽とは別に、冷たい汗がこめかみを伝っていく。嫌な空気だ。

「私ね」

すう、と大きく息を吸い込む。

「三日後に引っ越すの」

萌美の返事はない。私は隣を見ることができないままに続けた。準備を進めていること、かなり遠くに引っ越すこと、もう会えないかもしれないこと。もちろん友達をやめる気はないから、手紙のやりとりぐらいはしたいね、と一人でに喋った。真っ白になった頭はどうしようどうしようと、恐ろしさや緊張で混乱してしまっていた。それでもようやく、ひきつった顔で隣を見た。萌美は、何の表情も浮かべていなかった。

「……萌美?」

返事はない。

「あの……」
「なんで?」

遮るように言葉が飛んでくる。萌美は、何にも映していないような空虚な目で地面を見つめていた。暗い顔、暗い声色、鋭い言葉。怒っているわけじゃない、というのはすぐにわかった。悲しんでいるわけでも、驚いているわけでもない。……じゃあ何か。
たぶん、絶望だ。
ひゅっ、と喉がなる。ああもう、どうして自分はこんなにも馬鹿なんだろうと後悔ばかりが押し寄せて、一瞬の内にいろんな言葉が頭の中を行き来していく。交差点を走り去っていく車の音や、アブラゼミの声がやたらと大きく聞こえた。

「私たち、親友だと思ってた」
「……」
「お母さんが死んで、辛くて苦しくて死にたくなって、でも親友がいるから頑張ろうって、まだ生きていようって思えたのに」
「萌美、ごめん、違……」
「何が違うの? なんで、なんであなたまでいなくなっちゃうの?」

ジィィ、と蝉が泣き喚く。萌美も、泣きそうな顔をして下を向いていた。

「もういいよ」

萌美がふらりと立ち上がる。声をかけるけれど、何も答えてくれない。伸ばした手も、振り払われた。私たちの間にはもう、簡単には打ち破れない分厚い壁ができてしまっていた。彼女は黙って、私から離れるように歩き出した。
途方に暮れる私の目に、彼女がふらふらと横断歩道を渡ろうとしている姿が映る。たぶん家に帰ろうとしているのだろう。重い足取りと、後ろからでもわかる気落ち具合に罪悪感でいっぱいになった。でも、まだ間に合う筈だ。もう謝れなくなる前に謝らなくちゃ、と立ち上がって、私は萌美の方に駈け出した。赤信号だから、彼女はきっと立ち止る筈だ。そしたら、許してもらえなくてもせめて謝って――、

「萌美!!」

あ、やばい、って思った。

きっとショックで周りが見えていなかったんだろう、萌美は赤信号に気が付かずにそのまま横断歩道を渡っていく。そこに突っ込んでいく一台のトラック、運転手の驚いた顔、気が付かない萌美の背中、色々なものが一瞬で見えた。やばい、ってすぐわかった。
だから咄嗟に、萌美に体当たりした。自分はそのまま転んで、迫りくる大きな車体に弾き飛ばされる。地面に落ちるまでがやたら長くて、まぶしい太陽と途中で一度目が合った。それからドン、って地面に落ちた。痛いというより苦しくって、息が詰まった感じがした。
少しずつ、でもどんどん視界が暗くなって、なんにも見えなくなっていく。その直前、鞄から飛び出たあの手紙と萌美の泣きそうな顔が見えた。萌美は何度も私の名前を呼んでくれている。身体がゆすられる感覚はあるけれど、動かない。死ぬんだなあって思った。

(萌美……)

せめて最後に、ごめんって言いたかったよ。

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