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少し、時間は経つ。
高橋さんのいなくなった屋上で、私と仁王は互いに沈黙を破れずにいた。フェンス越しに見下ろす景色は、こんな時ですらいつもと変わり映えしない。それを見ながら、何かを考え、止めて、また考えては、止めるのを繰り返している。仁王は少し離れたところで空を見上げていた。

「仁王」

ほとんど無意識に呼んだ声は、意外にも明るかった。すぐに仁王が振り向く気配があって、私も振り返る。あまりはっきりとした表情ではないが、彼は僅かに驚いたような顔をしていた。それと深刻そうな、暗い、重たい顔も。
なんとなく高橋さんのことを話そうとしていたのを堪えて、私はわざと、おどけるように明るく笑顔を作ってみせた。仁王が呆けたような顔をする。

「私、お腹すいちゃった! 教室にお菓子あるから、一旦戻らない?」
「……、」

仁王は、僅かに唇を開いて固まった。驚いたように見開かれた目、こちらを見つめるやたらと真摯な眼差し。何を言っているんだ、そんな顔でこちらを見ていた。
私は彼のそんな表情を前にしても態度を変えることなく、再びにこりと笑ってみせた。すると仁王が、ふ、と息を吐き出して肩の力を抜く。次に私を見た時にはもう、彼の顔に緊張の色はなかった。

「ええのぉ。俺もお腹すいてたとこじゃき」
「よし、じゃあ行こう!」

私は仁王の横を通り過ぎ、わざと小走りで屋上の出入り口へと向かった。迎え来る生温かな空気。不快な風当りに少し顔をしかめつつも、なんでもないふりをした。

(高橋さんのことも、赤也の拒絶反応のことも)

わからないことだらけだけど――今は忘れよう。不安ばかり抱えていても仕方ない、一度切り替えて、冷静にならなくては。だから今は冷静に、冷静に……

「……えっ」
「え――?」

ドン、と、背中を押される感覚。下り階段へと踏み出された足が大きく揺れて、着地点を見失う。足がもつれて、手がみっともなく宙をさまよって――

「きゃああああっ!?!?」

落ちた。
ガタガタと、激しい音をたてながら体が階段を転がっていく。踊り場でようやく止まった頃には、痛みに頭が割れそうになった。少し腕を動かすのすら辛い。ようやくの思いで頭をあげると、ぼやけた視界に、どうやら同じく落ちてきたらしい仁王の姿がうつった。苦痛に、綺麗な顔が歪んでいる。

「に、おう……大丈、夫?」
「……ッ、おん、大丈夫じゃ」

彼の返答にほっと息をついて、それから、見た。階段をのぼった先を。私たちの背中を押した誰かの姿を見ようとした。

「……誰も、いない……?」
「っあはは!!」
「高橋さん!?」

突然の笑い声にそちらを見れば、踊り場から更に下へと降りたところに、高橋さんが実に愉快そうな表情で立っていた。こちらを見る目は冷たく、あざ笑うようである。

「大丈夫ですか? 先輩たち!」
「…………」
「ふふっ、ふふ……余計に私を詮索しようとするから、こうなるんですよ」
「!!」

それだけ言うと、高橋さんは最後に皮肉気な笑みを浮かべて去っていった。残された私たちは、その姿を呆然と見送るだけ。痛む身体がただただ恐怖と現実味だけを肥大化させて、起こった出来事に頭がついていかなくなる。
痛いぐらいの現実感と、「拒絶反応」という悲しいくらいの非現実感が、頭の中で、ぐるぐると、笑うように回っていた。

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