||転がった絵の具
じりじりと肌を焼く太陽光線。風も無く、ただ蒸し暑いだけの厄介な日照りだった。頬筋を伝っていく汗を拭って、水筒の中のお茶を一口飲む。カラン、と溶けかけの氷が中で音を立てた。私は筆を取り、自分の影に隠すようにして置かれたパレットの絵の具を拾った。灰色をキャンバスに乗せては、その上に青を薄めに重ねていく。
(・・・まだだ)
キャンバスに生まれた色彩は一見美しいけれど、でも本物にはまだ遠い。ふぅ、と息を吐き出して、再び筆をパレットに伸ばした。
「・・・なにやっとるんじゃ?」
「わっ!!?」
突然キャンバスの向こうから顔をのぞかせた人物に、私はキャンバスごとのけぞった。私の手を離れた筆がコロコロと転がっていく。それをその人が拾って、私に差し出した。しかしあまりに驚いたせいで、私は彼を見つめたまま固まってしまっていた。
「筆、いらんのか」
「い、ります。ありがとう」
ぎこちなく筆を受け取ると、キャンバスを抱えて縮こまった。ドキドキと心臓が跳ねる。彼はその様子を訝しげに見つめ、それからキャンバスへと視線を寄越した。覗き込もうと首を伸ばしてくるが、その度に一歩後退する。
「なんじゃ、つまらん。見せてくれんのか」
「・・・まだ、完成してない、ので」
「ほぉか。じゃあ完成したら見せてくれな」
お前さん、名前は? 一拍間を置いて、彼はそう尋ねてきた。それに震える声で答える。彼はそれにへぇ、と短く返した後、俺は仁王雅治じゃ、と名乗った。名乗られなくても知っている。彼はこの学校ではかなり有名な人物だ。
「あんた、美術部なん?」
「一応・・・、」
「ふーん。なんでこんなところで描いとるんじゃ?いつもは見ぃひんけど」
「・・・今日は、写生をしに来たんです」
「っつぅことは、風景でも描いてるんか」
仁王は納得したように頷いた。私は一度筆を置き、キャンバスは相手に見せないように伏せたまま、彼の方へ向き直った。
「あの、仁王さんは、どうしてここに」
ここは校庭の隅で、テニス部である仁王はテニスコートの辺りにいるはずだ。さっきまで目立つ銀や赤の髪がテニスコートで跳ねているのは見えていたし、それがどうしてここにいるのか。しかしその疑問に答えが返ってくることはなく、仁王はただ微笑むだけだった。
「・・・ん、そろそろ帰らんと不味いな。じゃ、俺は戻るぜよ」
「あ・・・はい」
仁王はひらひらと手を振って帰っていった。その手に握られたテニスボールが見えて、もしかしてここまでボールが飛んできてしまったのかな、なんて思った。それなら仁王がここにいたのもうなずける。
「・・・あ、絵の具、乾いちゃう」
しばらくぼうっとその背を見つめていた私だったが、急にはっとなって筆を取った。絵の具を再び、キャンバスに重ねていく。
少しずつ完成を目指してのせられていく色に、私は満足げに小さく微笑んだ。
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