||類焼





「あ……」
「……関さん?」

それから約一週間後の昼休み、私は例の廊下で柳生さんと遭遇した。最近はこの廊下での悪戯もなくなり、安心する一方、柳生さんと会えずにいることを少し残念に思っていた。だから彼の姿が見えた瞬間、私は無意識に口元を緩めてしまった。

「お久しぶり、です」
「ええ、お久しぶりですね」

特に会話はない。お互いに少し緊張しているのが肌でわかる。しばらく言葉を探して、当たり障りのない話題に思い当たってそれを口にした。

「……これから、どこかに行かれるんですか?」
「いえ、どこにと言うわけではないのですが……。とりあえずは、そちらに」
「そうなんですか、私もです。……あの、少し、一緒にいても構いませんか?」
「ええ、もちろんです」

突然の提案に、柳生さんはいつも通りに柔らかく微笑んでくれた。それから並んで歩き出してすぐ、私は例の現場が近いことに気が付いた。このまま行くと、ちょうど悪戯に使われていた曲がり角がある。さすがにもうあの銀髪の彼も懲りたと思っていたから、私は特に警戒せずに歩みを進めた。

「……おっと、少々失礼します。電話が……」
「あ、はい」

柳生さんが足を止め、私だけが数歩、歩み出たその瞬間。

ばっしゃああああん。

「っ!!?」
「関さん!?」

もはや聞き慣れてしまった音が、いつもより間近で、いつもより実体感をもって聞こえた。真上から直接的にかかってくる圧力は思いのほか重たく、膝が曲がりそうになる。水の降ってくる直前、しまった、とばかりに聞こえた『……あっ』という声は、一体誰のものだったのか。落ちてきた水にびしょ濡れにされた今では、もはやそんなことどうでもよいことだが。
しん、と辺りが静まり返った頃、私はようやくこれを仕掛けたであろう張本人のいる方向を見た。それから、極々冷静に、口を開こうとした。……の、だが。

「仁王くん」

穏やかな、しかし明らかに温度の低い声音が背後から響いた。私に向けられたものではなかったのに、それにぞくりと背筋が泡立つ。驚いて振り返ると、柳生さんが無表情に私の後ろ側(きっと仁王さんの方だろう)を見ている。
漂ってくる冷えた空気に、ぞっ、と寒気がした。

「ちっ……、違うんじゃ柳生! これには深い事情が「仁王くん」すっ、すまんナリ!!」

もはやそれは悲鳴に近かった。静かに仁王さんの方に歩み寄る彼を、仁王さんは以前よりも明らかな恐怖をもって見つめている。時たま見かける彼の様子からはとても想像のつかないような、情けない姿だ。

「わかっていますね? 仁王くん」
「!」
「このことは幸村くんにもお話させていただきます。それと……後で私とも、ゆっくり、お話しましょうか」

次の瞬間、例のように脱兎の如く逃げ出した仁王さんを、柳生さんは無言で見送った。明らかな怒りのオーラが、ひしひしと伝わってくる。それに唾を飲んだ私だったが、しかしすぐに振り返ると、私の方へ慌てた様子で駆け寄ってきた。

「すみません、大丈夫ですか!?」
「えっ? あ、は、はい」
「私が気付いていれば……本当に申し訳ありません」
「あ、いえ、そんな」
「早く保健室へ」
「は……え!?」

言うが早いか、私がうなずくよりも早くふわりと身体が持ち上がった。突然のことに一瞬わけがわからなかったが、すぐに柳生さんに抱き抱えられていることに気がついた。髪も制服も、なにもかもびしょ濡れだというのに、彼は全くそんなことを気にしていない。自覚した途端に恥ずかしくなって、慌てて柳生さんの方を見る。

「お……おろしてくださいっ」
「だめです」
「あ……」

彼にしては珍しく、有無を言わさぬような態度だった。そんな風に強く言われてしまっては反抗もできなくて、私は柳生さんの腕の中で小さくなった。彼は走って保健室まで連れていってくれたが、一体その間にどれだけの人に目撃されたことか。あぁ、グッバイ私の静かな人生。

「失礼します。……おや、先生がいませんね」

どうやら到着したらしい。そろそろと目を開けると、たしかにそこは保健室だった。ベッドにおろされ、保健室においてある貸出し用の体操着を渡された。

「これに着替えてください。私は出ますので」

カーテンを閉め、心配そうに微笑むと、柳生さんは保健室から出て行った。カーテンがあるのだから別に中で待っていてもらっても大丈夫なのに、なんとも言えず紳士的だ。
私は出て行った彼の方を見つめ、ぼんやりと早る心臓の鼓動を感じていた。

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