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◇
翌朝、隣で眠っていた彼女に小さく口付けた。まだ奈菜は目を覚ましていない。しかし俺がベッドから降りようとすると、すぐに目を覚ました。
「蓮二・・・?」
おはよう、と笑いかける。すると奈菜も少し寝ぼけたまま同じように返した。彼女をベッドから起こして、服を着替える。
今日はどうしようかと、声をかけようとしたところで家のチャイムが鳴った。
「私、行って来るよ」
彼女はそう言って部屋を出て行き、しかし間もなく呼び声が聞こえて玄関へと向かった。一体来訪者は誰なのか、そう思ってそちらに向かえば、そこには仕事仲間である佐々木がいた。
「・・・佐々木か」
「そうよ。ご機嫌いかがかしら」
にっこりと笑った佐々木に、奈菜は少し怯えるように身を引いた。家の中に戻ろうとした彼女の腕を掴み、目線でここにいてくれと伝えた。今、彼女を行かせてはいけない気がした。
「遊園地でも会ったわよね。お久しぶり」
やはりにっこりと、しかしどこか棘のある口調で佐々木が言う。奈菜はそれに俯いて答えた。
◇
『今から会えないかしら。大切な用があるの』
遊園地で電話が掛かってきた時、佐々木は俺にそう言った。大切な用、と聞いて俺はいくつかの考えを頭に巡らせるが、それはどれも仕事絡みの重要な事柄ばかりだった。彼女は仕事仲間であると同時に親友と言えるほど仲が良いので、もっと身内的な相談かもしれない。どちらにせよ、すぐに会った方が良さそうだ。
「今どこにいる」
『遊園地よ』
更に詳しく聞けば、どうやらこの近くにいるとの事だった。それなら相談に乗れる。しかし、その為には奈菜を待たせなくてはいけない。せっかく久しぶりに遊びに来たと言うのに、それでは意味が無い。
だが。
「わかった。そこで待っていてくれ」
俺は、佐々木を優先した。どこか奈菜ならわかってくれるだろうという、甘えがあったのだ。
それを奈菜に言えば彼女は泣きそうな顔をして走り去っていってしまった。後悔しても、それは遅くて。仕方なく佐々木のところに向かえば、奈菜も鉢合わせてしまっている。しかしいちいち説明しても逆効果だと感じ、俺は佐々木を連れてその場から立ち去った。"今夜は帰れそうに無い"という旨のメールも送って。
「良かったの?あの子を放ってしまって」
「・・・あぁ」
「クス・・・、そう」
それから暫らく、彼女と遊園地を回らせられた。何時まで経っても本題に辿り着かず、俺は少し苛立っていた。こんな事なら奈菜と一緒にいれば良かったと、しかしそう思ってももう遅い。
「佐々木、用事が無いのなら俺は・・・」
「あるわ。ちゃんと」
あるカフェで切り出せば、彼女はそうハッキリと返してきた。
「・・・あなたの彼女、名前はなんて言ったかしら」
「・・・・・・奈菜だ」
「そう、奈菜さんね。・・・随分とちんけな女だこと」
「それは冗談のつもりか?」
「いいえ、本気よ。あんなブスやめて、私と付き合いなさい」
佐々木はにっこりと笑ってそう言った。俺はそれを無言で見返した後、すぐさま立ち上がって店を去った。
「俺は奈菜を愛している」
そう、小さく言い残して。それから俺は暫らく奈菜を探し回ったが、どこにもいない事を悟るとすぐに家に帰った。早く、早く、と焦燥する気持ちを抑えながら。
◇
あの時、確かに俺は佐々木へ断りの意を伝えたつもりだ。今更俺に、何の用があるのか。そもそも彼女は俺の家を知らない筈で、まずどうしてここに来れたのかも疑問である。その疑問を読み取ったかのように、佐々木が口を開いた。
「ここの事はね、ある男に聞いたのよ。取引先の会社の社長なんだけど、幸村精市って言えば貴女はわかるかしら?」
そう言って、佐々木が奈菜の方を見る。奈菜は息を呑んでその言葉を聞いていた。その人物の事を知っていたのかもしれない。
「それにしても・・・・・・」
佐々木が再び口を開く。ちらりと奈菜の方を見た後、こちらに視線を移す。
「まだそんな子と付き合っていたの?」
嘲笑うように、言った。俺はそれに一言、
「帰れ」
と即座に言い返す。すると佐々木は目を見張るようにこちらを見つめ、本気なの?と疑うように言う。そんなの、俺にとって聞くまでもないこと。佐々木には以前、電話でも奈菜を愛している事を告げたはずなのに。偶然その会話を聞いていた奈菜には、勘違いさせてしまったようだったが。お陰でマグカップがひとつ無くなった。
「蓮二、私は・・・」
佐々木が何か言いかけたが、俺の視線に悔しげに唇を噛み、家から出て行った。ふっ、と息を吐き出して、斜め後ろを振り返る。奈菜は、佐々木の出て行った扉の方をじっと見つめていた。
「・・・奈菜?」
どうしたんだ、と言おうとした俺だったが、ある事を思い出し、俺は彼女を待たせたまま自室へと向かった。引き出しから小さな包みを取り出し、玄関に戻る。
「すっかり忘れていたが、遊園地で買った物だ。一緒に回れなくて悪かった」
頭を下げ、それを渡せば奈菜は慌てて俺の頭を上げさせた。それから上目遣いでこちらを見、あけても良いかと問う。そんなの聞くまでもないだろうに。
「・・・わ、ストラップ」
取り出したそれを見て、彼女が嬉しそうに言う。ありがとうと笑った彼女に、俺も嬉しそうに笑い返した。後で携帯につけるね、と言って彼女がそれを袋にしまう。そして、その視線は再び扉の方へと向いていた。もう誰もいないそこに、彼女は未だ佐々木の姿を見ているようだった。それはまるで、佐々木を羨むかのように。
羨望の眼眸君が彼女を羨む必要なんて、どこにもないのに。
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