青い蒼い、コバルトブルーの世界。四方きれいに真っ青で、天も地もなく深くて明るい青く狭い世界。ひんやりと心地よい床は、まどろみに誘う温度のまま私の体温と同化して、境目を見失わせる。
 ここは、蒼い底なし沼なのかもしれない。限りなく優しく、居心地が良すぎるほどに過保護な沼。
 光って見えるのは青に薄い透明な膜が張っているからだ。涙のようなものだろう。指先を這わせるとぴちゃり、たぷんとたゆたう。円形状に波紋を描いて、世界が震えた。





「錫也って、誕生日プレゼント何が欲しいのかなあ」

 ……え?

「毎年あげてるけど、何をあげたって嬉しそうだし。もっと喜ぶものあげられたんじゃないかって、だとしたらなんだったんだろうって思っちゃうの」

 それで俺に聞いちゃうんだ、と思ったところで黙っておく。

「すずやなら知っているでしょう?」

 ……そりゃまあ、知ってるけど。

 濁して答えると、そんな様子に気づかない月子は「やっぱり」と笑った。
 彼女は認識があまい。錫也もすずやも、同じひとりの人間と理解していながら結局のところ切り離して考えているのか。この世界を、現実には直接影響のない、ただの夢だと信じているのか。
 ここで俺に教えてと言うのは、あちらで本人に何が欲しいのか聞いているも同じなのに。
 そんなことなど知らず、ぱちゃぱちゃ音をたてて水遊びしている。これで解決したとばかりに、早く教えてとせがむのだ。
 すずや、すずやと俺の名前を呼びながら。

 月子は何をあげたいの?

「うーん、よくわからないの。錫也ってば普段から肝心なところで曖昧だし、私たちには甘いし」

 あはは……。
 そういう印象なのか、俺って。

 水の、涙の波長が少し変わる。
 月子はそんなことしないから知り得ないことだが、今舐めたらきっとすっぱい。

「そうだよ。もっと自分のこと優先してもいいのにね」

 ……うん、ありがとう。

「どうしてすずやがお礼を言うの?」

 おかしい?

「なんとなく。王さまにお礼を言われるのって、変な気分」

 (王さまなんて大そうなものじゃないからだよ)
 言ったところで、月子はどこまでわかってくれるかわからない。こちらに連れてこられる月子の精神は、現実のそれより幾分か幼いものだから。だからあちらで悩んでいることもサラリと口にしてしまうし、俺を簡単に頼ってくれる。
 悲しいかな、現実でもそんな存在になりたいのに。彼女に溜めこませないよう、ここで発散してから帰せば、こちら側のできごとなんて忘れてしまう。

「でも嬉しい。こちらこそ。いつもありがとう、すずや」

 無防備に無邪気に笑う彼女に、たぷん、と涙の波をたてて返事をした。
 俺は触れられない。この世界では、月子を抱きしめられない。
 中に月子がいるというのはふわふわと覚束ない構造上の理解でしかなく、物理的な接触にはならない。
 俺の表情が彼女に見られないことは利点であり、欠点でもあった。感情が伝えづらいのだ。代用に涙で月子をくるむ。傷つかないように、大切に丁寧に。

「それで、錫也は何がほしいのかなあ……?」

 ねえ、すずや? 甘えてくれる声を受けて、愛しんで、包み込む。
 教えてあげる。おまえがあちらで覚えている保証はないけれど。

 いつものように唇から押し入って、精神の流動を落ち着かせながら。カアァと可愛らしく染まった耳に囁くように、俺の一番欲しいものをおまえに教えてあげる。

 どうか、目が覚めたら忘れていますように。

 どうか、この世界を彼女が知らないままでいてくれますように。

 少しだけ早い七夕のお願いごとを、俺は彼女にかけた。

 ――青い蒼いこの世界の中で、ずっと、おまえを守りたいんだ。




「錫也ー!」

 ぱたぱた走り寄ってくる幼馴染に、俺は足を止めた。
 先に来て待っているつもりが、どうやらそのまま彼女を待たせないことに繋がったらしい。ふたりして待ち合わせ15分前に着いてしまうなんて。
 待たせることにならなくてよかった、という安堵と一緒に、もしかしてそれほどまでに楽しみにしてくれたのかとそわそわしてしまう。

「お誕生日、おめでとう!」
「ああ、ありがとう」

 俺に追いつくなり祝いの言葉をくれた月子にお礼を言えば、はて、と首を傾げられた。
 まじまじ視線を送られてたじろいでしまう。

「どうかした?」
「んー、ついさっきもね、錫也にありがとうって言われたような気がして……。今会ったばかりなのにね」
「……そうだな」

 横顔を見る限り、大して気にしていないように見えた。ほっと息を吐く。
 ああ、そっか。月子は気づき始めているんだ。毎晩のように俺の夢を見るって言っていたっけ。――内容を覚えられていないことがまだ救いなのかもしれない。
 決定的な何かがあれば、おかしいと思われるだろうか。
 覚えていて欲しいことだって少なからずあるから歯痒い。

「……!」
「あ、あれ?」
 ふいに、手をとられ繋がれて、戸惑った。
びくっとしたのは俺だったけれど、何故か伸ばした方の月子までが疑問符を浮かべている。

「どうかした……?」
「わかんない。なんとなく、繋がなきゃって……」

 「あれ? あれ?」なんて顔をしておきながら、それでも手は繋いだままだ。
 わけがわからない。触れている部分は日差しのせいもあって熱いし、汗ばんでいやしないかと余計なところに気がいってしまう。月子の顔がほんのり色づいているのも暑さのせいだろうか。

(あ、耳が……)

「なんでだろうね? あ、でも手を繋ぐのってひさしぶり……。ふふ、錫也の手、おっきいね」
「っ、……」

 見上げて、笑って、俺に話しかける月子はあちらと同じで。
 耳が赤くなっているのなんて、昨夜の別れ際みたいだった。

 そう、コバルト色をした、月子のための世界での出来事みたい。




 ――俺は隣におまえが欲しい。ずっとそばにいて。触りたいよ、月子。


アオイ、

(120701)
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