わああああ!
なんて感嘆には納まらない悲鳴は予想していた以上で、嬉しいような申し訳ないような気持ちになった。
だって数分と待たずに消えてしまうのだ、僕の作品は。
いくら懇切丁寧に描こうが、力が足りなければ仕方ない。今の限界は持って30分といったところか。
この種の物は初めて具現化させたが、以前見たことがあるものを参考にイメージして書いたことが強みだ。
たぶん、おそらく、大丈夫。
「すごいわ! ルートヴィッヒ!」
両手を広げて喜ぶヘンリエッタにはそれがわかっているのか。
「一か月くらいおやつに困らなそう!」
一瞬ドキッとしたが、消えちゃうのが残念だわ、と付け足されてホッとする。けして長くはない人指し指を唇にそえる仕種にまたドキッとしてみたり。
男心を振り回さないでもらいたい、とはきっとこいつに言うだけ無駄だ。僕が恥を掻いて終わるだろう。
かぼちゃの目、鼻、口をくり抜く作業をするヘンリエッタの横で絵を描いて、できたお菓子の家。
ハロウィンだから。
時折思い出したように悲しそうな顔をするヘンリエッタを元気づけようと、とにかくお菓子をいっぱい。いっぱい。いっぱい。
私、もうこどもじゃないわ。
そう膨れられないように、お菓子の家。
チョコレートの扉。ビスケットの屋根。マシュマロのベッド。マカロンのクッション。チュロスの窓。ウエハースの壁。キャンディーの時計。クッキーのテーブル。生クリームの絨毯。
いっときの夢。
遠くない昔に旅でであった、不思議で懐かしい甘いあれに似せて。
「食べられるの?」
キラキラ目を見開く姿に、なんだまだこどもだと思う。
こどもだから、忘れられないけれど、乗り越えられることもある。とも思う。
「ああ。害はないし、味もあると思う。ちゃんと想像して作った」
消えちゃうけどな。
胃袋の中で、食道のどこかで、きれいさっぱりと。
消えてしまうものに、意味はあるのか。
所詮まがい物。魔法以上の――いや、比べるまでもない。
僕の絵には、代価がないから。たとえばおかしを作るのには当然必要な材料とか、器具とか、工程とかが。魔法には少なくともそれがある。
ヘンリエッタが綿菓子のカーテンを千切って、口に運ぶ。はにかんだ。
「おいしい」
「そうか」
「甘くて、優しい味がする。ルートヴィッヒが優しいからだね」
へらり、笑われて、面食らった。切り口がヘンリエッタらしい。
「丁寧に描くからキメ細かいふわふわだし、ほら、このチョコレートの扉なんてつやつやしてるの!」
「おまえ……」
「ありがとう、ルートヴィッヒ」
向けられる笑顔こそが綿菓子みたいだった。このまま陽の光で、もしくは僕が触ったら、溶けてしまいそうなヘンリエッタ。
時々考えることがある。
ヘンリエッタの中には、まだ女神がいるのではないか。
あの場所で、兄さんたちと別れたあの場所で父親とともに消えて行った彼女が、まだ入っているのではないかと。
そんな考えを払拭できない程度に、時折神々しさに似た何かを見せられて、僕は恐怖する。
最愛までも失われるのではないか、とか、くだらないことを。
「でも贅沢よね」
お菓子の家独り占めのことかと聞けば、それは違うらしい。
ルートヴィッヒといっしょだから、二人占めよ。なんだそれは。
「たくさん食べても、消えちゃうから太らないってこと。女の子にとってはサイコーよ!」
「ぶはっ……、なんだ……それ…」
「もう、死活問題なのに! ラプンツェルといばら姫にも食べさせてあげたかったわ」
――あと、兄さんたちにも。
僕に聞こえるか聞こえないか。呟かれたそれは、どっちを狙っていたのだろうか。
聞き取れてしまって、そうだな、と返した声もヘンリエッタに聞こえるかどうかの音量だ。
届けばそれでいいし、気づかなくても構わなかった。
「とりあえず僕としては、おまえが喜んでくれたのなら嬉しいよ」
くだらないことを考える前に、僕が守ればいい。
楽園の乙女だろうとただのひとりの女の子であろうと、僕にとっては大切な人なのだ。
くだらないことなんて、ありえない。これは、絶対に。
「ふふっ、ルートヴィッヒが嬉しいなら、私、いくらだって喜ぶわ。ルートヴィッヒが嬉しいと、私まで幸せだもの」
ああ、それは僕のセリフだ。
ほほにクリームを付けた姿はなんてことない、ドジなヘンリエッタでしかなくて。
安心して顔を綻ばせた僕に、勘違いした彼女はますます笑みを深めるのだった。
愛しい君にはおかしをあげよう
(120307 初出111113)