早く来すぎたかなと思いつつも、チャイムを鳴らせば中から気持ちのよい声が返ってきた。
 昨日遅くまで電話に付き合わせてしまったことが心配だったが、杞憂だったようだ。
 「早いな」と笑って出迎え入れてくれたトーマも、頭にはいつものカチューシャがあるし、エプロン姿だしとお互い様だった。

「楽しみだったの」
 楽しみで、眠れなかったのだ。仕方ないと水を飲みにベッドから這い出たところで、メールの着信。何気ない内容にパッと返信したら、まだ寝ていないのかと電話が掛かってきた。
 自分だって寝ていないのに、という苦笑は小さくしたから聞こえていなかったのだろう。

「そっか。よしよし。お前は可愛いな」
「シンと比べてでしょう?」
「……なんだそれ」
「なんでもなーい。おじゃまします」

 腑に落ちないといった顔で首を傾げるトーマの横をすり抜け靴を脱いで上がると、そにはすでにいい香りでいっぱいだった。ちょっぴり懐かしくも感じるそれだ。
 昔、これが好きだと言った私のために、よくトーマが作ってくれたっけ。
 案の定、フライパンの蓋を開けてお目見えしたものは思い描いた好物そのものだった。
 覚えていてくれたんだと思えば嬉しくなるが、トーマに言ったって当然だろと笑われそうだ。お兄ちゃんが生きがいみたいなものだから。

「こらこら、先に見られたら俺の楽しみが減るから」

 後ろから蓋を取り上げられると同時、急に声をかけられてドキッとした。髪に息がかかっただけ、それだけのことだ。
 顔に出ていないだろうか。頬を覆ってみたって、手のひらの方がフライパンの熱気で温まっていて参考にならなかった。

「入ったときに香りでわかったよ」
「…そっか。じゃあいいか」
「なあに、それ」

 思わず吹き出したら、トーマが嬉しそうに笑った。蓋が閉じられる音。
 さっきまでガラス製の蓋を持っていた手とは別の手で、頭を撫でられる。その手つきは、いいこいいことは少し違う気がした。もっと優しくて、熱くて、壊れ物を扱うような手つきだ。

「トー…マ?」

 名を呼ぶと、はっとしたように一度手が離れて、戻ってきたときは幼いころと大きさしか変わらないものになっていた。
 安心するとともに、残念に思ってしまったのは内緒だ。きっとトーマは私の気持ちに気づかない。
 気づいても、認めてくれないのだろう。トーマの私に対する態度が、おおよその未来を物語っていた。
 トーマに必要なのは幼なじみの妹分だ。
 年下の恋人じゃない、の。

「それじゃあ、手ぇ洗って……どうした?」

 聡い。ちらっとでもうつむくようなら、見咎められる。
 だったら、その上をいけばいい。

「お腹なっちゃった。聞こえてない、よね」

 ちっちゃななんてことない嘘を駆使して、照れたふりを置いて逃げた。トーマが落とした苦笑は夜中に私が隠したものよりずっと響く。

「ごはんは逃げないよー」
「わかってるもん!」

 お兄ちゃんに甘えているうちは嫌われないってことも、そろそろ限界だろうっていうことも。
 私にはよくわかっていた。


子は知らず親に似るの


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