普段なら男ばかりの教室に、ただひとり女性がいるという状況。どこかそわそわと落ち着かない空気、ふんわり香る(気がするらしい)甘い匂い、やわらかな秋の日差し……と、とにかく天文科2年の教室は数センチ舞い上がっていた。先週までは授業中に寝ていて休み時間5分前に起きるという生活をおくっていたやつは、眠気がもっとも誘惑してくるはずの昼後5限にも限らずぴんっと背を伸ばしている。ついつい私語にはしりがちなやつらは個人個人、テキスト・ノートとにらめっこして、熱心な生徒ぶりをアピールしていた。人間、意識すれば一瞬でこうも変われるものかと、心の隅でため息を吐きながら俺は前を見た。そこはそこで担任がイマイチ調子が出ない、テンション空回りな授業を展開中だ。
 陽日先生も、ですか。まあ先生の場合は教育実習生云々ではなく、急に真面目になった生徒たちへの喜びと戸惑いだろう。朝のホームルームでは熱血にも嬉し泣きする勢いだった。思い出して、またため息。





「錫也、お昼いっしょに食べてもいい?」
「……いいけど。他の教育実習生とか、先生方とじゃなくていいの?」
「ふふっ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

 空いていた前の席から椅子を回し、注目の的の彼女が俺の机の向かいに腰かける。当然、クラスメイトたちの視線もくっついてくるわけだ。興味津々なことを隠しきれていないそれらに、無視を決め込んだ俺が弁当箱のふたを取ったのを見計らって、すっと伸びてきた箸に卵焼きを盗まれた。素早い技だ。あっという間に桃色のくちびるに消えた黄色は、ゆっくり咀嚼され嚥下された。念押しした際「錫也のお弁当のほうがずっと大切です!」と言われたが、言葉そのままだった。彼女は本当におかず目当てだ。美味しいとか、腕上げたねとか賛辞を惜しみ無く吐く口には笑み。年上に向かって行儀の悪さを注意したものの、ごめんなさいと詫びる仕草は幼い頃と何も変わっていなくて、俺のほうが黙った。どっちが年上か、わからない。これが大学生だとしたら、普通ではないことを願う。あまりにも愛嬌がまかり通りそうで、社会に出すには不安だ。…て、俺が心配することじゃないよな。

「月姉……夜久先生のお昼ご飯はどうしたの?」

 つい地元での呼び名で呼んでしまって、やっぱりよくないと思って直した。呼び方って不思議なもので、それでなんとなくの距離感が出来上がってしまう。慣れない苗字に戸惑いつつも、指摘してこなかったことに感謝した。どっちで呼んでも構わないんだと、俺のご都合主義で解釈させてもらう。でもTPOの使い分けって重要だから、学園で接する間は先生と呼ぶことに決めた。

「哉太にあげたの。ほら、今日、遅刻してきたじゃない?朝ごはん食べたか聞いたら案の定で」
「先生の気にすることじゃないのに。でも、ありがとう」
「錫也もおばさんも、朝ごはん食べなくちゃだめだって怒ったでしょう?あれから私、いくら忙しい朝でも欠かさないもの。だから哉太も!」

 彼女が話すのは、小学生の時の話が多い。というのも、学ぶ場として同じ場所を共有していたのは小学校の2年間だけだから。知り合った時からお姉さんだった。近所のお姉さん。優しくて、がんばり屋で、勉強が忙しくなる中学3年生までは、よく俺と哉太と遊んでくれたっけ。高校から大学付属の女子高へいってしまって、しばらくお正月なんかの節目にしか会っていなかった。それでも会えば笑いかけてくれたし、話しかけてくれた。変わらない彼女が嬉しくて、同時に変わってしまう日がくることがおそろしかった。俺にとってそんな人。
 俺の、初恋の人だ。

「どうぞ、俺の食べて」
「あ、でもね?さっきの空き時間にサンドイッチ買ってきたし…」
「そっちは夜食にしなよ。勉強するんでしょ?今日は間違えて作り過ぎちゃったから」

 というのは本当で、少しだけ嘘。昨日、彼女が教育実習生としてこの学園に来たことを知って、しかも俺のクラスだと知って、突然のことに思いがけず張り切ってしまったのだ。料理苦手だったよなぁとか、甘い卵焼きを喜んでくれたっけとか色々思い出して、メニューもすべて記憶の中の彼女好み。あわよくば彼女の分までお弁当を作って誘っていっしょに、とここまできて、それはさすがに引かれるだろうと正気に戻った。だが、それでは遅かった。すでに多すぎるほどのおかずを作ってしまったのだ。捨てるにはもったいないし、哉太にあげてもまだ余るしと悩んだ結果、重箱に詰めて持ってきた。

「…それにしても、相当作り過ぎだよね、これ」
「考え事してたら、つい」
「…それでもこの出来栄えって、さすが錫也」
「はははっ、だろ?」

 ――なぁんだ。
 クラスを観察しては偉そうに、いつもより真面目だの空気が違うだのと教育実習生の影響を数えてきたけど、ここにもうひとり顕著なのがいるじゃないか。

(一番舞い上がっているのはどう考えたって俺、だよな)



ああ困った、どうやら自分で思っていたよりも僕は君のことが好きみたいだ


(110506)
title by:)レイラの初恋
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