腕の中の温もりが泣いているのか、恥ずかしがっているのかさえ省みなかった。ただこのまま離すものかと、俺の気が彼女に伝染するまでと抱き締め続けた。



 変化に気づいたのは、初夏の曇り空の日だった。何が変わったって、言葉で説明するようなものじゃない。目で見て明白、耳で聞いて明晰。
 最初はああ後輩が増えたのかと、さらに彼はなかなかの性格と能力の持ち主らしいと、その程度の認識だった。それもあいつの口から聞いたことだ。
 初期設定され、今後変わるとも思っていなかったそれが変わったのは数日後だ。容易だった。

 窓の上から見ていた。
 噂の下級生が月子に触れるのを。顔を近づけるのを。拗ねてみせねだってみせ甘えて魅せるのを。
 目撃したのは偶然なんだと言いたいところだがそれは違う。
 あれは俺に気づいていたのだ。あいつからおどけて顔を離す際、一瞬だが上を見た。窓辺にいた俺を一瞥してみせ、背を向けた月子に気づかれることないまま背けた。
 見せつけられたことを悟るにはお仕着せのシチュエーションだ。
 あいつがどんな顔をしているとかは関係ない。好きなように振る舞える立ち位置を利用し、惑わせ、困惑させていることが確認せずとも伝わってくるのだから。



「なあ、月子」

 昼休みも終わるころに彼女を呼んだのは、屋上庭園。理由も告げない俺にのこのこついて来て、先に外の空気を吸う。

「何か用事なの?」

 質問には答えず、へりの手刷りまで歩く。出口に立つ月子の手を引いて。到着した時、チャイムが鳴り出した。ああ、5時間目は英語だったっけ。サボるからには、その分後で復習しなくちゃならないな。もちろん月子のめんどうも見なければ。

「錫也、急がなきゃ!」
「机に気分が悪いんで早退しますって紙置いてきたから、大丈夫だよ。おまえは付き添い」

 しれっとした態度で返したのに、月子は本気で俺を心配しだした。大丈夫なの?熱は?って具合に。

 ありがたい心配を差し置いて、俺はグラウンドを指差した。指の先には、全学年共通の白いジャージを着た生徒たちが溢れている。整列をしている彼らの、その一番先頭のうちのひとりを指しているって、月子はたどれているのだろうか。
 首を傾げ、不思議そうに俺と指の先を交互に見つめ戸惑うのだから、そういうことだ。

「木ノ瀬くんだよ」

 ますますハテナを浮かべる。錫也よく見つけたねって当然だ。先週この時間の終わりに、帰り際顔を上げた黒目と目が合ったのだから。その窓が天文科二年の教室に該当することを彼が知っていたかは知れない。その時に、俺がその席だと知ったことは知っている。

「月子、好きな人できた?」
「え…」

 咄嗟に抱き寄せて肩で口をふさぐ。例え赤く色づく頬があろうと、月子の心に思う名前があろうと聞くつもりはなかった。
 もごもごと、口を動かしているも俺の制服と身体で圧迫されこちらまで届かない。何故か"すずや"という単語だけ受信してしまったのは、もうイントネーションが刻み付けられてしまっているからだ。苦しいのだろうか。月子が暴れる。ばたばたと腕を振り、それさえも押さえつけられていることに怯え、何度も俺の名前を呼んだ。
 少しだけ緩めてやる。口をぱくぱくさせて空気を取り入れる姿が瞳に映り、まるで雛みたいだと思った。
 親に餌をねだる雛。親がいなくては生きられないと、本能で分かって従順な生き物。親は俺がいい。彼女が頼り慕う男は俺がいい。信頼を一身にもらい、独占したい。

 落ち着いた月子はもう逃げようとしなかった。コンクリートについた膝をそのまま、中途半端に硬直している。錫也、ねぇ錫也ったら。俺を呼ぶ声はしおらしく、心音はとくんとくんと早い。
 ドキドキしてる…?とくんとくんと鳴る心臓が、やけに大きく響く。月子の音だと勝手に思った。なんだまだ俺の腕の中じゃないか、なんて。

「すずや、ねえ大丈夫じゃないよ!すごく熱いよ?」

 月子のおでこが近づく。触れる。わずかに汗の滲む俺の皮膚がきゅと緊張したのは、唇がすぐそばだったからだ。
 ああそうだ、可愛いこには餌をやらなければ。巣から落ちないよう囲いを高くして、危険が迫らないよう敵は排除するんだ。

 ちゅ、と赤い小さなそれを啄んだのは、俺が意識を飛ばす3秒前。


(110221)
title by:)おい、神様
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