「おモテになりますものね。旦那は」
昨夜もまた、女と一夜をともにした。
この話題は避けたいものだった。これまでも意識して逃げていたことも、きっと彼女は知っている。
好意を持ってくれているという事実には、薄々気づいていた。気づいていることに、彼女も気づいているのだと思う。
だからこそ、こうして拗ねた顔でつんと口を尖らせて、嫉妬に似た、むしろそのものの感情を隠さず俺にぶつけてくるのだ。彼女は見せつけたいのだ。如何程に俺を好いて、如何程に心配しているのかということを。
それをどう受け取っていいのか、はたまた受け止めていいのか。困りかねて、俺は今日も彼女の気持ちを流した。
最低の行為だと思う。剣客の風上にもおけない。
だけど釣り合わないんだ。俺とお前とでは身分が違う。
「俺なんかに向かって、土下座して頼むんだぞ? これで断るなんてこと、俺にはできないよ」
笑っていってみせたけれど、我ながら言い訳染みていた。
言葉自体に嘘はない。子種が欲しいと必死に懇願されるたび、俺は申し訳ない気持ちになるのだ。俺などにそんな価値はないと、女たちに返すことさえ残酷な所行に思えた。
彼女たちはすがるものが欲しいのだ。懐妊という、子どもという希望が必要だっだ。女ばかりが行き交う江戸の地で、生きる糧に飢えていた。
行為や恩恵を俺が望んだことは一度もない。ある種の、今日を束縛されることなく育てられた俺の、世への恩返し。
五人に一人に俺を分かち、今日を生きさせてくれる神様への、家族への、江戸への、俺にもできる罪滅ぼし。
――そう、信じて。
「じゃあ……」
彼女が言い淀んだ。快活で明朗な幼なじみが、俺の隣で深く息を吐いて吸った。良い空気を取り込んでおきながら、彼女の表情は重く暗い。
幼い餓鬼ならば「どうした?」とでも朗らかな調子で聞けただろうに、今年で一九の俺たちはそうはいかない。言わんとしていることが、ミシミシと伝わってきてしまう。とても多罪的で、悲愴――彼女の心理でみるとすれば悲壮だった。
「私が泣いて土下座すれば、抱いてくれる?」
耳から入ってくる哀しい誘惑が、俺の心臓を軋ませる。ぴきり、傷んだ胸は、きっと中身がひび割れたから。
『錫ちゃん』と、最後に呼ばれたのはいつだったろうか。何も顧みず、臆することなく駆けた日々は、いつ堕ちたのか。
「答えて」
現実を生き抜いた俺たちの今は、とても暗い。
「………俺は…、構わない。たとえ幼なじみだろうと、それがお前だろうと……月子が望むのなら、それでいいっていうなら、抱いてやるよ」
この日陽が昇って、やっとまっすぐにかち合った瞳と瞳が沈黙をつくりだす。
彼女は知らない。本当のところをわかってなどいない。
俺はたくさんの女に抱かれてきた。自己の意思で、無報酬で従事してきたこととはいえ、そこに愛だの恋だのといった特別な心はない。これは奉仕なのだ。哀れみと罪悪感を伴うことでしかできない、同情なのだ。
それをお前にも向けろと、それで良いと、お前は言うのか。
「………」
ふたりきりの縁側に、濁流然とした沈黙が続く。
男に二言は存在しない。 先程口にしたことに嘘偽りは勿論ありえないが、とはいえ彼女に頷かれでもしたらと思うと咽が鳴りそうだ。
同情とは違うのだ。
大切なこを、こんな売り言葉に買い言葉などでどうにかしたくない。
今まで幾度となく女に抱かれてきたが、抱きたいのはお前だけだと。簡単な言葉ほど禁句なのだ。
後悔と憤怒と不安と絶望と虚無が一緒くたに入り雑じった、試し合う視線が交錯する。
先に瞬きをし目を伏せたのは彼女だった。
「いじわるだ…」
立ち上がって向き合って、俺を睨む。滲ませた目尻と震える声で、それでも気情に振る舞った。
彼女は何も悪くない。あんな悲しい顔をさせている俺が、あんな言葉を返した俺が、いつまでも将来を見ない甘えた俺が、俺が全悪だ。
恨むなら恨んでくれて構わない。その感情なら、迷う必要もなくすべて受け止めてあげられるから。
(101007)