「ああ…もう」

 薄明かりの中発せられた声は、呆れた風を装おって温かみに満ちていた。
 息を含んだ、くすっという笑い声。慈愛とともに掛けられた、軽やかなタオルケット。嗅ぎなれたフローラルの香りが、ほのかに広がった。

 俺はアルコールの微睡みの中で、優しい指が近づく影を感じていた。なんとなく空気でわかるのだ。短い癖毛を滑らかな指が撫でる。その気持ちのいい手つきに、さらに下層へと意識は落ち掛けた。ただ落ちきってしまうには惜しい気がして、気だるい腕を動かし、自分の頭に這うその手を捕まえた。触れた一瞬ぴくりと跳ねたが、すぐに大人しくなる。やがてさらに優しい動作へと移っていった。

「星月先生たちはもう帰りましたよ」

 少しの間、彼女の手が止まって、ソファーのふわふわがギシリと揺れた。あらたに何か上に乗っかったからだろう。何か、なんて決まっていた。彼女しかいない。腹の辺りに、彼女の腰骨らしきものが当たった。いつも思っていることだけれど、彼女は細く華奢だ。酔っぱらいなりの注意をしながら、彼女の腰にもう片腕をまわす。ギュッてしたかったのだ。

「直獅さん」
「ん…」
「直獅さん」
「…なん、だ…?」

 馬鹿みたいに重い瞼を僅かに持ち上げて、淡いオレンジ色に照らされた彼女を見る。霞む頼りない視界の中で、彼女の弛んだ口元と、俺の頭上に伸びて俺に捕らえられているのだろう手まで繋がる腕が目に入った。

「どうした…」
「…いえ、呼びたかっただけです」

 くすくす。それが耳に入って当然のような、楽しそうで母親のようで、それでいて幼い少女を思わせる。彼女のいろんな魅力を含んだ笑い声が、ぐわんぐわんの頭の中で、心地よく響いた。

「嬉しくて、死にそう」
「はは……ばーか」

 俺だって、今ここで笑えるのは夢なんじゃないかって。あの頃の触れられないもどかしさや、抑圧した気持ちを顧みて不安になることだってしょっちゅうだ。
 この時間が嘘じゃないという証明が少しでも多く欲しいから、声を張り上げ、動きまわり、0.1秒でも永く共に過ごしたいと思うし、それを実感したい、していたい。

「死ぬまえに、おれ、が連れもどす、から…な」
「ふふ、はい。ありがとうございます」
「…へへっ」



 重みに耐えきれなくなった瞼のあちら側で、愛しい彼女が無邪気に魅力的に笑ったのだけが、二日酔いの日に残った記憶。




(100812)

11日の陽日せんせいHB記念
5年後くらいのつもり

title by:)箱庭

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