おつかれさまでしたの挨拶とともに、みんながみんな片付けに取り掛かる。今日も残って練習を続けるのかと思っていた宮地くんも更衣室に向かったから、おやと思って話し掛けたら、「今日は課題があるからな」だ。
 それでも明日の朝練はするということで、さすが!と手を叩いた。選択授業で出された宿題なので、私も同じものを要求されているのだ。
 明日までと告げた担当教師に向かって他の生徒とともに批難の声をあげた私としては、今夜中に仕上げることさえも困難に思えるのに。

 まさに、さすが!のひとことなのである。努力だけでなく、このやる気と精神力が宮地くんの強みだ。私も見習いたい。いえいえ、ぜひ見習わせていただきたい!

「尊敬するよ…宮地くん」
「なぁにがですか?」

 至近距離で発せられた言葉に、私は「ふぇ」だか「んぇ」だかよくわからない声が出た。左に首を向ければ、梓くんが紫を帯びた茶色の瞳でこちらを見ている。
 なにかな、とゆるく投げたボールは、それが僕の質問ですとどストレートで投げ返された。

「…帰る準備ができたら、ちょっと待っていてください」

 やっぱり何か言いたげな顔で、梓くんが踵を返す。そのまま男子更衣室に入っていってしまった。

 言いたいことがあったなら、なんでも言ってくれればいいのに。
 腑に落ちない私だけがその場に取り残されて、ひとりその背中が消えた先を見つめていた。







「だからですね先輩」

 制服姿で再会してからの梓くんは、先ほどのが嘘のような、見事なマシンガントークを披露してみせた。歩きながら息継ぎもせずに話して、よくつまづいたり舌を噛んだりしないものだと胸中で感心させられる。

「こんなことをいちいち僕自ら説明するのもどうかと思うんですよ。やっぱりほら、そこは男女の常識的に考えればわかることだと僕は認識していたんですが先輩は違うのかもしれません。ああ別にそれが悪いとか良くないとかイラつくとかバカじゃないのかとかムカムカするとかそんなんじゃないんですよ?そんなまさか先輩に向かってバカとかまるで翼の形容詞みたいな称号似合いませんから、て先輩僕の話聞いてます?どこ見てるんですか、そんな足元に僕は転がってませんよわかってます?」
「………う、うん」

 イラつくとムカムカするって同じ意味なんじゃないかなぁとかいう質問は揚げ足だろうか、と思って、指摘したらさらにますます機嫌が悪化しそうだな、とか思って、結局聞くのはやめようと結論を導き出したところだったりする。
 でも思考の最中はずっと梓くんの顔を見ながら聞いてたよ、とは言い訳しなかった。

「つまり僕が言いたいのは、先輩は誰彼構わず笑顔とかその他もろもろ出血大サービスに振り撒きすぎのかわいすぎの魅力的すぎってことで、それってどうかと……ごめんなさい話がズレました。あー、とにかく!」
「わかった!やきもちだ」
「とにかく僕の嫉妬心をあまり刺激しないでくだ、さ…」
「あたり?」
「………」

 ね、正解?答えない梓くんにもう一度問いかける。答えない、とは正しくなく、すでに別の単語で言ってしまっていたとは気づいていない。
 「沈黙は肯定の意ととらえるよ、ワトソンくん」「誰がワトソンくんですか」「梓くん」「誰がアズサくんですか」「梓くん」「……あ、」「ずさくん」

「〜〜〜ッ」

 あらま。真っ赤になってしまった。普段クールでポーカーフェイスな彼のこんな年相応の顔は珍しい。
 ペースの乱れた彼は相当な天然記念物だ。かわいいなぁなんて笑ってしまったら、先輩が悪いんですよ、バカ。なんてヤジが飛んできた。
 やっぱり私が悪くてバカだと思ってるじゃない。

 梓くんの視線がゆるやかに游ぐ。だいぶ先を歩く宮地くんの背中を捉えて、ぼそりと言った。どす黒な何かが込められた声だった。

「宮地先輩の顔、見てないからそんなこと言ったり、そんな振る舞いができるんですよ」
「宮地くんの顔?」

 遠くに目を凝らす。こんなに離れているのに、この距離で見ろというほうが無茶だ。「今じゃありません」バカですね先輩と付け加えることも忘れない。

「尊敬するって先輩に言われた時の顔です。的にしようかと思いましたよ」
「……」

 理解には掛けるけど、ひとまず未遂でよかった。梓くんが犯行に及ばずにいてくれて、ありがとうございます。

「しかもそのあと宮地先輩、更衣室で僕になんて言ったと思います?」
「なんて言ったの?」
「ですから、質問をそのまま返すのやめてください。……宮地先輩、『お前も大変だな、あいつがああいうヤツだと、その…いろいろと』ってぇ!ほほ染めながらですよ!?説得力ないですから!」

 いろいろってなんですか!と地団駄を踏む梓くんは、珍しいとか天然記念物とか通り越してご乱心だった。
 きっちり揃えられた前髪が影を成して、よりいっそう表情に迫力が増している。

「笑顔のバーゲンセールはやめてください」

 凄みある視線がまっすぐ、彼の矢のごとく私の瞳を貫く。バーゲンセールってなんだとは思いつつも、特に意識も必要なく頷いていた。

「それから、尊敬するなら僕にしてください」
「…してるよ?」
「……間違えました。僕、だけにしてください」
「それは……」

 無理、だと思うよ。だって世の中、尊敬すべき人も見習うべき人も、反面教師な人もいっぱいいるでしょう?みたいなことを告げたら、ムスっとされた。
 まるで子供顔をして、いじわると言われた。今日はやけに罵倒される。子供染みたそれらの言葉は罵るばかりなのに、私にはかわいくてしょうがない。
 言われ慣れないからか、見慣れない梓くんだからか、彼の翼くんに対する態度と少し似ていて、それが少し嬉しかった。懐に入れてもらえてるみたいで、暖かかった。
 ふふ、顔が綻んでしまう。

「でもね、梓くん」
「はい」
「     」

 夏よりちょっとだけ高くなった梓くんの背丈。その耳に向けて、彼への情を紡ぐ。



私がするのは、
あなたにだけだよ


 そのまま伝えたつもりなのに、耳から口を離した私をポカンと見つめて、それから梓くんはバカと言った。

「当然です」

 いつもの自信満々の顔に仄かな赤みを差して、梓くんは年相応に笑った。

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