あ。思考がある一定のところで止まった。滞った。 思い出してしまったからだ。そうなれば視線は一点から離れられず、耳はただただ流れていく音声を拾っている。
 お互い言葉を交わさず、視線を交えず。ごくん、唾を呑み込んだ僕に、隣でクッションを抱える彼女は気づいていない。

「……」

 食い入るように画面を見つめる彼女。繋いだ手にぐっと力が入った。それでも僕には全然痛くなくて、むしろ守ってあげたい庇護欲を喚んだ。
 テーブルの上に置かれたコーンスープはすっかり冷たくなった頃だろう。作りたての時にはほわほわ上がっていた湯気が見当たらない。
 あーあ、見始めてから、そんなに経っていたのか。

 「きゃ…!」彼女が短く悲鳴をあげた。握った手にまたぐぐっと力が込められる。すぐさまクッションの上に拡げられたタオルで顔を覆うことも忘れず。準備万端だった。
 画面の中では、突然表れたモンスターにヒロインの友人が襲われている。逃げてっ逃げてっ、目の前で繰り広げられているかのように、彼女は小さく指示を出している。タオルで視界を狭めながらも、結局は気になっているのだろう。大きな瞳の半分を、そっと覗かせていた。
 やがてモンスターを撒いて、女優の息も絶え絶えになったところで、彼女は一安心のため息をついた。

「羊君、よく平然と見てられるね…」

 くるり、90度の反転。やっとこっちを向いてくれた。眉はハの字で、さも信じられないと顔に書いてあった。
 そりゃそうだ。僕はこの後の展開を知っている。――正直、たった今思い出したのだけれど。
 フランス語の吹き替えだけど、見たことがあるから。いや、見せられたことがあるから。父さんに。

「二回目だからね」
「…何回見ても、怖いものは怖いと思う…よ?」
「君はこういうの苦手なのに、見ようとするよね」
「だっだって…」

 わかってる。怖いもの見たさってやつだって。ドキドキするのが楽しいんでしょう?
 それと、古くてベタなB級映画だけど、撮影が実際の山奥っていうのが良かった。

「星、きれい…」
「うん。今より性能の劣るカメラなのに、上手に撮してる」

 だから父さんは羊にこれを見せたんだぞ。ラブコメを好む父さんは、そう言っていた。

「あれって北極星だよね?」
「ってことは、方角は…」

 人物が息を乱しながら上を見上げて、画面はその目線を映した。見慣れないアングルでの、一昔前の星空だ。
 手持ちカメラなのか、ぶれて映るから覚束ない流星みたいだ。さっきまでびくびく眉を寄せていた彼女は、別人のように笑った。

 すごいねぇ羊君、こんなに素敵なものが見られるなら、山奥の洋館も悪くないねぇ。
 何か出るかもよ?
 羊君が一緒なら怖くないもん。きゅ、腕にしがみつかれる。無意識の上目遣いに、言いたい放題。さっきの名残か、うっすら涙で瞳が潤んでいた。破壊力はバツグン。おかげでせっかく星の話題で忘れかけていたことを、もう一度思い出しちゃったじゃないか。
 この後の展開。まぁ、つまり、その…。


「あ、やっ、よ、羊君!」


 きちゃった。僕の悩みの種。
 穏やかな時間は少ない。場面は変わって、館内に取り残されたヒロインがモンスターと出くわしたところだ。目がこぼれ落ちるんじゃないかってくらい大きく見開いて、後退りする。でもすぐに壁。広く感じられた廊下がこうなっては狭くて。
 もう、逃げられない。それを理解して、いやいやとブロンドを揺らす。ぎゅぎゅ。ああ、ヒロインに続いて拘束されたのは僕の腕だ。僕の二の腕にぴとりと額を押し付けて、でも怖々した瞳は画面に向けて。
 羊君、羊君…!あのさぁ、胸が当たってるって気づいてる?それと儚く震える声で僕を呼ばないで。かわいい。すごくかわいいけど、今はダメだよ。これ以上ダメ。お願い、理性飛んじゃうから!

 モンスター――ヴァンパイアが、ヒロインの首筋に牙を宛がう。一舐めしてからゆっくり下ろせば、ぷつり。音を発てて、真っ赤な血が涌いた。牙はゆっくり、ゆっくり沈んで、なかなかに綺麗な方に分類されるだろう女優の表情が、苦しみや拒絶から、やがて悦楽に溺れていく。
 その過程が艶かしいのなんの。いつの間にか、僕を呼んでいた彼女の声はなかった。額こそ擦り付けたままだったが、少し俯いて気まずそうに視線を泳がせている。
 前髪の隙間に覗く頬がやや赤い。

「ねぇ、」
「…!な、なぁに?」

 あ、引きつり笑い。にっこりがつんのめっている。悟られまいと必死なんだろうけど、もう見ちゃったから、遅いよね?

「僕がこれを見たの、中学生の時なんだ」

 過去の話題だと認識した彼女は、拍子抜けしたのか、今の自分たちの状況を抜け出したと思ったのか、うん、とだけ相槌を打った。

「ちょうどここの場面」
「うん。……え、」
「僕はヒロインを君に当て嵌めちゃったんだね。幼いころ恋したあのこに」
「………」
「このヴァンパイアが美味しそうに血を啜るからさぁ、あのこの血も美味しいのかな、って」
「……さ、さあ」
「そのことを思い出したら、気になって仕方なくて」
「……、」
「…僕って、ヘンタイ?」
「え!?や、えと、その…」
「……やっぱり、こんな僕はキライになる?」
「……よう、くん…?」

 思ったことをそのまま伝えてしまった。
 キライって言われたら、どうしよう。拒否、されたら。全部言ってしまってから後悔が出てきた。
 弱気な僕なんて、僕らしくないのに。感情がそのまま表に出ていたのだろうか。そんな顔しないでと、彼女が僕のもう片腕に手を伸ばす。すっかり向き合う姿勢になった。

「キライになるわけないよ!羊君のそういうストレートなところ、…その、……すき」

 照れているけど、いつもの彼女の笑顔だ。確かに好きって、好きって、僕のこと…。
 そんなに僕を嬉しくさせてくれる口に、僕の口を合わせた。血みたいに赤い彼女の唇は熱くも冷たくもなく、味なんてわかるわけもなく、ただ柔らかさと愛しさがあるだけだった。

 ホントはね、ホントは、君の首筋に歯を立てて傷付けるより、君のかわいい唇に、きれいな髪に、か弱い腕に、とにかく触れたいっていうのが、今現在の僕の、君の恋人になった僕の一番の欲望だったり、して。

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