HRが長引いてしまった。
 近日中に仕上げなければいけない仕事がゴロゴロしている、こんな時に限ってだ。

 加えて颯斗は家の事情で欠席、翼は実験失敗による校舎破損(水ロケットが壁にめり込んだとか、材料が知りたい)の埋め合わせとして愛校作業に勤しんでいる。用務員のおじさんと楽しくやってるに違いない。

 つまるところ今日の人員は会長である俺と書記のみの、極小規模編成、と言っても半数人で絶賛活動中。

 活動中、のはずだった。

「…たく、」

 急ぎ足でやって来た生徒会室には、なんともまあ可愛い寝顔の書記。
 昨日も遅くまで仕事していたし、居眠りしてしまう状況がわからなくもない。

 せっかくだから、特権としてよく拝んでおこうと近づいて、ギョッとした。
 書記の右手にはなぜか針がある。しかも鋭利な針先が彼女の目から数センチの位置でギラリと光り、この状態で寝返りを打ったりしたら危険だ。肌に刺さって傷にでもなったら…。
 今は事後を考えるより、目前の有り様に対処すべき、だな。

「……動くなよ」

 そっと手を伸ばす。
 親指と人差し指に挟まれた刺繍針は、あっさり抜き出せた。一先ず安堵のため息がひとつ。

 それにしても、なぜこんなものを。
 右利きの彼女だから、テーブルの上にのせられた右手に針があった。ということは、左手にも何か持っているはずだ。針を使うような、何かを。

 腰を屈めて、下から除き込む。なんとも言えないアングルだが、今注目すべきはそこじゃない。
 左腕に抱かれた、ぬいぐるみ。眠っていても落とさないとは、よっぽど大事な物なのだろう。

 彼女の腕を退け、取り上げて見てみる。耳の部分の糸が解れ綿こそ出ているが、そのウサギは確かに見覚えある物だった。入手経路まで知っている。

 なるほど。これを直そうとした矢先に、睡魔に負けたわけか。

「ん、い……くん、」

 静寂の中突如聞こえた声に、柄にもなくびくっとした。
 「い……くん?」彼女の口から零れた言葉を、喉元で反復させる。

 大抵こういう時に呼ぶのは恋人の名前、というのがお決まりだ。い、い。普段の書記は俺を会長と呼ぶ。 デート中は一樹さん、先輩。シラヌイの"イ"?いやいや、だとしても"君"呼びは彼女にしては冒険し過ぎだ。

 ならば、誰だ。

 ……疑うのは簡単か。そもそも気のせいかもしれないじゃないか。そんな曖昧なことで時間を使うくらいなら、とっとと仕事を進めよう。
 真意は起きた彼女に聞けばいい。

「何から片付けっかなー」

 わざとらしく室内を見回したところで、手の中の物に目が止まった。
 俺が買ってやったぬいぐるみ。直してやったら、喜ぶだろうか。

「…よし」

 まずはコレからだ。
 書記の作業机に拡げられた裁縫箱から、さっき戻したばかりの針と、ぬいぐるみに近い色の糸を取り出す。
 裁縫なんて中学の授業以来だが、それなりには出来るだろう。

 糸を針の穴に通して玉結び。綿を内部に押し戻すようにしながら、着々と縫い進めてゆく。
 最後に玉止めして余った糸を処理すれば、元の状態には敵わないなりに違和感もない、そこそこの仕上がりになった。
 ウサギをまじまじと観察する。他に壊れている箇所はなさそうだ。

「あ。そういえばあいつ…」

 「いっくん」彼女がそう言って笑う姿が脳裏に浮かんだ。あれはこのぬいぐるみを買った時だ。
 ふたりでフリーマーケットへ行った時。俺の知り合いが出していた店に並んだぬいぐるみを彼女が気に入って、俺が買ってやった。
 そうか。
 そういうことか。

「んぅ…、かいちょ…?」

 ちょうど納得がいった俺に掛かる、書記の声。寝惚け眼を擦ってから、

「すみません私寝ちゃって……、いっくん!」

 自分の手から俺の手へと移った物を見つけて叫んだ。やはり、俺の解釈で正解だったらしい。まさかホントにその名で呼んでるとは。

「会長が直してくれたんですか!?」
「…まあな」
「ありがとうございます!」

 おーおー。寝起きのお姫さまは逸早く"いっくん"を抱き締めようと、両腕を差し出しなさった。

 いっくん。ウサギのぬいぐるみ。命名、書記。由来、俺の名前"一樹"より、いち。
 フリーマーケットの帰り道にて発案されたことだった。

 あの時は冗談半分で受け止めていたのだが、彼女にとっては本気の本気だったらしい。
 ぬいぐるみに名前を付ける。俺にはその感覚がよくわからない。しかし、俺を意識した呼び名がむず痒く、嬉しかったのも事実だ。

「会長?そろそろいっくんを返してください」

 可愛いのはわかりますけど。と困惑顔で言うから笑える。まったく。仕方ないなあ、この姫さんは。

「わかったわかった。返してやるから、ちょっと目ぇ瞑ってろ」
「?はい」

 素直過ぎだ。
 未だに拡げられたままの彼女の両腕。その中にいっくんを入れると同時、俺も入り込んだ。自ら抱き締められるのはなかなか味わえない。
 バチンと目を見開いた彼女。いっくんを間に挟んで、俺からも抱き締める。

「あ、あの、会長…!」
「ん?返したぞ?」
「いや、えっと、」
「イヤか?」
「い、イヤじゃないです…」

 真っ赤になっても素直さは変わらず健在だ。
 そんな彼女のほっぺたに、いいこいいこの意味を込めて。いっくんを片手で持ち上げてタッチした。キスの要領だ。
 嬉しいやら照れやら、彼女の表情はよく感情を伝えてくれる。言葉にするよりもわかりやすい。

「一樹さ…」
「わかってる」

 何をして欲しいのかぐらい、察せる。いつも見ているんだから。

 再度、潤んだ瞳が伏せられたのを見計らって、俺は頬ではなく唇に、俺のそれを静かに寄せた。




うさぎと奏でるスイート
(今日も遅くなりそうだ)



(090821)100505加筆

星屑サテライト・柚杞様へ。相互記念。
相互していただき、ありがとうございます!会長の大人っぽさが出せなi
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