ぱんっ。失礼ながら、高い、とはお世辞にもいえない高さから伸びた掌で、肩を思い切り叩かれた。

「しっかりな!部長!」
「……先生もいるんですし、そこまで力まなくてもいいんじゃないですか?」

 そわそわ落ち着かない陽日先生(まあ俺たち弓道部の顧問なわけだが、)とは久しぶりに弓道場内で会話した気がする。
 いや、気がするだけでなくそのとおりだ。そのくらい先生は顔を出さないからな。

 その先生が携帯電話片手に、俺の名を叫びながら戸を開いた時には驚いた。

 直後に俺も似たような形相で木ノ瀬を呼びに行く羽目になったわけだが、その事については落ち着くべきだったと反省している。

「夜久先輩が記憶喪失って噂、本当だったんですね」
「らしいな」

 彼女の担任が言うのだから、間違いないのだろう。

 休み時間に見た夜久の寝顔を思い出す。別段顔色が悪いわけでも目に見える怪我があるわけでもなくて安心していたが、まさか脳のほうに支障があったなんて。
 外傷より、よっぽどリスクが高いじゃないか。

「夜久に弓道をやらせる、そういうことですよね?」

 確認の意を込めて陽日先生に尋ねれば、こくん、ひとつ頷いて、あっと口を開いた。

「ただ、記憶が無い状態だから、射つのは難しいだろうな。弓に触らせる程度か?」
「だったら僕、先輩の弓を持ってきます」

 あいつのこととなると行動派の木ノ瀬が遠退くのを横目に見つつ、嘆息。

 記憶は、戻るのだろうか。
 果たしてそれほど単純なものか?

 弓道に対して夜久が熱心に取り組んでいたことは、誰より俺が一番知っている。この約一年と半年、互いに認めあい競いあい、日々練習に励んできた。
 何度となく遅くまで付き合った自主練習も。木ノ瀬がす、す、好きだと評する射形まで上達する過程も。いつも的前で見せる凛とした表情も、全部。

 俺は――憶えてる。

 しかしいくら愛用してきた弓に触れたところで、そううまくゆくとも思えない。
 仮想ではない、現実なのだから。

「おーい宮地、眉間が酷いことになってるぞー!っと、お、電話だ。わるい」

 話をさらに中断することにか、弓道場で鳴った電話についてか定かではないが、陽日先生は左手を顔と垂直に持ってきて、片目を瞑ってみせた。

 携帯電話を耳に当てながらそそくさと出入口に向かって、――何故か途中で停止。

 まるで彼の有名な二宮像のように、固まったままゆっくり器用に回転して、こちらを見た。
 カチリと噛み合う視線。見開かれた目が、非常事態だと告げる。

「………夜久が、いなくなった…?」

 え?
 ウソだろ?と聞き返した陽日先生。
 それに重なるタイミングで、俺は全く同じ言葉を胸中でこぼした。

(091008)
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