「ブハッ…ケホ、ケホ」
「いっちゃん……きたない」
「きたないっておま…!人が飲みもん飲んでる時にそういうこと言うおまえのほうがよっぽど汚ねぇだろ!」

 お茶の注がれた透明プラスチックのコップをワイングラスのように回して、いっちゃんは「たくよ〜」と悪態をついた。

「ごめんなさい…」

 てっきりいつものように軽く流されて終わると思っていた私は、悪気もなければ怒られるとも思っていなくて、半ば理不尽だと思いながらも謝っておく。

 いっちゃんは本当にいけないことをした時と、不貞腐れた時にしか怒らないから、この場合早々に謝罪したほうが楽なのだ。というのが、長年の付き合いから導き出された、私流対いっちゃん処世術。

「つまりなんだ?月子はそいつの入浴シーンを覗いて倒れたと」
「ちがうよ!入浴シーンって言わないで!偶然脱衣場で裸の錫也に口塞がれてそれで…!」
「あーはいはい、わかった。わかったから月子さん?みんなの注目の的になってっけど、いーのか?」
「ええ!?……あ、その、……スミマセン…」

 カァァと頭に血が集まってくるのを感じる。穴があったら入りたいってこういうことをいうのだと、二十歳前にして理解した。
 今の私、何を口走った?入浴シーン?脱衣場?裸?
 ――うう、ハズカシイ。昨日の夜に続いて、人生最上級の羞恥を味わっているのではないか。カフェテリアにいる人間の目という目、耳という耳がこちらに向けられたのではないか。

「…さいあく」
「まあまあ。いいからそれ、さっさと食っちまえよ」

 スマートな動きでクロワッサンをちぎったいっちゃんは、その長い指で私のお弁当を指した。

 錫也が作ってくれた物だ。甘い卵焼きやたこさんウインナー、ポテトサラダ、りんごの甘露煮などなどが綺麗に詰められている。
 どこのスーパーおかあさんですか、錫也さん。

 しかもこれらには一切冷凍食品など使われてなく、すべて錫也の手作りだ。
 好きなものを訊かれ、思いついたまま述べ並べていき、そこに錫也がバランスを考えて付け足した結果がこれ。彩り、栄養バランス、可愛らしさ、おいしさ、どれをとっても理想の母弁当としか言えない。

「りんごもーらいっ」
「いっちゃん!」
「……うっわ、うますぎてムカつく」
「もー。人のモノとっといて何なのよ」

 「おまえのものは俺のもの」と、見事なジャイアニズム代表のセリフを言ってくれた。
 おいしいのにムカつくって、よくわからない感情だ。いっちゃんの言うことは、たまに私には難しい時がある。

「おまえ、なんで俺のとこに来なかったんだ?」
「…え?」

 急に話題を変えたりするのも、苦手なところだ。
 「何が?」首を傾げると、じっと鋭い瞳で見られ、やがて諦めたように反らされた。ため息まで吐かれた。
 意味わからない。

「……なんでもない。ほら、俺のもやるから拗ねるな」
「はむっ!?…んぐんぐ」

 いっちゃん食べ掛けのクリームパンは甘くて、先に含んでいたりんごと競うように口の中を甘くしていく。

「俺のものだって、いつか全部、おまえのものにもしてやるんだからな」

 甘味に噎せた私はお茶で中和するのに夢中で、いっちゃんの呟きなんて聞こえていなかった。

☆愛すべき狼
(100207)

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