「ハッピーバレンタイン!」

 帰り道で買ってきた包みを突き出すと、目を二回ほどぱちぱちさせた錫也。驚いてくれたと思って嬉しくなる。
 私だって女の子らしいことできるんだよ?――自信はないから既製品だけど。シルバーのラベルは高級感も忘れてないし、何より美味しいことお墨付きの老舗なのだから。
 玄関先に突っ立ったまま動かない彼にすぐに焦れて、ぶら下がった手を引いて箱を渡した。反応が薄いというか、予想とずれている。てっきりそつない笑顔が返ってくるものだと、心のどこかでシミュレーションしていたのだが。

「ありがとう」
「どういたしまして!」

 もっと大袈裟に、というのも違うけど、チラリとも笑顔を見せない錫也には違和感満載だ。今私がチョコレートを渡した彼は、果たしていつもオカンな同居人本人かと疑ってしまう。

「外でもたくさん貰ったかもしれないけど、ここのチョコレート美味しいからおすすめなの!」
「いや…」

 どうも噛み合わない空気。何が「いや」?
 いったん話を聞こうと口を閉じて、やっと動き出した錫也に付いてリビングへ向かう。

「職場で貰ったことはない、かな」

 手洗いうがいを後回しに、錫也はソファーに腰を下ろした。手の中で弄くっているところを見ると、嬉しくないわけではなさそうだ。まずはひと安心。

「へぇ、意外。錫也ってモテそうなのに」
「そう?」
「うん。けっこう」

 かっこよくて優しくて、良識と常識と能力を兼ね備えていて、料理はもちろん家事全般が出来るなんて、今の社会で重宝される旦那だと思うのだ。そう、あくまで一般的な話。

「ありがとう。でも男ばっかだし、…暗黙の了解で禁止なんだ。こういうの」
「ふぅーん。ねぇ、」

 どんな仕事なのか、聞きそうになって、留めた。いけない。これは追及してはならない領域だ。ルームシェアの掟違反になってしまう。

「だからさっき、私からのチョコレートも受け取ってくれなかったの?」

 急いで探した代わりの質問は、自分で口にしておきながらチクリとした。
 そうだな、とか、無難に回答してくれればいい。錫也にしては万が一、私が嫌いだからなんて答えはさみしいけど、私だってチョコレートに特別な感情を込めたわけでもないと、誰でもない自分への言い訳を用意して、唾を呑んだ。

「それは、驚いたから」
「…それだけ?」

 普段隙を見せない錫也が、玄関開けたとたん私にチョコレートを差し出されただけでああも固まるものか。訝しげに見た私の視線を遮るように、錫也が少しだけ俯いた。

「すごく嬉しくて…」
「え!」
「あーもう、恥ずかしいからこれ以上は言わない」

 顔を左手で隠す錫也。でもね、右のほっぺがほんのり紅くなってるのが窺える。珍しい、本当に照れてる。……かわいい。

「でも禁止なんでしょう?」

 いたずら心に火のついた私は、言葉でその染まったほっぺをつついてみる。

「いいんだよ、お前なら」

 優しいのに呆れと投げやりを含んだようにも取れる声で、錫也が言う。見事にカウンターを食らった。急に笑顔をお披露目されて、ドキリとした。心臓の音のまま表現するなら、バクッが近い。

「なっ、なんで?」

 ソファーから立ち上がって、こちらに向かってくる錫也に心臓が速くなる。わかってる、洗面所に行くだけ。頭ではわかってるのに心臓は分からず屋だ。
 すれ違う瞬間、何気無い風に呟いたのがまた毒。

「だって、家族でしょ」



 戻ってきた錫也はエプロン姿で、お返しにとチョコチップクッキーを焼いてくれた。
 美味しくて悔しくて嬉しくて、幸福感にくらくらしてるのはやっぱり毒を盛られているからかもしれない。

☆甘ったるいお菓子をあげる
(110215)

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