ごろごろする翼を膝にのせたまま、ソファーに横になる。枕代わりのひじ掛けは高過ぎるが、肌触りがいいのでそのまま横に寝返りをうった。この向きのほうが楽だ。
「うにゃっ」 「ああごめん、翼」
拍子に転げ落ちた翼を、掛け声で勢いづけながら拾って、顔の横に置く。 もふもふ。ヒゲがほっぺたにあたってもお構い無しに、頬擦りをした。こういうの、猫は嫌がると大家さんは言っていたけれど、(実演してみせた大家さんは見事翼に引っ掻かれた。)腕の中の翼は、甘んじて受けている。
「翼かわいー」 「にゃー」 「耳もふもふ。にくきゅうぺたぺた。ふふ、幸せ」
にくきゅうを弄っても抵抗しないところを見ると、今日の機嫌は最高潮のようだ。うねうね動くしっぽを追いかければ、嬉々としてにゃおんと鳴いた。かわいいよー。
そんなとき、悦に入っていた私の腕の中、翼は急に立ち上がった。
数秒遅れるようにして、鍵穴が回る音を聞く。
「おーい月子、夕飯の買い物行くけど、おまえも行くか?」
日曜日なのに、朝早くから『知り合いに会ってくる』と言って出ていった錫也が帰ってきたようだ。チャリン、抜き取った鍵を揺らしながら、リビングにやってきた。
んー、と私が空返事で応えたとたん、翼の動きが変わる。私の上にのし掛かり、前足で、しっかりと私の体をソファーに押し付けてきたのだ。 あの、翼くん、いくら猫だからって、胸を押さえ付けられるのはちょっと…。
食い込むツメが痛くて、助けを求めて錫也を見やる。
「錫也ぁ…、動けない」
翼が行くなって言っているような気がして、抱き上げて外へ連れ出すのが可哀想に思えた。 だからといって、いつも錫也ひとりに任せっきりの買い物だ。休みの日くらい手伝いたい。
「猫に…襲われてる?」 「ばかっ、…もう、翼ってばどうしちゃったの?」
前足を退けてみようにも、猫にしては大柄な翼の力は強く、今の私の体制と腕力ではどうにもならなかった。
フーッと、私は初めて聞く鳴き方に、どうしたらいいのかわからなくなる。
「わるいな、おまえの大好きな月子を、少しだけ解放してやってくれないか?」 「フーーッ」 「…だめ、か?」 「すごい錫也。翼の言ってることわかるの?」 「そんなわけないだろ」
そんなこと出来たらそいつは天才だよ、と苦笑して、錫也は翼を持ち上げる。それが気に食わないようで、小脇に抱えられた翼は抵抗したが、意に介すそぶりも見せずにエコバッグを出した錫也にやがておとなしくなった。
そんな翼を覗き込んで、錫也が微笑みかける。
「ほんとはいいこなんだよね、翼くん?」 「に……にゃ…」
後日、翼は錫也の前に姿を現さなくなった。 ……らしい。
☆オアシスの消失 (100216)
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