寅撫オフ本Velours「Doilly」のおまけ話
――――――


「完璧な人間なんていないのと同じように、それとまったく同じにはできませんよ」

 カタカタとキーボードからパソコンへ入力する俺の背後で、彼が言った。
「わかってるんですよねぇ、鷹斗くんだって」
 暖房もつけないままの部屋は寒く、吐く息が白かった。その人物がエアコンのスイッチを入れる。風邪をひかれたら遅れが出ますからねぇ、と苦笑しているのが耳に入ったが、彼が何を思ってそんなことを言ったのかは考えなかった。そんなことを気に掛けるくらいなら、微々たる量でも打ち込んでしまいたい。
 ただ淡々と記号を羅列する作業はこんなものかと思うくらい無機質で、でもこれが終わったあかつきにはまた元通りの彼女に出会えると思えば容易い。ひとつの間違えが仇となるため、簡単とは思いつつも確認を平行して行った。
 数字、計算式、キーワード、アルファベットが組み合わさって、四角い画面の中にプログラムを形成していく。
 彼女ならこう言うだろうかとか、どんな思想を持ち合わせているかとか、行動パターンを記憶にある限り挿入していった。
 コーヒーの香りが漂う。彼が勝手に淹れたようだ。
 自分じゃない人物がこの部屋に長くいることは珍しく、何かと散らかった部屋に座れる場所は俺の座っている椅子だけだ。つまり、彼は突っ立ったままコーヒーを飲み、画面を覗き見ていた。
「……いつまで見てるつもり?」
「おや? 気になるんです〜?」
 画面から目を離さないままに問う。おかしそうに首を傾げたのが気配で感じられた。
「どうせすぐに使えなくなるって、自分でわかってるんでしょう? 後々のアップデートだって大変だ。自分の身の回りの世話さえできない君が、それに加えて他人の――それも、好きな女の子の管理なんてできるわけありません」
(言いたい放題だなぁ)
 だからって諦めようとか、引き返そうとは思わない。自分には彼女が必要で、そのニーズのためにはなんでもしたいのだ。出来る限り。やれる限り。
 せっかくの持ち物を、使いたいときに使わなくてどうする。
「使い方、考え直しましょうよ。その頭脳」
 ――まるで馬鹿みたいだ。

 冷たく間延びした声に、それでも構わないよ、と返した。




(ああ……眠ってたのか)
 眼前のディスプレイがスクリーンセイバー画面に切り替わっている。
 ずっと食事を取らないままだったせいか、胃がひくついていた。きゅう、と鳴ればまだ可愛いものだ。鳴る元気もないのか、俺のお腹は。
「おはようございます」
 彼はまだいた。変わらぬ態度で。同じ格好で。ただしパンケーキを咥えて。
 俺を見ていた。
「4時30分くらいでしたかねぇ。薄暗くなりかけたころに、急にばたんといきました。いやぁ、ぼくも驚きましたよ〜」
 驚いた。だとしても、心配はしなかっただろうことが窺えた。にこにこしている。気持ち悪いぐらい、笑顔だった。無事に目を覚ましてよかったとか、安心したとかの類でなく、ただ笑っていた。意味のない笑顔だった。
 と、ここで久方ぶりにまともに人と目を合わせたことに気づく。自分のそれと似たような色の目が緩く細められていた。
 最後に見たのは、毎日見ているのは、目を閉じたまま指の先さえぴくりともさせない彼女だけだったから。
 隣室で今も横たわっているであろう彼女は瞼で世界から遮られている。俺は、それをこじ開けようとしている。
「プログラム、完成したんでしょう?」
「うん。あとは、同期して……」
「楽しみですね」
 タノシミ、か。
 その感覚は少し違うのではないか。俺はただ、あるべき世界に戻そうとしているだけであって、元の状態になってくれるか危惧しているのだから。
 楽しみなんてポジティブな考え方は、オブラートの役目でしかない。
 でも、
「……そうだね」
 薄く微笑み返した顔は、きっと彼と同じような気持ち悪いものができあがっているだろう。




 撫子が起きた。
 ぱちりと意志の強そうな瞳でもって、俺を見る。
「……たかと?」
「おはよう。
 ……学校、行こうか」

「ええ」
 頷いて、足も腕も、軋みなく動いて、ハンガーにかかった制服に手を伸ばす。そのまま途惑いなく寝間着替わりに着ていたワンピースの裾を掴まれて、俺のほうが焦った。
「ちょっと待って撫子!」
 何日も目覚めなかったことがウソのように、きょとんとした疑問符を寄越され、ああそうか“待ってくれてる”のかと思った。――冷静になれ。喜ぶな。むしろ失敗に肩を落とす場面だ。
「俺が出てってから、着替えてくれる……?」
 視線をそらす。開かない顔はいくらだって見ていられたのに、まっすぐにこちらを見てくる撫子を正視できないなんて。
 「それもそうね」心得たとばかりもう一度頷く撫子は無表情だ。
 『好きな女の子の管理なんてできるわけありません』
 反芻された言葉に頭を振って、そんなことあるわけないと反論してみせる。
 なに、羞恥心をアップデートするだけだ。常識のある彼女を、俺が今まで見てきた約1年間の彼女を思い起こして、思い馳せて。
 できないわけがないのだ。彼女のための研究に勝るものなどないのだ。
(……撫子のため、なのかな)
 プログラムされた彼女が愛しそうに自分の名を呼ぶ設定は、果たして撫子のため……?







「なくしたら、買えばいいんですよ。壊れたら、直せばいいんです」
「撫子はモノじゃない」
「おや〜? あんなものまで作っておいて、壊れたとたんに……
 鷹斗くんって、本当に勝手だ」
「……他の方法を考えなくちゃね」
「それなら、いいアイデアがありますよ」
「レインも協力してくれるって顔だね」

「あ、わかります〜?」
 暖房のつけられていない部屋に、少年とも青年ともつく背格好が二人。
 紅の色した目が、鏡のように、歪んだ。

遣いよう
(20120307 初出111128)

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