夢 | ナノ
世界の為の佐野万次郎



「エマぁ、まだ買い物続けんの? 俺、もう疲れた〜」

 ずっしりと手のひらに食い込むショッパー達を見下ろし、げんなりと肩を落とす。朝早くエマに叩き起こされ、渋谷中を連れ回され、一体これで何件目の店だろう。体力的にはまだまだ問題無いが、先に精神が限界を迎えそうだ。
 龍宮寺の体に白と黒のジャケットを当て矯めつ眇めつしていたエマは、俺の泣き言を「まだ!」とにべもなく切り捨てた。

「ウチ、お気に入りのセーター縮められたコトまだ許してないからね!」

 その言葉に龍宮寺と二人、ぐぅと顔を顰める。

「エマ、それはマイキーじゃなくて俺がだな……」
「マイキーが洗濯機の使い方教えて中に放り込んだんだから連帯責任! ケンちゃんは着せ替え人形! マイキーは荷物持ち!」

 ぷくりと頬を膨らませるエマの機嫌はまだまだ直りそうもない。龍宮寺と密かにアイコンタクトを取る。仕方がない、プランBだ。エマに気付かれないようハンドサインで指示を出すと、龍宮寺は一瞬顔を引きつらせた後しぶしぶ小さく頷いた。

「なぁエマ、そろそろ昼だしメシでも行かねぇか? あー……近くにある……喫茶店のパフェ……気になってんダロ?」
「えっ、それって――」

 エマが龍宮寺の方を向いた隙に俺は懐から一枚のチラシを取り出し、エマの背後で広げて見せる。龍宮寺はニマニマと笑みを浮かべる俺の指の先、チラシにデカデカと載った文字を見て盛大に顔を引き攣らせる。「読め」と声に出さず口だけで繰り返し言うと、龍宮寺は観念したようにそれを読み上げた。

「か、カップル専用……らぶらぶ、MAXハート苺ぱふぇ……」
「ケンちゃん……!」
「ぶっは……ゴホゴホ」

 思わず吹き出したのを咳で誤魔化す。ギロリとこちらを睨みつける龍宮寺から逃げるように踵を返し、俺は二人にひらひらと手を振った。

「じゃ、俺先行って席取ってるから。二人はゆっくり来いよ〜」


 §


 チラシに乗っていた喫茶店へ着き、後で連れが二人来る事を伝えると窓際のボックス席を案内される。オムライスを注文して待ちながら、含み笑いをして携帯を操作する。どうやら件のパフェを注文する為に、店員にカップルである事を証明する必要があるらしい。
 何をさせようか。ハグか、キスか。記念に動画でも取ってやろうか。それをネタに一生[[rb:揶揄 > からか]]ってやろっと。鼻歌交じりに携帯のムービーを試しに起動させて窓の外を撮っていると、携帯画面の中に二人が映り込む。こう見ると身長差すげぇなと思いつつムービーを回していると、俺に気付いた画面の中のエマが龍宮寺の袖を引き大きく腕を振った。

 俺は、笑いながら携帯と持つ手と反対の手でひらひらと振り返して。
 凍りついた。
 二人の背後から、大型のSUV車が迫っていた。

「―――エマッ!! ケンチンッ!!」

 俺の鬼気迫る様子に疑問に思ったのか、それとも車の音が聞こえたのか。揃って後ろを振り返った二人は、固まって動かない。
 どうすれば。入口から出て行くのでは絶対に間に合わない。ガラスを割って、いや、窓を割って出た所で間に合うか? 何故。この世界は花垣に選ばれたのでは無かったのか? 選ばれている世界で死んでしまったら、エマもケンチンも、もう、
 世界がゆっくり流れている。何故、俺は二人から離れた? 思考ばかりが加速して、体が動かない。エマが死ぬのはまだ先じゃないのか? 嫌だ。ここで二人が死んだら、今までの俺は何の為に、世界を。嘘だ。
 ぐるぐると胸の奥を衝動が渦巻いている。目の前が黒く塗りつぶされる。
 認めない。こんな世界、認められるものか。

「……タケミっち?」

 黒く澱んでいく世界の中、ふいに視界を金色の髪が横切った。
 スローモーションの世界の中、その人物が二人に勢いよく飛び掛かる。次いで、SUVが派手な音を立てて建物に突っ込んだ。
 時間の戻った世界で、車のクラクションの音だけが街中に鳴り響いていた。

「エマ、ケンチン!」

 急いで喫茶店を出て、煙を上げる車の傍にしゃがみ込む二人に駆け寄る。見る限り、服の汚れ以外異常は無い。

「無事か? ケガは!?」
「ウチらは大丈夫。……だけど」
「おい、腕ずるむけてんぞ、お前。今救急車呼ぶからそれで抑えてろ」

 ケンチンの影、タグの付いたままの白いジャケットを赤く染め上げ座り込んでいるのは――やはり、花垣武道だった。花垣は、額に汗を浮かべながら俺を見上げへらりと笑みを浮かべた。

「マイキー君。二人は、無事ですよ」
「タケミっち……ありがとう」
「いえ、こっちこそ助けるのがギリギリになっちゃって……」
「ギリギリ……? それってどういう、」
「武道! お前!」
「……ニィ?」

 花垣の言葉に首を傾げたエマを遮るように声が響き、俺もケンチンも花垣の傍から除けられる。俺たちを押しのけ花垣を取り囲むのは、イザナを筆頭とした天竺の面々。

「おいドラケン、救急車は?」
「到着まで後、5分はかかる」
「武道、一回服外すぞ。おい鉄太、水! 誰かタオル持って来い! 早く!」
「……ごめん、イザナ君」
「無茶しやがって……だが、良くやった」

 天竺に囲まれその中心で応急処置を受ける花垣に龍宮寺と俺は揃って頭を下げた。

「エマを、ケンチンを助けてくれてありがとう、タケミっち。……でけぇ貸しが出来ちったな」
「……じゃあ、マイキー君。一つ、お願いがあります」
「ウン、何でも言って。どんな願いも叶えたげる」
「――天竺と、抗争してください」

 は、と俺の隣でケンチンが息を呑む。

「三週間後の2月22日。初代黒龍創設の日、横浜第7埠頭に20時。
 天竺親衛隊副長……兼、11代目黒龍総長花垣武道から。

 ―――東京卍會総長佐野万次郎への、宣戦布告です」

 花垣は痛みで青褪めた顔で、そう言った。強い意志を持って、青い瞳が燦然と煌めく。自分に向けて差し出された手を見下ろして、彼を取り囲むイザナ達を見て。

「ふ……はは、」

 堪えきれなかった笑い声を零しながら、俺は花垣の前に片膝を付き血と砂利にまみれたその手を握った。

「イーヨ。ヤろっか、タケミっち」

 パチンと、頭の中で記憶が弾けた。



 救急車が、赤色灯とサイレンを回しながら去っていく。それを見送りながら、俺は傍に立つ龍宮寺を呼んだ。

「ねぇ、ケンチン」
「んだよ、マイキー」
「イザナを――天竺を潰したら、東卍が日本の頂点に立つ」
「ああ、遂にだな」

 右手を握りしめる。花垣の手を握った時に付いて、とっくに乾いた血と砂がパラパラと地面に落ちる。花垣に選ばれたこの俺は、正しい選択をしなければいけない。……全ては、より良い未来のために。

「頂点の時に終わらせたい――って言ったら。……怒る?」

 叩き込まれた記憶の中、小さな画面の奥で何度も死にゆく彼は、俺の言葉に目を見開いて。……そして、静かに笑った。



 §



 特攻服のズボンとインナーを着て、上着と襷を片手に台所へ向かう。

「はよ。エマぁ、髪やって〜。襷も」
「おはよ!これ終わったらやったげるから先にご飯食べてて!」
「んー」

 テーブルに座り、用意されていた朝食兼昼食をもそもそと口に運ぶ。ふと、エマの物ではない手が俺の髪に触れた。見上げ、背後に立つ人物を見て俺はゆるく笑みを向けた。

「はよ、ケンチン」
「おー、マイキー。……もう夕方だけどな」

 龍宮寺は言いながらいつもと比べ殊更丁寧に俺の髪を櫛で梳く。そして、感慨深げに息を吐いた。

「ついに、だな」
「ウン。新宿“音速鬼族”、吉祥寺“SS”、池袋“ICBM”、上野“夜ノ塵”。その他腕に覚えのある奴ら。……すべて、この三週間で東卍が潰した」
「――残すは横浜“天竺”だけ」

 俺が食べ終わり、箸を置いたタイミングで龍宮寺が髪を結び終える。席を立ち、シンクに食器を付け置く。椅子の背にかけていた特攻服に袖を通しボタンを留めていると、赤い襷を持ったエマが後ろに立ちゆっくりたすき掛けていく。

「ん、出来たよ」
「ありがと、エマ」

 エマに礼を言って、向かったのは仏間。仏壇に……真一郎に線香を立て、龍宮寺と一緒に手を合わせる。今日、全てが終わる。俺の青春、俺の東卍、俺の――。全部を終わらせ、俺は正しい未来を選び取る。
 目を開け、立ち上がる。振り返ると、仏間の入口に立ったエマがふわりと笑った。

「ケンちゃん、いってらっしゃい。……マイキーも」
「おー、テッペン取ってくるワ」
「危ないから、今日は外に出んなよ」

 すれ違いざま、エマの頭をぽんと撫でる。

「……イザナと、話してくる」
「ウン!」

 龍宮寺も、エマも救われた。なら、今度は俺が。


 §


 コンテナに腰掛けぼんやりと月を見上げる。時刻は19時55分。天竺はまだ来ていない。眼下に整列するのは、東京卍會総勢650人。死者は無く、逮捕者も無く、離脱者も無い。記憶の中、紙面上の関東事変とは規模も役者も立場も全く異なる抗争が始まろうとしていた。

「――…来た」

 遠くから、複数のバイクの排気音が近づいてくる。
 その音達の中にCB250T(バブ)の音色を聞き取り、隊員たちの間でざわりと動揺が広がる。目視出来るくらいに近付くバイク団。イザナのCBR400Fの隣に並走するバブを見て、それを操る人物を確認して俺は笑った。
 真一郎の葬式の際イザナに渡した俺のバブの双子のエンジンは、巡り巡って花垣の物になったらしい。ここまで予定調和が揃えば、この抗争の終わり方は決まったも同然。

 バイクを降りた天竺の面々が、東京卍會と対面し並ぶ。コンテナの上から見下ろすと、人数差が良く見て取れた。
 天竺はクリスマス前の抗争で黒龍100人を吸収して総勢500人。人数はこちらが有利。幹部の数と戦力は同程度。だが、向こうにはイザナと鶴蝶と――花垣がいる。花垣武道は、決して折れない。ボロボロになっても立ち上がるその姿は味方を奮い立たせる。
 番狂わせが起こるならそれはきっと、花垣武道から始まる。

 天竺の赤と黒龍の白の先頭に立つイザナの、静かに燃える紫焔の瞳がコンテナの上に座る俺を見据えた。
「まずお前が出ろ……獅音」

 イザナに促され斑目獅音が天竺の面々から一歩、歩み出る。魁(さきがけ)戦。S62世代で流行ったその儀式を東卍が行ったのは、創設初期。9代目黒龍を潰した時のみ。
 東卍幹部達が、闘志を滾らせ俺を見上げる。期待の目を向ける幹部達に視線を滑らせ、俺はそのうち一人を見つめて静かに名前を呼んだ。

「……一虎」
「ッシャア!」

 ガッツポーズをし意気揚々と歩み出る羽宮の背を見送り、コンテナから飛び降りる。埠頭に、斑目と羽宮二人の名乗りが響き渡った。並んだ隊員達の間を通り最前に立つ幹部達に並ぶと、場地が不満そうに舌を打つ。

「何で一虎なんだよ、マイキー」
「一虎には九代目黒龍との因縁があるし、獅子と虎どっちが強いか気になるじゃん。まぁ、でも――…」

 二つのチームの間で繰り広げられる殴り殴られ、蹴り蹴られの応酬。勝負は互角。先に倒れたのは――

「……やっぱり、虎の方が強かった」

 天竺の隊員が倒れ込んだ斑目を助け起こし後ろに下がる。安全圏へ下がるまで視線で見送って、イザナは一歩前に進み出る。

「マイキー。お前の夢を、夢のままで終わらせる」

 じっと見つめて来るイザナに返答せず、俺はくるりと振り返りそこに並ぶ東京卍會を見た。端から端までゆっくり見渡し、一瞬だけだが一人ずつと確実に視線を合わせる。

「たとえ負けても、お前らの後ろには俺がいる。勝ち負けなんか気にしなくていい。
 対するは横浜天竺、相手にとって不足なし。最初で最後のド派手な祭りだ。……心の底から楽しめよ?」

 かけた発破に返ってくるのは、熱狂の雄叫び。それを背に、俺は高らかに謳い上げた。

「さぁ、楽しい楽しい喧嘩を始めようか――…天竺の諸君」
「行くぞ、オマエら!」

 総勢1150人による、日本の頂点を決める最大規模の抗争が始まった。



 天竺の赤、黒龍の白、東卍の黒。その三色が入り乱れる埠頭をコンテナの上からじっと見下ろす。そこかしこで起きる、激情のぶつけ合い。
 龍宮寺が数十人の天竺隊員を相手取り暴れている。場地と松野が灰谷兄弟相手に互角の戦いを繰り広げ、三ツ谷と柴が柴大寿を相手に苦戦を強いられている。林田と林が半間を抑えつけ、河田兄弟が黒龍隊員を次々と伸していく。三途が武藤と戦い善戦している。羽宮は乾と九井を相手に押されている。

「俺の、東京卍會。……楽しそうだ、みんな」

 俺のみでは決して到達できなかった夢の果て。一人一人の雄姿を目に焼き付ける。
 全体の戦況としては、人数差と士気の高さもあり東卍が優勢。壱から伍番隊の働きもさることながら、500余名の陸番隊がそれぞれの班を統括する長の元、統率された動きで天竺を食らい潰していく。あっという間に隊員の半分以上が地に沈み、天竺は窮地に立たされた。

「これで終わりか? ……違うよな、ヒーロー」

 雄たけびを上げ、我武者羅に腕を振り回し真っすぐ俺の立つコンテナへ向かって来る花垣に目を細める。殴り飛ばされ、何度地面に倒れても彼は諦めない。ふらふらになりながら、鼻からぼたぼたと血を垂らしながらそれでも立ち上がる花垣の姿に鼓舞され、折れかけていた天竺隊員の心に灯がともる。味方を気に掛ける必要のなくなった鶴蝶とイザナが埠頭を暴れまわり戦況を変えていく。

「高みの見物なんかしてないで降りて来てください! マイキー君!」


 ようやくコンテナの近くまでたどり着いた花垣が、真っすぐな目で俺を見上げる。近くの東卍隊員が彼に殴りかかるも、そばにいた鶴蝶に即座に返り討ちにされる。
 ふぅとひとつ息を吐いて、俺はコンテナを蹴り宙に身を踊らせた。軽い音を立てて花垣の間近に着地し、至近距離から顔を覗き込む。

「――何、オマエが俺の相手をしてくれんの?……タケミっち」

 ピシリと固まった花垣からの返事は無い。その代わり――
 ひゅっと視界の端から鞭のようにしなった足が襲ってきて、後ろに飛んでそれを避ける。花垣をかばうように立つのは。

「お前の相手は俺だ、マイキー」
「はは、いいね。久しぶりに手合わせしてよ、イザナ」

 俺の言葉にイザナは苦々しく顔をしかめて、拳を握った。



 気付けば怒号とざわめきに満ちていた埠頭には、俺たちの攻防の音以外が無くなっていた。
 それでいい。雑音などこの場に不要。

 イザナの側頭部に放った蹴りを首をそらし避けられ、代わりにのびてきた拳が俺の頬を打つ。
 口内にじわりと広がる血の味に笑いながら距離を取る。
 ぷっと赤色交じりの唾を吐いて、予備動作も無しに距離を詰め胴に回し蹴りをして吹っ飛ばす。
 倒れた地面にイザナが手を付き、逆立ちの状態で放った蹴りが俺の鳩尾にめり込む。
 打ち、打たれ、避けては翻され、蹴り、蹴られ。その応酬の最中、いつからか自分に科してた枷を外していく。少しずつ強く、少しずつ早く。
 顔面に向かって来る拳を首を傾ける事で回避する。縮まった間合いを良い事に鳩尾に膝蹴りを入れさらに反対の足で回し蹴りを。宙を浮いた体へトドメに拳を見舞う。
 それを両腕で受けたイザナが地面を滑り、距離が出来る。
 追撃はしない。

 戦闘の音が止まり、埠頭が耳に痛いほどの静寂に包まれる。
 誰も彼もが拳を握り、固唾を飲んで俺たちの戦闘の行方を見守っていた。

「……衝動とやらは、晴れたか? マイキー」

 息を整え、鼻から垂れる血をぐいと拭いイザナが言う。
 頬を伝う血をそのままに俺は首をかたむけた。

「武道が言ったんだ。将来どれほどの巨悪に堕ちようと、お前がお前である限り救ってみせると」
「……俺が、俺である限り……救う?」
「ああ」

 思わず笑い声が零れる。救う? ……俺を?
 善行を成せばより大きな悲劇に変わると思っていた。悪行なら許されると思っていた。そういう世界だと無理やり自分を納得させていた。自分では無理だからと花垣に周りを救わせ、大切な誰かが死ぬと花垣を過去に送る為、何度だって世界を燃やし尽くした。
 だが、違った。違ったんだ。前々回。世界を支配した俺が衝動の赴くがままに行動し実験し知ったのは、自分がどこまでも人類の敵であるという事実だった。
 記憶の中の俺が星の周りを漂う宇宙ゴミをEMPで一掃したのは、森林を過剰なまでに保護したのは、核を二度と作れないよう資料に至るまで全て廃棄させたのは、化石燃料の使用を制限させたのは。……人を殺し続けるのは。俺が、そう作られたイキモノだからだ。俺は栄華を極め、地球を食い潰していく人間たちの繁栄を食い止めるための機構にすぎない。
 そんな俺を――

「――…救えるもんなら、救ってみろよ」

 そう吐き捨てて地面を蹴り、イザナに肉薄する。
 顔面を拳で殴りつけ、追撃として放った回し蹴りは腕で止められた。
 そのまま足を掴まれ宙に投げられる。崩れた身体を立て直すため地面に手を付き、その体勢のままイザナのあご目掛けて蹴りを放つ。
 もろに入った衝撃にイザナの体がぐらりと傾くも、倒れない。
 放たれた蹴りを背を逸らし避け、カウンターとして足払いを仕掛ける。
 地面に倒されてもすぐにイザナは立ち上がる。
 首筋に回し蹴り。確かな手ごたえ……倒れない。
 紫焔の瞳が確かな覚悟を持って俺を貫く。
 顔面に何発も入れた。腹にも。蹴りを受けた腕も足もボロボロのはずだ。
 それでもイザナは屈しない。倒れない。諦めない。
 花垣のように。
 ―――真一郎のように。
 土埃と血にまみれながらも立ち上がるイザナの姿に胸の内に形容しようのない感情が広がる。

 一旦距離を取り、立て直そうか。
 軽く周りを確認し視界の隅にそれを捉え、俺は目の前の肩を掴み強引に押し倒した。
 鈍い銃声と記憶の中で何度も嗅いだ硝煙の臭いが埠頭に広がる。

「万次郎……?」

 仰向けに倒れたイザナの頬にぽたぽたと数滴、血が落ちる。
 それを指で拭って上から退き、そいつに向かって歩き出す。
 ハンドガン。装弾数は6発、片手で持ちその軸はゆらゆらと定まっていない。
 頭に向かって一発、首をかたむけ回避する。
 太ももに一発、続けて足元に二発。……素人が。地面を撃ってどうする。
 六発目。鈍い音と共に腹部が焼けるように熱くなる。歩くのに支障はない。

 カチカチと弾が無くなったハンドガンの引き金を幾度も引き、醜く喚き散らかす男の首を掴む。

「――…イザナを殺そうとしたな、お前」

 ぐるりと衝動が胸の内に渦を巻く。天竺の赤い特攻服に身を包む知らない男の首を絞め、持ち上げる。男の顔色が徐々に紫に変化していく。手の甲に爪を立てられ血がにじむ。気にせず男の顔を殴りつける――何度も。何度も。
 喉奥から生ぬるい鉄錆の味がこみ上げる。ごぽりとそれを吐き出しながら、殴る手を止めない。

「待て待てマイキー! お前、撃たれて……!」
「誰か救急車呼べ!」
「そいつ死ぬぞ! 降ろせ!」

 龍宮寺の言葉を皮切りに埠頭にざわめきが満ちる。
 羽交い絞めにされ、男の首から手が離れる。地面に倒れ込み激しくせき込む男の肩を思い切り踏みつける。ゴキリと足の下から骨の折れる感触。……距離を離される。


「離せケンチン。そいつ殺す」
「落ち着け! お前が死ぬぞマイキー!」

 龍宮寺が俺を羽交い絞めにし、場地が俺の足を拘束する。舌打ちの代わりに血が口から零れる。かまうものか。しがみつく場地ごと足を持ち上げ振る。拘束が緩んだすきに身をかがめ龍宮寺の腕から抜け出す。踵落としを男の頭目掛けて――望月と武藤が慌てて男の体をずらす。ブーツの下でコンクリートが派手に砕け散った。

「誰でもいい、万次郎の意識落とせ!」

 首筋に衝撃。
 東京卍會最後にして最大の抗争は、イザナの怒号に似たその声を最後に終わった。



 §



 目を開けた。視界に入るのは白い天井、呼吸する度曇る鼻と口を覆うマスク、点滴台から伸びる複数の管。
 身体を起こし、煩わしい酸素マスクを外してベッドに腰掛ける。
 ぐるりと部屋の中を見回す。ベッド横には見舞い品の山。花瓶の中に瑞々しい花束。一見ホテルのような病院の個室。

「――…死に損なったか」

 腕に差された点滴の針を引き抜き、病室内を歩く。扉という扉を片っ端から開け、中を確認。クローゼット、キッチン、応接室――シャワールームを見つけ中へ入る。
 病院着を脱いで巻かれた包帯を外し、その下のガーゼを剥がす。鏡の前に立ち胸部と腹部の銃痕の状態をまじまじと確認する。

「3日……ぐらい、か?」

 癒着しかけの縫合跡から判断を下す。意識すると体中がベタついる気がして、蛇口を捻り頭から水を被った。冷水で眠気を振り払いながら、頭を回転させる。

 関東事変は、おおよそ俺の思い描いていた通りの展開に終わった。記憶の中、紙面上の関東事変の死者は三人。イザナと稀咲、エマ。その内の一人であるエマは花垣によって救われた。残るはイザナと稀咲の二人。イザナの死因は銃殺、稀咲の死因は交通事故。果たして因果は二人へと真っ直ぐ向かうのか、それとも花垣の怨敵たる俺自身に向かうのか。
 記憶を得てからの3週間、東京に残る暴走族を潰しつつ伍番隊による東卍の内部調査を強めたが、銃あるいはそれに類似する物を所持する隊員及びその家族は見つからなかった。ならば、銃を持ち出すのは天竺の隊員。記憶通り稀咲鉄太の可能性も考えたが、花垣側についたこの世界でその線は薄い。
 いくら調べど、俺と天竺に所属する約500人の平隊員との間に波乱の芽は出てこなかった。逆恨みという可能性を除けば、おそらく狙われるのは俺ではなくイザナと稀咲。イザナは一度懐に入れた者には甘い。それは叩き込まれた記憶の中で嫌というほど分かっていた。
 俺のやる事は簡単だった。龍宮寺とエマは花垣によって救われた。今度は俺が、自身の命と銃を持ち出した奴の命を持ってイザナと稀咲を救う。もしそこで死に損なったのであれば――

「ちょっと! マイキー、何してんの!?」

 悲鳴に近いその声に、沈んだ思考を浮き上がらせる。振り返って扉のほうを見ると、エマが足元に荷物を散乱させ佇んでいた。

「……シャワー、浴びてた」

 シャワールームにエマと駆けつけた看護師の怒号が鳴り響いた。


 §


 見舞い品の林檎をぎこちなく剥くエマの手元をぼんやり眺める。
 少なくとも全治3ヶ月、2週間は目覚めない。それが3発の銃弾を体内に埋め込み病院へ担ぎ込まれた俺に下された診断らしい。最悪の場合は――と医師はあれこれ付け足したようだが、俺は五体満足で内蔵にも呼吸器系にも異常なく目覚めた。
 慌てて駆けつけ、ずぶ濡れになった俺を見た瞬間の唖然とした医師の表情を思い出しふっと笑う。

「……今、笑った?」

 途中で切れた林檎の皮の山を見て肩を落としていたエマが顔を上げ、じろりと俺を睨む。

「笑ってない」
「嘘だ! 絶対笑ってたもん。林檎の皮もろくに剥けないのかって馬鹿にしたんでしょ!」
「してない」
「嘘! 大人しくウサギにしておけば良かったのにって思ってる!」
「それは思った」
「……ふふっやっぱり」

 薄く笑ったあと、エマは表情を曇らせうつむく。

「マイキーまで、シンニィみたいに死んじゃうんじゃないかって……怖かったんだから」

 そのつむじを眺めながら、俺はそっと胸に手を押し当てた。自分の位置、相手の位置、銃口の位置、発砲から着弾までで微かに落ちる弾道。その全てを計算し、確実に致命傷になるよう銃弾へ当たりに行ったはずだった。だというのに、銃弾は心臓や主要な血管を避け、貫通する事無く体内にとどまった。
 あと数ミリ違えば、弾が体内に留まり血管を圧迫していなければ、命は無かったと医者はしきりに口にしていたがそれこそが俺の思い描いた未来だった。だが。

「ダイジョーブ、俺は死なねーよ」

 生死を選択する自由すら、俺には無い。……あるいは、頭を打ちぬけば。今までの世界線で経験した死因を思い返していると、病室に備え付けられた電話が鳴り響く。
 立ち上がり受話器を耳に当てたエマは数度相槌を打つと俺を振り返った。

「……ニィ達、来たって」
「そ。通してイーヨ」

 頷き、ナースステーションにそれを伝えた後、エマは自分の鞄を持ち扉へ向かう。

「ウチ……ケンちゃん迎えに行ってくるね」

 その背中にひらひらと手を振って、皿に並んだ若干皮の残った林檎をフォークに突き刺ししゃくりと齧る。2、3切れ食べ進めていると、病室の扉が数回ノックされた。「どーぞ」ベッドの上から声を張ると扉が開きイザナが花垣、稀咲を引きつれ室内に足を踏み入れる。
 ベッド横にあるソファーを持っていたフォークで差すと、3人は顔を見合わせそこに腰掛けた。稀咲が手に持った紙袋を俺に差し出す。開き覗き込むとたい焼きとどら焼きがぎっしりと詰まっていた。遠慮なく一つ取り出し口に含む。

「……経過は?」
「良好。後遺症も残らないって」
「無敵のマイキーは銃にも無敵か」


 皮肉げに笑ったイザナに無言で笑みを返す。
 ……無敵のマイキー。思えば、これ以上俺にふさわしい言葉があるだろうか。俺は無敵として作られ、使命を果たすまで死ぬことは無い。
 再びシンと静まり返った病室で、稀咲が口火を切る。

「――今回の抗争の清算だが。逮捕者5名、全員天竺構成員だ。……死者は無し、重傷者は2名」
「ふぅん」
「あれ以降、警察の目が厳しくなった。全員での乱戦はもう難しいだろう、決着を付けるなら5対5のタイマンか、」
「稀咲、いい」

 稀咲の言葉をイザナが止める。

「……銃を持ち出したのは天竺の構成員で、その理由も俺への恨みからだった。東卍は関係無い。全部、外ばかりに目を向けて内部を統率出来なかった俺の責任だ。
 ――今回の抗争は天竺俺たちの負けだ、マイキー」

 紫焔の瞳が真っすぐに俺を貫く。たい焼きの最後の一口を飲み込み俺は尋ねた。

「天竺はこれからどーすんの?」
「……お前の好きにしろ、マイキー。傘下に入れるも、解散させるも」
「いや、どっちもしない」

 花垣と稀咲が揃って首を傾げる。

「解散するのは――東京卍會だ」
「え!?」

 ぎょっと目を見開いた花垣に笑いかける。

「ずっと決めていたんだ。東卍は頂点の時に終わらせるって。……隊員達も全員、納得してる」

 本当は、総長俺が死んだ後の龍宮寺への負担を軽くするために通しておいた話だった。だが、俺は死ななかった。死ねなかった。なら。
 こんな俺の役割に大切なみんなを巻き込みたくはない、殺したくない、死んでほしくない。その為なら俺は、俺の愛した東京卍會を手放せる。

「東卍が無くなったら、きっと関東は荒れる。天竺にはその平定と――東卍でカタギに戻りたくないって奴らの受け入れを、お願いしたい」
「……わかった」

 何も聞かず頷いたイザナとは対照的に、花垣がソファから立ち上がり俺に言い募る。

「マイキー君、いいんですか? だって、東卍はマイキー君のすごく大切な、」
「いいんだ、タケミっち。俺の手の届かない遠くで良い……大切な人が幸せに過ごしてくれれば、それだけで」
「――だったら、オレも協力します。マイキー君の大切な人達を、オレが守ります。何度だって」
「なら、俺は――…」

 強い意志を宿し、青い瞳が輝く。ああ、と息を吐く。きっと花垣はこの言葉通りに、俺の為何度だって繰り返すのだろう。巨悪へ堕ちる俺を救いに、何度でも。決して諦めることなく。
 なら、選ばれた俺の果たすべき役割は。 

「……俺も、“幸福な現在”のために尽力するよ」

 ずっと胸の奥に渦巻いていた衝動は、その瞬間収束した。




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