となりの。2-3 | ナノ


 結局、返すメールの文面は思いつかなかった。いつも通り図書館が閉まるまでは大学にいて、その後にいつもとは違いスーパーへと足を向けた。食材を切らしていたことに気づいたからだ。
 帰宅道中はだいたい一人。エレウセウスは気を付けろと言うけれど、一人で夜道を歩いていたからって、気をつけることは引ったくりくらいなものだろうとメルヒェンは思っている。
 複数で帰ったことは、数度二人を泊めた時くらいで、メルヒェンの部屋は基本狭いから、男3人が一堂に会するには向いていないため、回数自体はそんなに多くない。
 アパートにたどりついて、玄関とは反対側を覗いてみれば、灯りのある、自分の隣の部屋。それを見て、珍しいこともあるものだとメルヒェンは思った。多分、その部屋が明るいのを見るのは、初めてだ。
「帰って、いるのか」
 ぽつりと一人呟いて、階段を足跡を立てずに上がる。そのまま自分の部屋へ戻ろうと思ったが、メルヒェンは隣のチャイムを押した。彼からのメールの最後、今晩うちにおいでと書かれたそれを果たすために。
 本当に帰宅しているのだろうか。彼がここにきて以来、一度も灯りなんて点いていなかったのに。
 何故か高鳴る心臓に、何で、と思いながら、メルヒェンは反応を待った。どうして、こんなに緊張しているのだろう。
 ガチャリと開くのは目の前の扉で、返答や尋ねる声などはなかった。
「あ…ぃ、イド…Guten Abend…」
「Guten Abend、メルヒェン」
 それだけ言うとイドルフリートは扉を開けたまま身体をずらし、メルヒェンが通れるだけの隙間をあけた。態度が語る、というのはこういうことを言うのだろう。昨日とは逆だな、などと考えながら、メルヒェンは促されるままに扉をくぐる。
 どちらかと言えばシックな印象のその部屋は、基本的に本以外の物はなかった。机と本棚。中を見てみても、生活感など欠片もない、とメルヒェンの抱いた印象はそんなところだ。唯一、台所の隅のカップヌードルやレトルト食品の山が、彼がここで『生活』をしていることを物語っていた。
 その山を見て、メルヒェンは眉を潜める。この買い置きの量からして、1日一回はカップヌードルと言う話は本当らしい。
「その辺に座っていてくれ給え」
 流し台の上の収納スペースをあさりながら、イドルフリートはそう言った。メルヒェンは適当に返事をして、床に腰を落ち着ける。天井に届きそうな本棚には、様々なジャンルの本が雑多に詰め込まれていた。古そうな本から、メルヒェンも知っている最近のものまで多岐にわたり、入り切らなくなったのか、床に積まれてすらしている始末だ。
 逆に本以外何もないんじゃないか、とすら思えるその部屋。ぼんやりと見回していると、イドルフリートがグラスを手にメルヒェンの座る場所まで来た。
「麦茶でいいかい」
「コーヒー以外なら、大体…」
「おや、メルはコーヒーを飲めないのか?」
「飲めなくはない…けど、好んでは飲まない」
 手渡されたそれはよく冷えていた。おそらくイドルフリートの持つそれも、中身は同じもの。
「ところでイド。僕はアドレスを教えた覚えはないのだけれど」
「それは朝、私がちょちょいと見せてもらったのさ」
「……番号も?」
「勿論さ」
 じとりと見て、メルヒェンは問いつめるが、彼の口調ではイドルフリートには響かない。むすりと頬を膨らませる表情を隠そうともせず、メルヒェンは再度グラスに口をつけた。
「それよりメル、何故メールを返してくれなかったんだね?」
 それは、と口ごもってそっぽを向くメルヒェンの顔を、イドルフリートはその手で制して、いつもの笑みをその面に貼りつけたまま、彼が赤くなるのを愉しそうに見る。
「それは?」
「っ……何でもいいでしょう!台所借ります!」
 ぐいと飲み干したグラスと、買い物帰りのビニール袋を手に、メルヒェンは勢い良く立ち上がった。半ばやけっぱちだ。
 いいけども、と釈然とせずに答えるイドルフリートが、何をするのかと問えば、彼は振り返ることもせず、どうとでもなれと言わんばかりに答えた。
「味噌汁!」
 その返事を聞き、至極満足そうにイドルフリートは笑っていた。





→ Next Days? →



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さて、明日は何が出るだろう



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2011.10