「幸チャン、一緒 帰ろうよー」
「……」

そう言って、私の横に寄ってくる男、千石清純。
私はそいつを無視して、そそくさと去った。千石はそれに「うーん酷いな、待ってよー」とか言って追いかけてくる。ヒラリと、近付いてくる千石をかわすも、奴は
しつこく追ってきた。

「俺は幸チャンと話せて嬉しいし、寧ろラッキーだと思ってるよ」

ああ、今でも。
何故か、今でも耳の奥の方で、あの言葉がキラキラと輝いては熱を帯びていた。
どうしてだろう。あの言葉を聞いてから、私の内から 少しだけだけども、変化がある。以前の私とは、確実に違っている。
だけど、あんなことをサラリと言われてしまったら。
そりゃ、残るに決まっているだろう。

ああ、今でも、耳の奥で 鮮やかに彼のあの言葉が 残っている気がする。
私の、暗い 暗い心の中で、たった一つ 差し込んだ光のように。
あの言葉は、ただひたすらに 光を放っては 私の中に穏やかに眠る。確実に、大きなものとして残って。


「……わっ、」
「危ない!」

石も、何もない ただの道だった。
だけども、転びそうになって躓く。
ああ、本当にこういう風に私はいつだってついていないんだ。
だけども、痛くは ない。
その代わりに、腕を 強い力で引かれる。
見上げると、千石が私の腕をう掴んでいた。
そのお陰で、どうやら私は転ばずに済んだらしいのだけれども、何だか見上げるとそこにある、千石の眩しい笑顔に、複雑な気持ちになった。何だろう、胸が 苦しい。


「危ないなー、幸チャン」
「…あ、うん」

助けてもらったのだから、お礼を言おうと思ったけど、だけど千石のオレンジ頭と助けてやったんだぜ的な どや顔を見たら、その気は失せた。
だから誤魔化して、ただ うん、と呟く。
それにお礼なんか言ったら、何だか負けな気がした。
子供みたいだとは思うけど、だけど 何となく照れ臭くて、悔しいからやめた。


「ほら、幸チャン。俺と一緒にいたから、不幸から免れたでしょ?」
「は」
「うーん、ラッキーだねえー」
「…ばっかじゃないの」

そう一言だけ残して、そそくさと帰ろうとする。
後ろから、千石の待ってよーとかいう声が聞こえたけども、無視だ。
だって、悔しい。

「俺のラッキーパワーで幸チャンを助けちゃうよー


あんな千石の軽い一言。
そう、それは彼にとっては何てことのない 一言だ。
だけども、それが 現実になってしまったら。
何となく 千石に救われているような気がして 嫌だ。悔しい。
私は、あいつなんか居なくたって、大丈夫なんだから。
そうだ、奴が私に構っているのも、私が不幸体質だからなのだ。そう考えたら、どこかで寂しく風が吹いた。

つかつかと歩いていると、ポツリ。何か 雫が空から降ってきた。

「雨?」

そう言うと同時に、その雨粒は ポツポツ、と降り注ぎ、ついには 大雨になった。夕立かもしれない。
一気に私は土砂降りに遭い、びしょ濡れだ。
ありえない。

急いで傘をさそうと出すと、傘の骨が折れていて、開かない。
つまり、傘は使えない。
ついていない。

溜息をつくと、後ろから 千石の明るい声が聞こえてきた。


「あれ 幸チャン、傘 壊れてるの?」
「……」
「俺の傘、入る?」

そう笑顔で傘を差し出す千石。
正直、入りたかった。
だって、今はものすごい土砂降りだ。
それに笑顔で傘を差し出してくれる千石。
ああ、入りたい。

だけども、ここで入ってしまって 奴と接近してしまったら 最後だ。
きっと、近づきすぎてしまったら。
私は、一人でも 大丈夫な人間の筈だ。
そう唱えて、「いらない!」と言い残して 走り去ろうとした。

したのだけど。


バシャッ、そう音を発てて 見る間もなく、道路を走っている車が、水溜りを走り 私にその水溜りの水が跳ねそうになる。
「わっ…」
泥だらけだ。ああ、本当になんてついていない。
そう思い、目を瞑ると、どうも水がかかった感触は ない。
恐る恐る目を開けると、ああ、やっぱり目の前に広がるのは オレンジの暖色だった。


「はあ、またまたラッキー。本当危ないね、幸チャン」
「せん、ごく」

千石は、私を 庇ってびしょ濡れだった。
こいつのお陰で 私は汚れなくてすんだけども、代わりに千石が泥だらけだ。
土砂降りの中、びしょ濡れな私と、びしょ濡れな上に泥だらけな千石が向かい合う。何だか傍から見たら 相当シュールな絵だったのではないかと思う。

「…ごめん、私の せい、で」
声が、不思議と震えた。雨で、目の前がよく見えないほどだ。
「……」
「本当、ごめん…わ、」

謝ると、千石は私の頭をいきなりクシャリと撫でた。
いきなりのことで驚いて声を出して千石を見る。
すると、満面の笑みで私を見ていた。


「ははっ、初めて幸チャンが俺を見て喋ってくれた」
「…馬鹿じゃない、の」

そんなことで、こんなに笑うだなんて。
本当に、こいつ 馬鹿じゃないの。
どうして、そんなに眩しい顔で笑うの。
どうして、そんなに 光っているの。
どうして、こんなに、離れないの。
いくつも考えたことはあるけれど、そのどれもが到底私では答えなど出せない。分からないことだらけだ。

千石は、私を見てから 思いだしたように、「あっ、そうだ」といいながら、

「あと、"ごめんなさい"じゃなくって、"ありがとう"って言うようにしようね」
「…何」
「そっち方がさ、幸せな感じ するだろ?」

ああ、本当 こいつ 馬鹿じゃないの。
馬鹿、馬鹿、馬鹿。何度も胸の中で罵ってやった。
だけども、そんなのも悪くない と思える私も、やっぱり馬鹿かもしれない。そう考えたら、不思議といつもより 身体が軽くなったように感じた。
だから、馬鹿ついでに今日は 少しだけ素直になってみようと思う。こいつの言うように。
声が、震える。心臓が驚くほどにはやく刻むのは、どうしても気のせいとは思えなかった。


「…うん、ありがと」


そう言うと、きっとこいつは 太陽みたいな顔して笑うから。眩しくて、思わず目を細める。
土砂降りの中、二人傘もささずに 馬鹿みたいだけれども、何故か笑顔が零れては、そこに散らばっていた。
らしくもないけれども、こういうのもたまには悪くないと 思えた。
素直にそう認めると、空が一瞬 晴れた気がした。



ずぶ濡れの水曜日
「傘、はいる?」
「…もうびしょ濡れじゃない」
「それもそだね」
「…ふん」

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