「ありがとうございましたー」

そう笑顔で言う店員の顔を殴ってやろうかと思ったけど、ギリギリまであがった自分の拳を無理やり押さえつけて、やめた。ぎこちない笑顔を顔に貼り付ける。ニコリ、というよりは、ギコリ。そうだ、こういう表現が似合うようなそれだ。うん、この表現は我ながら合っていると気に入った。ぎこちなさと無理やりな笑顔が表現されている。
殴らない代わりにもう二度とここに来てやらないと心に誓う。それで経営難で店が潰れてしまえばいい。そうついでに呪いも込めてみた。

ああ、最悪だ。
自分の眉の上に感じる髪の感触に、溜息をついた。
最悪、美容院で寝ていたら(まあ寝ていたのが悪いと言われたらそれまでだが)、前髪を切られすぎた。
起きて鏡を見れば、そこには猿のような私。ああ、ありえない。美容師って多分髪を切るのが大好きだから加減を知らないんだきっと。

だけど、最悪な時に最悪なことって、とにかく悪いことが続く日というのは、どうしてもあるんだと私は思うのだ。

「あれ、なまえさん」

名前を呼ばれ、振り返る。聞き覚えのある、低く 気だるげなその声。
ああ、やっぱり今日は厄日かもしれない。
後輩の財前くんが、私の後ろに立っていたのだ。
「ひい!」とか叫んでしまい、慌てて額に手を当てて、前髪を隠す。そんな私を見て、彼は顔をしかめた。

「…何すか、そのポーズ」
「あ、あのあれだよね。防御的な?なまえバリアー!みたいなね?」

そう言って、額を隠し続けたら財前くんは怪訝そうな顔から、何だか残念そうな顔をして私から二、三歩 退いた。いや、私だってこんな馬鹿みたいなことやりたいんじゃないのよ。
おいおい引くなよ。そう彼の腕を掴もうとしたけれども、そしたら切りすぎた前髪が見られてしまうから慌ててやめて、額の前髪に手を固定させる。
すると、財前くんは何故かまた顔をしかめて 不機嫌そうな顔をした。あれ、何でかな。

「…その手、取ってください」
「い やだ」
「外してください」
「いーやーだ!」

財前くんに腕を掴まれた。ひいっ!「取らんのやったら、無理やりにでも外すのみやな」どこかの悪役みたいな台詞を吐かないでも。
そう言った財前くんの顔は、意外にも男前でこんな状況にも関わらず、ドキリと心臓が鳴ったのが聞こえた気がした。いやいやそんな場合ではないのだが。

だけども私の抵抗も虚しく、財前くんに腕を掴まれ、額から外されることとなる。
露となる私の切られすぎた短い前髪。財前くんは、キョトンと目を丸くさせた。

「…ああもう好きに笑えばいいよ。前髪切られすぎた愚かな私を!」
「……猿みたいっすね」

そうぼそりと呟いた財前を殴ろうかと思った。
猿みたいって!確かに前髪切られすぎて猿みたいだけども!だけど、ここで一つや二つ 甘い言葉で励ますっていうのが男の子の役目ってもんだと私は思う。なのにこいつは、猿って おい。

「河童よりマシじゃないすか」
「猿も河童も一緒だっつーの!何だそれ西遊記か!」
「豚じゃないだけ良くないすか」
「ああもう!」

財前くんは怒る私を余所に、ははっと笑ってみせた。あれ、この子が笑うのって珍しくないか?
そう思っていたら、急におでこに ちゅ、と可愛らしい音を発ててキスされた。前髪が短いから、より分かる柔らかい感触。あ れ?今サラリと何したのこの人。

「まあ、俺は猿 好きやで」

え、またサラリと。好きって何。そう聞こうと思ったけれど、彼が好きって言ったのは猿のことで。私ではないけど、だけどでも。ああ頭がごちゃごちゃしてよく分からない。

だけど、財前くんが「外さなきゃ、手 繋げないですやん」と手を差し伸べてきたので、その意外にも男の子らしい大きな手に甘えることとした。
彼の手は温かかったし珍しく笑顔だったので、きっと良いだろう。
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