見上げれば、目の前にただただ広がる 噎せ返る程のパステルピンク。
はらはらと舞い落ちるその花びらの数々を、ぼんやりと眺めては、一枚掴もうと手を伸ばしたけれどもそれは掴めずに ただ手が虚しく宙を切った。


「みょうじさん」

呼ばれた名前に振り返ると、そこにはよく知っている顔があった。驚きのあまりに思わず「あ」と声を漏らした。
驚いて口をポカンと開けるばかりの私に、白石くんは「口、開いとるで。女の子やろ」とか笑ってみせた。白石くんの前で、何とも格好悪い。だけども心の中で女の子扱いされたことに喜ぶ自分が居て、色々な矛盾に心がざわめいた。
いつもと少し違う自分に、私が一番戸惑っている。その理由に気付くと、多分もっと困るだろうなあ。


「どないしてん。桜の木、ぼうっと見て」
「え、いや」
「一人で、珍しいなあ」
「綺麗だったから」

私がそう言うと、白石くんは くしゃりと笑った。何とも人の良さそうな笑顔だ。
心の奥の隅っこで、何かが動いた音が した気がする。
それに精神を研ぎ澄ませると、どこまでも溶けてしまいそうだったから、無理やり彼から目を逸らして、もう一度桜の木を見上げる。目の前を視界を奪う薄ピンクの花弁に、気がおかしくなりそうだ。

「綺麗やからて、答えになってないやん」確かにそうだ。
「でも、そういうの ええな」意味がよく、分からなかった。

白石くんを思わず見ると、彼はもう一度笑って「やっとこっち、見てくれた」
今度こそ、どこかに溶けて消えてしまいそうな気がした。

ざわざわ、ざわざわ。何かが、胸の内で揺れる。決してそれは、嫌なそれじゃないんだ。
強いて言うであれば、この舞い散る桜の花びらみたいな類のものだ。色で例えるであれば、きっと甘い、薄ピンク。何となくそう思う。

ざわざわ、ざわざわ
私はただ、その胸に響く音に耳を研ぎ澄ませる。瞳を閉じても、まぶたの裏でまだ桜の薄ピンクの花弁が舞い散っていた。


「でもそんなに見上げとったら、みょうじさん 桜に埋もれてまうで」
「何それ」
「ふ」

白石くんはそう笑いながら、ふと私の髪に触れた。
心臓が、跳ねるどころかどこかに落ちてしまったのではないだろうか。それくらい大きな衝撃と音を発てた。
ああ、どこに心臓を落としてしまったのだろう。手が、足が、震える。思い切って踏ん張ってみたけれども、私の身体は何とも不安定で、弱くて、今彼の目の前に立っているだけで精一杯だった。
こんな私は、彼の眼にどう映っているのだろう。そう考えたら、怖くてたまらなかった。


「…ほら、花びら みょうじさんの髪に、ついとる」
「花 びら」
「花びら」
「恥ずかし」

居てもたっても居られなくて、彼の手からその花びらを取ろうとしたけれども、白石くんはヒラリと手をかわされる。
「なん で」そう聞いた私の声が、震えていたことに気付かれていないといい。


「知っとる」
「何を」
「桜挿頭、言うてな」
「はあ」
「桜の花を頭にかざすこと、そういうらしいねん」

白石くんは、何故か彼が満足そうにそう言ってみせた。
ざわざわ。ああ、やっぱり何かが胸の奥の方で、否 それはもう胸の奥から段々に私の体全体を侵食していった。

「さくら、かざし?」
「せや」

私が繰り返すと、白石くんはまた、「綺麗やん、なんか」と もう一度あの笑顔を私に向けてくれた。

ああ、何だか もう。
彼に振り回されてばかりの自分が悔しくて、思わず視線を逸らした。
もう一度、上を見上げると さっきよりも桜の花弁は白く、薄桃色に光っているように見えた。
試しにもう一度瞳を閉じてみても、それは消えることなく。今度はまぶたの裏に、桜の花弁と 白石くんが映っていた。「みょうじさん」名前を呼ばれるたびに、心が震えた。ざわめく胸の奥。だけど、決して 嫌じゃない。

瞳を開けて、まっすぐを見たら 白石くんが私を見ていた。

「白石くん」

そう呟いたら、更に心が震えたのを感じる。
それを確かめるかのように、もう一度私は震える声で、呟いた。「白石くん」
すると、今度は私と同じように、桜の花弁のように白石くんが頬を薄桃色に染める番だ。彼は少しばつの悪そうな顔をしてから、もう一度私を真っ直ぐに見る。

「うん、みょうじさん」


目の前の桜吹雪に、胸がむせ返りそうな程の感情を抱いたとしても。


***
桜挿頭【さくらかざし】
桜花を頭上にかざすこと。また、そのもの。

ふと授業中に電子辞書をいじっていたら、
こんな素敵な単語を見つけたので。
日本語って、綺麗ですよね
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