空気が肌に刺さるのを感じるのに寒いと思わない。秋分が過ぎたと数日前に誰かが云っていたのを思い出すが思わないものは思えない。それでも袖から出る手を見ると微かに震えていて感じてはいるのだなと他人事のように考えた。ふと上げた視線の先にある庭に植えられている紅葉は大方落ちて淋しくなっているし、漸く思い出した秋すら終わってしまうのかもしれない。秋が終わったら冬が来るということか。今晩よりも幾分か寒い冬が。



「あまり冷やしたらいけませんよ」



何度も、数えられないほど云われた言葉は秋から冬に変わる今のような季節を迎える度に積もっていきたまにふと耳に響いてくる。様々な声色で紡がれた言葉が頭をめぐる。まるで、そこにいるかのような錯覚を起こせるほどに。


そんな季節になっていたのか。鼓膜の奥から聞こえてくる言葉にただ息苦しくなるだけの季節。他にもたくさんの記憶を持っているはずなのにまるで最初からなかったような、そんな。



「こんぐらい平気だ」
「もう、知りませんよ?」



くすくすと呆れたように笑うあいつの顔も、思い出せない。声だけしか出てこない。それだけ長い月日を過ごしてきた。何もせずに過ごした訳じゃないはずが結果的に同じだなんて。
情けない。情けないだろ。
せめて表情だけでも思い出せたら。目を閉じて記憶を手繰り寄せるが何も見えない。それよか、声すらも庭から聞こえる蟋蟀の鳴く音によって薄れてしまった。消さないでくれと懇願するも、消しているのは俺自身だ。

膝に手を置き重たい腰を上げる。あいつを思い出せなくても、あいつの言葉には従ってやんねぇと。押入からかけ布団だけを取出し、また縁側に戻る。布団に包まるように座り直してまた庭を見た。


吐き出す息も蟋蟀も、未だ見えないがもうしばらくしたら見えるだろうか。その時もまたあいつを思い出すだろうか。



「なぁ千鶴」



聞こえない返事はいつまで待てば聞こえてくるのだろう。あと幾度季節を越えれば、いいのか。
巡る思考は段々と減速していきぷつりと途絶えた。同時にどこかから秋が終わった音がした。







*きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む(後京極摂政前太政大臣/藤原良経)

*こおろぎが鳴く、寒々とした霜夜に、むしろの上に片袖を敷いて私はひとりわびしく寝ることかなぁ。
(参考/第一学習社)


藤原良経さんが亡くなった正妻を思って詠んだとどこかで聞いたのでそんな感じになりました。

110410
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