特に用はなかったのだが、偶には散歩でもしてみるもんだ。書類との睨めっこにも飽き、何となく屯所の中を気分転換のつもりで歩き回っていると、珍しい光景に出くわした。


「……よし、もう一度やってみよう。こちら側から太刀が来る」


「はい!」


近藤さんが雪村に剣術を指南しているという話は耳にしていたが、まさかその現場を目の当たりにすることになるとは思ってもみなかった。もう少し隠れてやっているものとばかり思っていたのだが。考えてみれば、あの人ほどそういう手のことが苦手な人はいないのだから、どちらにせよいつかは出くわすことになったのだろう。
傍から見ていても、近藤さんは、隊士たちに稽古をつけるのと何ら変わらないほど真剣な顔つきをしている。雪村も、下手すりゃその辺の平隊士どもよりも真剣に近藤さんの言葉を聞き入れているように見える。
理由は分からないが、俺の足はちょうど二人が見える位置で止まってしまった。


「今度はもっと早く打ち込むから、さっきの要領でそれに応じ技を返してみよう」


「はい!」


成る程、近藤さんが仕掛けて雪村が応じるという稽古をしているのか。確かに、雪村が刀を抜かなければならない場面に於いては、相手の刀を如何に受け止めるなりいなすなりして技を返せるかが重要になってくるだろう。それならば、仕掛け技を学ぶより応じ技を学ぶ方が雪村にとっては有益だ。立場上、どうしても部屋に籠もりがちになる雪村のため遊び半分でちゃんばらでもやっているのかと思っていたが、どうやらそれは俺の思い違いだったらしい。
もう少し見学を続けたいところだが、普段から雪村の処遇についてはあれこれと厳しい俺が、稽古の様子を見ていたと知れば、近藤さんも雪村自身も変に気を遣いかねない。邪魔にならないよう、静かにその場を後にしようとしたときだった。


「……っ、う」


「雪村くん!大丈夫か!」


そんなやり取りが聞こえ、何事かと振り返れば雪村が顔を両手で押さえて蹲っているのが見えた。打ち合いの最中に竹刀が当たりでもしたのだろうか。気付けば俺は余計な世話だと理解しつつも、顔面蒼白といった様子で雪村に声を掛け続ける近藤さんの元へと駆け寄っていた。


「近藤さん、どうした?」


「トシ……!すまん、俺の不行き届きで」


「近藤さんは悪くありません!私が、私が稽古をつけてくださいとお願いしたんです」


「んなこたあ訊いてねえだろうが。おら、ぶつけたところ見せてみろ」


どんな具合の怪我なのか確認しようと、傷口を押さえている右手を掴もうとしたのだが、雪村は急に立ち上がると、よろけながらも俺や近藤さんから逃げるかのように距離を取った。大丈夫だと言いたいのだろうが、作り笑いを見せられたところで、片手で顔を押さえたままの奴の言葉を信用できるわけがない。


「こっち来い。冷やさねえと痣が残っちまうだろうが」


「お気遣い、ありがとうございます。でも、これくらいで土方さんのお手を煩わせる必要ありません。自分でできますから」


「自分でできるだの抜かされる方が煩わしいんだよ。このままじゃ近藤さんだって気が気じゃねえだろ。黙ってさっさと来い」


ちらり、と一度だけ近藤さんの方に視線を向け、雪村は観念したかのようにこちらへ近付いてきた。どうやらこいつもどこぞの生意気な餓鬼と同じで、近藤さんの困った顔には弱いらしい。


「あの、土方さん。私、本当に大丈夫ですから、近藤さんは……」


「ああ。近藤さん、後は俺に任せちゃくれねえか?こいつの様子を見る限りそんな酷え怪我じゃなさそうだ」


「怪我の程度の問題ではなくてだな、俺にはやはり雪村くんを指導していた責任が……。いや、そうだな。トシ、頼んだぞ」


近藤さんなりに雪村の言わんとしていることや考えていることを解釈したのだろう。かなり渋々といった様子だったが、雪村の手当を俺がすることに納得してくれた。

心配げな顔をした近藤さんと一先ず別れ、俺が雪村を連れて来たのは井戸だ。水で傷口を洗うと共に冷やす必要がある。しかし、結局俺がやる前に雪村は自分で懐から出した手拭いを水に浸し、傷口に当てていたのだった。


「おまえ、手のかからねえ餓鬼だって言われねえか」


「あ、ごめんなさい……。その、やっぱり、土方さんのお手を煩わせるのは……」


「あーあー分かった分かった。ったく、違う意味で面倒臭え餓鬼だよ、おまえは。傷口見せてみろ」


「あっ、」


かなりの不意討ちだったのだろう、全く前触れなく傷口を押さえる手拭いを退かせば、雪村は小さく声を上げただけで、抵抗しなかった。
ようやく確認できた傷口は、蹲るほど痛がっていたにしては腫れもそこまで酷くなく、眉の上辺りに少し血が滲んでいる程度のようだ。しかし、後から青紫に腫れるような怪我だとしたら厄介極まりないので、冷やすに越したことはないだろう。


「よく冷やしとけ」


「はい」


「真っ青に腫れた面なんざ近藤さんに見せられねえんだろ?」


確信を持ってそう問えば、雪村はこくんと首を縦に振った。何となくだが、単純なこいつのことだ。考えていることなんざ、手に取るように分かる。改めて傷口を見せて、近藤さんが責任を感じることを嫌がったのだろう。近藤さんも、ぼんやりとそのことに気付いたからこそ、こいつの手当てを俺に任せてくれたのだ。まだ年端もいかねえ子供のくせに、そういうところだけはやけに鋭いから困る。何もかも気付かねえような奴ならもっと簡単だっただろうに。


「勘違い、すんじゃねえぞ」


「……、はい」


俺の言葉に俯いた雪村は、べそでもかいて泣きそうなのだろうか。馬鹿な餓鬼だ。今のは、俺自身に対する言葉でもあるというのに。
万が一、綱道さんが機密を漏らすような、裏切りに近い行動を取ったとき、俺は、俺たちはこいつを人質にするなり新選組にとって有利な手段を取らざるを得なくなるだろう。
情けや思い入れは邪魔にしかならない。だから、勘違いするなと。俺だけは、こいつと一線を引いておかなければならないと、そういう意味なのだ。


「でも……、ありがとうございます。土方さん」


「おう」


勘違いするな、勘違いするな。こいつは、利用価値があるから此処にいるだけだ。そう言い聞かせて、言い聞かせて、俺はそっと雪村の旋毛に掌を乗せた。一瞬びくっと驚いたように華奢な両肩が揺れたが、雪村は顔を真っ赤にしただけで、抵抗らしい抵抗はせず、されるがままでいる。

勘違い、すんじゃねえぞ。おまえが、困ったように眉を下げて、わらうから。俺は、勘違いなんざ、してねえんだからよ。




くるなくるな
頼むから




title:深爪
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