あの音を
彼女がこの地に来て最初に見たのは、この青々と煌めく海だ。
午前11時13分。彼女は右陰の銃声を耳にしてこの砂浜を後にした。
岩陰から見ていた私は後を追うこともなく、今と同じように足を水に浸してその足音を聞いていた。
今日の朝の事である。
午後11時13分。空には満天の星が床にぶちまけたビーズみたいに光っている。
今私が見ている星の光は、その星が何万光年も前に放った光で、今はもうその星は消滅しているかもしれない。
これと同じだ。その言葉の意味を理解し行動する頃には、彼女はもう殺されていた。
私が病院に彼女の刀を届けに行った時、彼女は言ったのだ。「これが最後」と。右陰には聞こえていなかったらしい。私だけに向けられたものだと、すぐに解った。
そしてその後、彼女は安らかな最後を迎えた。
助けられなかったことに後悔はしていない。たとえ私が偶然その場にいたとしても、どちらにせよ彼女はそこで死んでいた。「これが最後」という言葉は、きっともうなにもかもが限界という意味だったのだろう。
ある意味これでよかったのかもしれない。足を失った彼女をズルズルと生き延びさせるのも、互いに酷なものだ。
こう考えることにしておいた。
そして、もう一人の彼女。
彼女は偶然三人もの仲間とであった。
風太と電話していた時に聞こえた、もう一人の少女との楽しそうな会話がよみがえる。
彼女の最後は先ほど右陰から電話で聞いた。
彼女は、涙のあと一つ残さずに、満足げに目を瞑っていたらしい。彼女らしいと思った。
だが、現場の惨状を聞いた時、泣いた。久々に。
ゆっくりと立ちあがり、海に足を沈ませる。
星屑の下、黒い海に手を合わせた。
−−−−−−−
−−−−−
−−−
「よいしょっとぉ」
「ったく……ちょこまかと…!」
油断をしていた。確かに剣とバールだと剣のが強そうだけど、今は完全に負けている。むりむり。
なんてったって相手の動きが速い速い。男と女の差をこんなところで見せつけられるなんて、私も考えが甘かったみたい。
「…もう疲れた?しかめっ面して」
葵爽が軽いトーンで聞いてくる。だがその目は全く笑っていなかった。
腹が立つ。自分が劣勢になっていることもそうだけど、何より
「音が」
「ん?」
「音が汚いんだよ!!」
びっくりするほど低い声が出た。
剣を両手で持ちながら身体の左側に構え、それがぶれないように力を込めながら走りだす。狙いは脇腹。しかし相手のバールに軽く弾かれ、剣はその脇と腕の間の空気を貫く。
「違う、もっとこう、上にのぼってくような……」
「朱璃、お前何言ってんだ?」
完全に戦いより音の追求に集中していた。
バールみたいな材質はきっとこの剣とじゃ良い音が鳴らない。それはきっと剣の勢いが強過ぎてバールの形状と波調が合わないから。でも両手で振るとどうしても勢いがついてしまう。
自分でも不思議だった。こんなにもこだわるなんて、私は馬鹿なんでしょうか。
でも追いかけずにはいられない。恋さんの刀と私の剣が生み出した、あの音を。
両手が駄目なら、片手だっ!片手!そう、これだよ!
「よいしょー!!」
「えっ」
勢いの無いのろのろとした剣は、バールに打ち返されて、
それはそれは綺麗な音を出した。
「うん……いい音だね」
「呆れたぞお前………」
「へへへ。それじゃあ、本番といきましょうか葵爽くん」
「はいはい」
朱璃は地面を勢い良く蹴った。右手で両手剣を振りかぶり、左手は空気で膨らむスカートを押さえている。
葵爽も同時に走りだす。夕焼けの光が二人を優しく照らしていた。
土の上に揺れる影が重なった時、この地にいる全部のゲーム参加者の耳に、中高音の透き通るような金属音が響き渡った。
カランカランと、私の手から剣が抜け落ちていく。私もその後に合わせ、膝をつきながら倒れた。頬に土の冷たい感触が伝わる。左の胸骨が痛い。あと左腕が変な方向に曲がっている。うわぁこれR-18Gだよ。
喉の奥に生温かい何かを感じながら、私は立ちあがった。剣に体重の乗せ、使い物にならない左腕はぶらんと重力に従って垂らす。髪の毛はぼさぼさだった。
「ほら、早くきなよ」
挑発するように睨むと、葵爽は無言でバールを右ひざにめりこませてきた。ああもう、なんでそう痛いところばっか狙うかなぁ。まぁどこやられても痛いんだろうけど。
「何今の、攻撃?私まだ立ってるよ。ほら」
こんな状態になっても強気を吐ける私に感心した。
左足はがくがくと震えていた。
もう一度胸の辺りに一発。こんどはあばらかな。口から血がどんどん出てくる。
それでも私は立っていた。痛くて痛くて痛くて痛くてたまらない痛い痛い痛い痛い痛い。
「どう……した、の。早く攻撃しないと、私に反撃されちゃうよ?」
「…………」
何も言わなかった。ただ、とても悲しそうな顔をして、私を見ていた。
なんでそんな顔をするの?まさか私のこの姿に情でもわいた?手足が変な方向に曲がって、血だらけになっても抵抗しない私に同情でもしてるの?
やめてよ。そんな顔を、目を…私に向けないでよ。お願いだから。
「朱璃」
「なに…?」
「もう駄目だわ。俺、もうお前に手をあげることなんてできない」
「…………何を言ってるの?」
「……………」
「わからない…よ。なんで……なんで殺さないの…?」
「……………」
「…なんか言いな……よっ!!げほっげほっ」
「………俺は、」
「が……はっ…」
「はぁ…はぁ…はぁ…いい、やっぱり、…何も言わなくていい」
葵爽の背中から突き出た剣の先は、剣の青い光と赤黒い血が合わさって紫に輝いていた。
朱璃はゆっくりと剣から手を離し、あとずさるようにして仰向けに倒れた。顔は空に向けたまま葵爽に視線を動かすと、未だに彼は悲しそうに、哀れむように朱璃を見つめていた。
朱璃と葵爽の周りの地面が赤く染まっていく。いずれ二つの血池は一つになり、彼等を囲むように侵食していった。
朱璃が最後に見たのは、赤紫の空と、肩で息をしながら目を見開く、赤髪の少女の姿だった。
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