蝉の声はもう聞こえなくなって、衣替えしたてのパリパリの冬服の糊がやっと馴染んできた。夕方の教室、誰も居ないなんて事はないのだけど、いつもの教室から騒がしさを消しただけで、日常から少し離れた不思議な空気に包まれるのは何故でしょうか。私が学生をしている間にこの謎が解けたらいいのだけども、ちょっと望みは薄そうです。

「立向居、日誌書けた?」
「……ん、あとちょっと、あ、三時間目って何だった?」
「木下先生の理科、その時間って立向居寝てたよ。先生が立向居指名して、誰か起こしちゃらんねー、って言ってたけどさ」
「えっ、うそ」

名前が五十音順で隣で、部活が一緒で、実はこっそり彼氏彼女な関係をさせて貰っている私たちは、二ヶ月に一回くらいの周期で回ってくる当番制雑務係、詰まる所日直の仕事で、放課後居残ることを余儀なくされているわけです。

「誰か起こしてくれてもいいのに」
「立向居最近部活で頑張ってるからって、皆が気遣ってるんだよ」

今話題に上っている三時限目の話は嘘でも何でもなく本当のことであります。普通の人だったら笑い種にされたのでは無かろうかと、心配するような所だけど、立向居は自分が指名されていた事実よりも、周りの気遣いの方が彼の良心に響いたみたいです。気を遣われるということになれていないのか、しゅんとしてしまう彼は可愛いです。

「いや、でも」
「まあ多分先生もこっそり成績いじってくれてると思うよ」

だって私も欠課の数減らされてたし、なんて事はおいておくとして、エイリア学園の襲撃が終わって、平和な日本に戻ったからと言って努力を怠るような彼じゃありません。あこがれの円堂さんに近づくために、彼は毎日泥だらけになって練習していました。それは周知の事実で、結果として揺すっても気持ちよさそうに眠る三時間目の彼を、誰一人として起こさなかったのでした。ついでに言うと、それに感化されて陽花戸中のサッカー部に勢いが出てきたのを、マネージャーの私が知らないはずもなかったのです。黒板を消して、チョークを並べながら、立向居もよく頑張るよな、と感嘆のため息が漏らしました。彼ほどの努力家を私は他に知りません。あ、贔屓目とかじゃありません。

「よし、できた。あとなまえが一日の反省かいて終わりな」
「はいはい、了解」

かりかりかり、シャーペンの芯が磨耗する音と、時計の音が教室に響いた。見てはいないけど、椅子を引く音が聞こえたから、私が座っている席の前に、立向居が私の方をむいて座ったのでしょう。時々詰まって、消しゴムで消して、当たり障りのない模範的な反省文が綴り出される。どうせ、こんなのみんな同じこと書いてるのでしょう。日直二人分の枠の内、片方は既に少し強めの筆圧の文字で埋められていて、書く文字に性格がでるというのは本当なのだと思いました。頭を捻りながらも、やっとの事で書き終わった日誌をぱたりと閉じて、声を上げました。

「立向居ー、書き終わっ……っぷ」

顔を上げたとたんに顔面に何か押しつけられました。あ、ちゅーとかではありませんでした。私たち健全の三乗倍くらい初々しい恋愛してるのです。でも私は少し期待してたりしましたが、そんなこと言うと立向居は真っ赤になるだろうから私は言いません。

「はい、これあげる」
「なに、これ?」

ぷはっと顔を上げると、なんだかもふもふとソフトな肌触り。ベージュのタオル地のぬいぐるみ?らしかった。少し離れてそれを見直す。黒い円らな目と、何だか間抜けに開かれた口から覗く舌、たれた耳。……どうやらゴールデンレトリバーのぬいぐるみのようでした。

「どうしたの、これ」
「……なまえ、今日何の日だと思う?」
「……日直?」
「……やっぱりね」

しばらく考え込んでみたものの、思い当たる節がないのですが、立向居がちょうどこのぬいぐるみのように眉をたれさせて、笑います。


「俺となまえが付き合いだして何日目でしょうか?」
「……あ」
「やっぱりね」

でも思い当たったってことは、一応覚えててくれたんだ。

嬉しそうに立向居は笑います。押しつけられたぬいぐるみの後ろには日誌に綴られたのと同じ文字で、一年間ありがとう、これからもよろしく、と可愛らしい花柄のメッセージカードに書いてありました。

「ねぇ」
「ん?何?」
「私こそ、これからもよろしく……勇気」

そういって正面に座る立向居の襟元を掴んで、思いっきり引っ張りました。それから私は、


名前を呼ぶと真っ赤になる立向居は、茹でダコのようで、口を押さえながらぱくぱくしています。

「いま、な、ななななな何し……」

歯をぶつけてしまったのか、立向居の唇が切れてしまいました。それを私の指の腹で拭ってやると、座っていた椅子を蹴倒して、後ろに跳ぶように逃げてしまいました。

「何って、キスです、接吻です、ちゅーです。あ、初キスご馳走さま」

だって可愛かったんだから仕方ないじゃないですか。
ゴールキーパーの大きな手で顔を覆っている立向居の指の隙間から見えた顔は真っ赤で、何となく目をやった窓の外に見えた夕日の色にそっくりだ、と私はおもったので、そのまま口に出しました。

「立向居ほっぺ夕日みたいで可愛いよ」
「……なまえのほうが可愛い」

立向居は可愛いという言葉を口にするだけで照れてしまって、何も言わなくなってしまいました。私は席を立って立向居が座っている椅子の横に椅子をくっつけて座りました。そのまま体重を全部預けると、彼も少しだけ体をずらして控えめに寄りかかりました。体のくっついているところから伝わる熱に私は言い表わせないほどの幸せを感じるのでした。


「なまえ、好きだよ」




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