薄桃色の竜巻が地面の上で小さく消えた。散り去った桜は枝から落ちてもなお美しかった。窓の外に見える景色がピンク一色に統一されているというのは、中々に壮観である。此方から彼方を見ると目が眩むほど鮮やかなのに、きっと彼方から見た此方は古ぼけたネガのように見えるに違いない。私の中の図書室のイメージカラーは薄茶色だ。そんな中で埃と本に囲まれることを第一に望む私は、周りから変り者の本の虫としか認識されていない。これはそんな変り者と関わろうとする、唯一といってもいい友人から聞いた情報だ。その友人と言うのは同い年ではなく二つも下、しかも異性である。年齢と性別が交友関係を仕切っているといってもいい学校生活の中で、部活に入っていない私にそのような友人が出来るというのも、偶然、ほとんど奇跡に近いものがある。彼の友人はぴかぴかの中学一年生、名前は立向居勇気といった。



*



「なまえさん」
「何だまた来たのか」
「来ちゃいけませんでしたか?」
「そうは言っていない、どうかしたのか?」
「ええ、お昼一緒にどうかと思って」
「友達は良いのか?」
「なまえさんと食べてくるってもう言ってきました」
「…もし私が見つからなかったらどうするつもりだったんだ」
「なまえさんはいつもここにいるでしょう」
「…まあな」

はあ、とため息をついて立ち上がる私の横で一本取ったとしたり顔ではにかむ立向居は三年である私よりも背が高い。男女の差があるとはいえ数ヶ月前まではランドセルを背負っていた彼から見下されるというのは複雑な気持ちではあったけど、彼と同じ時間を過ごすようになってから一年近くが経ち、そんなことにも慣れてしまった。今日も売店で済ますつもりだった私は授業の間の休みに幾つかのパンとジュースを買って図書室の奥の窓側の席(私の特等席)においてあった。緩慢な動作でがらがらと図書室の扉を開けると、右手に彼の母親特製と思われるお弁当の入った巾着を持った立向居は私の制服の端を掴んだ。

「ベンチいきましょうよ」
「中庭の、桜の木のしたの?」
「はい、多分散ってしまってるんでしょうけど」
「仕方ないだろう、というか桜といったら入学式何だろうけど、この辺りで言ったら卒業式と入学式の間に一番の見頃を迎えるんだからな」
「でも今年は随分と暖かかったからか卒業式の前に散っちゃいましたね」

と言ったところで、立向居が急に耳をたれた子犬か何かに見えた。そんな彼への最近の禁句は卒業関連ワード。高校受験は推薦で先に済ませてしまっていた私は、ひと足早く受験戦争を潜り抜け、暇な時間を満喫していた。と言ってもその暇な時間も図書室で立向居と過ごすか、立向居に構うかの絶対的な二択だ。そんな風にだらだらと日々を過ごしているうちに気付いたこと。卒業式が三日後であることと、立向居が日に日にしょげてきていること。

入学式で迷子になった立向居を偶然見つけて体育館まで送り届けたのが馴れ初めで、それから刷り込みをした雛のように後をついて回るようになった。
部活に何て入ってなかった私は、後輩から懐かれるという事に戸惑いと隠せなくて、冷たい態度を取ったり、ほぼ無人の図書室に逃げ込んで、文字の世界に引きこもるという現実逃避をしたこともあった。
しかし、私が図書室に入り浸っているという情報を何処から仕入れてきたのか、個人読書週間も三日で終わりを向かえてしまった。
それから私はどれだけ立向居がべたべたしてきても拒絶はしなくなった。それは廊下で大声で私の名前を呼ぶことを諫める時、気まぐれでフワフワの栗毛を撫でてやった時、口元が緩んでいることを認めたというのと同じだった。

「なまえさん?」
「……ん?」
「どうしたんですか、急にボーっとしたりして」
「私だって考え事くらいするさ」
「珍しいですね」
「そうか」
「で、何を考えてたんですか?」
「いや、うん、立向居と会ってからどれくらい経つのかと思ってな」
「え……」

ああ、また地雷を踏んでしまった。時間云々も卒業を思わせるのでダメらしい。耳が垂れるのが見える。ベンチに二人で腰掛けて、花が散り終わった桜の木を見つめた。

「最後くらい、何か願い事聞いてやっても良いよ」
「へ?何でですか」
「……まあ、こんな事いったら立向居は嫌なんだろうが、最後だしな、できる範囲なら何でも言ってくれ」

やはり、大きな瞳が揺らいだ。夜の空と昼の空の中間を取ったような深い碧色はとても綺麗だ。何か無いのか?と答えを促すと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で、じゃあ膝枕してください、といった。お安い御用だと笑う私は、半年も前の私からすれば信じられない光景だった。立向居は遠慮がちに私の膝の上に頭をのせて、瞼をおろした。
タイムリミットまで、あと三日。それだけしかこの友人の成長を見届けられないのを口惜しく思うのは、母親の心情に近いのだろうか。柔らかな髪を手で梳きながら目を細める。桜色の竜巻に混じって小さな寝息が聞こえてきた。
あと一年遅く生まれていたら、あるいは彼が早く生まれていたら、私たちはどんな関係であったのだろうか。栓のないことだが、せめて、もう少し早くに心を開いてやればよかったと思った。
そっと髪を撫でている方とは反対の手で視界を塞いだ。そっと桜色の頬に唇を押しつけて、そのまま挑発的な言葉を紡いだ。

「寝たふりはいけないな」
「ばれてました?」
「もう少し甲斐性があったなら、靡いてやらなくもないんだが」
「なまえさんはずるいです」
「そうか」
「ええ、でも」

今度は立向居に視界を塞がれて、すぐ近くに人の体温を感じた。吃驚したのは私の方だ。暫くして視界が解放された。こんなに近い距離で人の顔を見たのは初めてだった。

「待っていてくれるなら、精進します」

はにかんだ笑顔はきらきらと輝いていた。タイムリミットなんて、なかった。生きてきた時間なんて障害にすらならなかった。間にあった終わりは、緩やかに溶けた。私たちはやっとスタートラインに着くことが出来たのだ。






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