雪はきらいだよ。


私が雪好きなんだ、と呟いた直後、彼は変わらない口調で、そう口にした。しんしんと降りつもる雪は、この辺ではなかなか見られたものじゃない。
人なんて滅多に来ないような廃ビルの一室(と言っても壁は時とともに浸食され、壁の役割を果たしていないようなものなのだが、それでも一応は区切る役割を果たしているのだから、部屋である。)は、そこにいるだけで泣きたくなるほど切ない気持ちになるのだ。


△▼



私は写真部に所属している。殆どの部員が幽霊部員であるこの部活の活動は、基本的に個人個人で自由に活動しているので、テーマや趣向も、使う機材も人それぞれだ。私は何となく退廃的な写真を撮りたいと、最近は町の外れにあるこの廃ビルに通っていたのだけれども、特に気に入った風景が見つかるわけでもなく、それでもこの場所を気に入っていたので、部活動という名目で毎日ふらふらと散策していた。もとは部活の先輩から、多分どこかの会社が所有してるんだろうが、ここ数年は何のテナントも入ってないし誰も居ないから自由に出入りしても問題ないだろうと聞き、チェーンで緩く封鎖された入口をかい潜って誰の許可も為しに入り浸っていた。
窓も全部割れてしまって、壁も所々破れていたのにやけに閉鎖的で、コンクリートとむき出しの鉄骨は、どこか痛々しい。埃が層を成して視界も煙り、音も時間も吸い取られてしまったかのように何もなかった。そんな中を私はカメラを抱えて、歩き続けていれば終わりなんて見えないような錯覚を覚える廊下を、足の赴くままに歩き回った。ぐるぐる、ぐるぐると同じ所を何度も往き来していると、装飾もノブもない鉄の扉に行き当たった。ビルの三階。一本道の廊下の一番奥にあるその扉は、何度も来ているので、初めて見るものではなかった。元は非常口だったのか、物置だったのかも分からないけれど、クリーム色のペンキが剥げ落ちたその扉に、何故か今日は惹かれてやまなかった。とりあえず写真に収めておこうかとレンズを覗き込んでシャッターを切った。



△▼



彼が私に声をかけるよりも先に、私はシャッターを切っていた。

「……誰だ?」
「あ、………みょうじです」

なぜか思わず名乗ってしまった。扉を押し開けたときの風圧で埃が舞い上がって、視界を白く埋め尽くした。とても綺麗だとは言えない。しかし、その白いフィルターの向こうにうっすらと見えた人がこちらに視線をやった瞬間、舞い上がった埃が一気に凍り付いてダイアモンドダストのようにに錯覚した。ひやりと体感温度が一、二度下がったのを感じたが、こちらは錯覚ではなさそうだった。
埃の向こうにいたのは、クラスメイトの涼野風介であったからだ。彼は二学期の途中で私のクラスにに転校してきた。最初は、綺麗に整った容姿をしていたから、男女問わずに人気があったのだけど、何を言われても無視するか冷たくあしらっていたから、今では触らぬ神に祟り無し、とばかりに腫物を扱いだ。そんな彼と特に関係を持っていなかった私が、馴れ馴れしい態度をとれるはずもなく、だからと言って条件反射でシャッターを切ってしまったので、無視するわけにもいかず、恐る恐る口を開いた。

「さっき勝手に写真撮ってごめん、ね」
「気にするな」
「何で、ここにいるの?」
「理由はないよ」
「そうなんだ……あ、」

雪だ、口から音が漏れた。彼の腰掛けていた窓の外はうっすらと白く染まりはじめていた。

「寒くないの?」
「そうでもないさ」

だけど彼は何故かとても薄着で、Tシャツとカーゴパンツのみ。ダッフルコートにマフラーまで装備している私とは真反対の格好だった。しかし、私にとって今一番驚いていたことは、涼野くんと会話が成立しているということだった。カメラをポシェットの中にしまい込んで、彼の近くに歩み寄ってみた。窓の縁に座って窓の外を眺めていた涼野くんは、私に一瞥やって、もう一度窓の外を見た。私が隣良い?と尋ねると、別に、と返ってきた。私はそろそろと涼野くんの横に腰を下ろした。

「私雪好きなんだ」
「私は、雪は嫌いだよ」

静かに発された甘やかな声に否定された。その言葉はそのまま彼を融かしてしまいそうだった。消えないで。頭に浮かんだのはそれだけだった。冷たい機械に触っていたせいできんきんに冷えてしまった私の手を、涼野くんの手に重ねて握りしめた。彼の手は私の手なんかよりもずっとずっと冷たくて、氷のようだった。彼はどれくらいの時間をここで過ごしたのだろうか。唇の血の気がなく、感情が読み取れない顔の中にどろりと濁ったような青が二つ綺麗に並んでいた。振り払うこともせず、為すがままにされている涼野くんが、初めて私と目を合わせて不思議そうに声を上げた。

「何故泣く」
「泣いてないよ」
「そうか」

確かに涙は流れなかった。だけど私は確かに泣いていた。

ねえ、泣かないでよ。

重なった手の他に私と彼を繋ぐものはなく、窓の外に降る雪の向こう側を見つめる涼野くんは、ぽとりと一粒の水をこぼした。重ねていた手が握りかえされた。



△▼



廃ビルのとある一部屋にいた彼は死にたがりだった。前の学校でも飛び降り自殺未遂をして、それが原因で転校してきたらしい。初めて廃ビルの一部屋であったとき、彼は何を考えていたのだろうか。雪が嫌いなのも、何か理由があるらしいけれども、まだ聞く勇気がない。

「涼野くん」
「なんだ」
「また、明日もここに来るよね」
「……ああ」

指切り、と言って差し出した指に彼も指を絡めた。もう何回目になるのか分からない約束も、きっと彼をここにつなぎ止めるための鎖だ。確信はないけれども、これをしなかったら涼野くんはもう二度と私の目の前に姿を現さない気がする。
そして、彼が雪を嫌うのはきっと彼がないている原因に関わっているのだろう。雪を見ると彼は胸元に掛かった紫色の石を強く握りしめるのだ。

「ねえ、涼野くん、すきだよ」
「うん、私も」
「そう、よかった」



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