彼女を一目見たとき、私は水の中に突き落とされたような感覚を得た。息が詰まって心臓がひやりとした。思い返せばあれが俗に言う一目惚れというものだったのだろう。しかし私はそんな陳腐な言葉で表せない程の衝撃を受けたのだ。風にたゆたう絹のような髪、柔かな光を滑らせる黒目がちな眸、高すぎず低すぎず芯のある声、それに音を乗せる瑞々しい唇、細く握れば折れてしまいそうな四肢。他のものに言わせればどこにでもいる、それこそ平凡な少女だっただろう。だが、私にとって彼女が見せる表情や行動、どれ一つをとっても好ましかった。どこにいてもすぐに見つけだせた。彼女の周りに居た者全てに羨望した。彼女の名前は確かなまえといった。彼女は私を認識していなかっただろう。だけども私は彼女を愛していたのだ。
独占欲の強い私は彼女をどうしても手に入れたかった。あの凛とした声に呼ばれてみたかった。空想の中でなく、現実に抱擁し丸いガラス玉に私の姿だけを映させたかった。どうしてやろうか、と自身に問い掛け、ぐるぐると思い悩んだ。どうしたら私を見てくれるだろうか。いくら考えても答えが出そうにないと、そう零した私に幼なじみの晴矢がそんなことかと厭らしい笑顔を張り付けて言った。

「お前に惚れさせれば良い、それだけのことだろう」
「…惚れさせる?」
「まあ、お前に面と向かって言うのは癪だが、見た目は悪くないんだ」

どこか不遜な態度で、恋人ってのは所有者と同一じゃねぇか、そういうとその厭らしい笑顔をやめて問う。

「本気なのか」
「ああ、多分な」
「そうか」

私たちの間にはこれで十分だ。せいぜい溺れすぎないように、と忠告を残していった。幼なじみは大体のことは知ってっていたが、ほとんど何も分かってなかった。

それから暫らくして、私となまえは恋人になった。思いの丈を思ったままに伝えた、お前のことを好いているのだと、私のことを好きでなくても良いから側に置いてくれないかと、それだけのことであった。彼女は私に興味を持ってくれた。形から入る恋愛は上手くいくはずが無いと思っていた過去の私を少しだけ笑った。なまえは私に笑いかけてくれるし、名前も呼んで、抱き締めることも許してくれた。彼女の側にいられることが私の幸せだったのだ。

「ねえ風介は私の何処が好きなの?」
「全部言っていいのか?」
「いや、やめとく」
「聞いたのはなまえだろう?」
「だって聞いてしまったら自信を無くしそうになるんだもの、風介は私を過大評価しすぎるのよ」
「そうか?私はなまえが好きだから、それで良いんだ」
「じゃあ、風介は私が風介のことを好きでなくても良いの?」

それは少し違った。こうして好きあうようになって、彼女に触れられることが嬉しい。なまえが好意を言葉で表してくれるとなおなこと。ただ、あの時、初めてなまえを見たときの、何も映さないあの無機質な瞳の方が、私は欲しかったのだ。

「残念、私は私を好いてくれる風介が好きなのにね」

私しか映さないビー玉がきょろりとゆれた。私は愛しくなってつい唇を啄んだ。ゆるゆると離れるお互い唇の熱がさぁと溶けるように引いていくのを残念そうに見ていた。


*


「なあ、風介」
「なんだ晴也」
「お前幸せか?」
「……何故?」
「いや、ただちゃんと上手くやってるのか気になっただけだ。お前らが一緒にいるとこなんて滅多に見ないからな」

いくらか時が経って晴也が私に尋ねた。お節介な奴だ、当たり前だと答えようとした。

「お前のあの時の自分の顔どんな顔してたかしってるか?今から殺しに行きます、みたいな雰囲気でさ。次の日二人が一緒にいるのみて、俺安心したもんな」
「で、今の感想は?」
「は、変わんねぇよ」

恋してる顔だろ?
あのときは告白にしちゃあちょっと気迫に溢れすぎてたけど。

「ま、なかよくやれよ」
「言われなくともな」
「そりゃ結構だ」

晴也は最後の最後まで勘違いしたままだった。なまえは確かに私のものになった。しかしそれは一月前までの話であって、いまは。




部屋に戻り一番奥にある扉を開けた。ひんやりとした冷気が漂う中で、なまえは微笑んでいた。

「ただいま、なまえ」

足を進めるごとにしゃりしゃりと氷の粒が砕けた。彼女のきれいな手足が焼けてしまわないようにと、質のいいドレスを着せて、なまえは磨き上げた木製のチェアの背もたれに可愛らしく寄り掛かっていた。

“おかえりなさい”

薄く開いた口から風の音が漏れた気がした。跪いてそっと抱きすくめると今にも壊れてしまいそうだった。
目の前には何も映さない瞳。父さんに頼んだとおり、濁ることはなくきれいにすんだままだ。
ああ、これが私の欲しかったものだ。
嬉しくなって涙が流れた。嬉しいはずなのにいつもは背中に回ってくるはずの腕の感触がないことに違和感を覚えた。

「私は何か間違えたのだろうか」



撃ち抜いて勝ち抜いて生き抜いて
その先にあるのは空虚








リハビリにヤンデレに挑戦!難しいね!

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