「お、目ぇ覚めたか」

 うっすらと目を開いた瞬間、見知らぬ色黒の男が映り込んだので、遊馬は混乱やらなにやらに苛まれて弾かれたように上体を起こした。途端、何故か自分がふかふかのベッドに寝かされていることや、サイズのまるで合っていないシャツを着せられていること、更にはここが己の部屋ではないことに気がついて、きゃあ、と悲鳴を上げる。突然の行動に驚いたのか、男は猫目気味な天鵞絨の瞳を見開いた。
 身を起こしたせいか、だぼついたシャツが遊馬の細い肩から滑り落ちてしまう。そもそもどうして己は見知らぬ男に見守られながらどことも知れぬ部屋で眠っていたのか、遊馬の頭では到底理解することも出来なかった。如何にも怪しげな金融会社のオフィスに居たところまでは覚えている。しかしそれ以降の記録がやたら朧気だ、借金返済やら交換条件やら、色々と突きつけられていたような気もするがあくまで気がするだけだ、実際どんな事があったのか中々思い出せなかった、が。

「いやぁ、吃驚したぜ? いきなり気絶しちまったからよ」

 男がけらけらと笑いながらそう告げてきて、遊馬の脳裏でじわじわとあの場での記憶が蘇ってくる。中一にして課せられた五千万にも及ぶ借金、帳消しの代わりに突きつけられた条件はその金融事務所で一生ただ働き、意識を失う前に見たのは笑顔を浮かべた眼鏡の男。ああ、そういえばこの男はあのオフィスに居た連中の一人じゃないか。漸く脳内で事の整理が付いた瞬間、遊馬は布団を蹴り上げてベッドから転げるように逃げだそうとした。生憎、男に腕を掴まれてしまい逃走成功とはいかず、とても抵抗出来ない程の力でベッドに逆戻りさせられてしまう。
 畜生、こいつは俺をどうするつもりだ、内臓でも売ろうってのか、それとも人身売買でもしようってのか!、そんな風に喚き倒せたならどれ程良かっただろうか。しかし相手が相手であるが故に激しく反抗するわけにもいかない、そんなことをしてしまえば自分の命が危ういやもしれないのだ。
 狩人に狙いを定められた子兎の如くぷるぷる震える遊馬の扱いに悩んだのだろう、男は困ったように笑いながら、遊馬の肩からずり落ちているシャツを軽く掛け直してやった後に、朝飯持ってくるからさ、と告げて席を立ってしまう。これはチャンスだ、このまるで信用できない男から逃げる絶好の機会だと思いながら、大きな背中が視界から消えるのを静かに待っていた遊馬だが、男の一言でその意志は容易くへし折れた。

「悪いけど、携帯に入ってたデータは全部、バックアップ取らせてもらったからな」

 にいっ、と悪ガキのような笑みを浮かべて遊馬を見遣った男は、ズボンのポケットからUSBメモリを取り出して弄んで見せる。最早逃げようもない、遊馬はベッドに身を投げ出して放心する以外に無く、暫くの間、随分と上機嫌らしい男の鼻歌を遠くに聞きながら寝心地の良いベッドの上で呆然としていた。
 男が朝食の載せられているらしいトレーを片手に戻ってきた頃、遊馬は漸く我に返って顔を上げる。男は空いた手で遊馬の髪をくしゃりと掻き回すように撫でると、トレーを遊馬の前に置いて、自分はベッドの端に腰掛けた。白い皿の上で如何にも美味しそうな香ばしい匂いを漂わせるトースト、こんがり焼き上げられたベーコン、綺麗な半熟の黄身が輝く目玉焼き、何れも食欲を刺激する品々が立ち並んだ光景に遊馬は思わず唾を飲み込んだ。そう言えば、昨日は夕食を取っていない、当然腹も減っている。

「……食べて、いいんですか?」
「勿論、育ち盛りの中学生に朝飯抜きなんて拷問はしねぇよ」

 遊馬の問いかけに男は爽やかに笑むとそう言って、さあ食えやれ食えと言わんばかりにトレーを遊馬の方へと寄せた。それと同時に遊馬の腹が大きな音を立てて空腹を訴えたので、恥ずかしいやら腹が減るやら、顔を真っ赤にして俯いてしまった遊馬の様子を見て男はけらけらと笑っていた。



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