一介の中学生男子に蹴っ飛ばされた青年が見事吹っ飛ぶ様を、周囲はただ呆然と見つめるしかなかった。運悪く怒りの矛先を向けられてしまった青年は、それこそ漫画のように、とはいかなかったものの、現実らしいと言えばらしくフェンスに激突し、中々のダメージを喰らったようだ。
 土手っ腹に跳び蹴りをもろに食らえば、例え格闘家だろうと呻き声のひとつやふたつ上げるだろう。事実、大凡武術に長けているとは言い難い見た目をした青年はフェンスにもたれ掛かりながら悶絶していた。
 しかしそんな青年の有様は見えないとでも言うように、凌牙はそちらにつかつかと歩み寄ると青年の胸ぐらを掴み上げ、悪党すらも竦み上がるほどに鋭い眼光で青年を射すくめる。

「てめぇ、うちの後輩に何しやがった、返答次第じゃ病院送りにすんぞ」

 札付きの面目躍如というところか、常人が耳にすれば理由もなく土下座してしまうほどに恐ろしい声音での詰問は、青年に冷や汗をかかせるのに十分な破壊力を有していた。その威力ときたら、詰問されている青年どころか、固唾を呑んでその様子を見守っていた周囲までもが寒気を感じるほどである。

「ま、待ってくれ少年、暴力はいけない。私は一ドットの高さから落ちただけで死ぬくらい貧弱で、」
「そんなスペランカーみてぇな人間が居るわけねぇだろ、大丈夫だ、人間骨折くらいじゃ死なねぇから」

 このままでは死人が出る、あまりの剣幕にそう危惧した遊馬は涙も拭かずに大慌てで凌牙に飛びついた。先程まで大声で泣きじゃくっていた後輩ががっしりと腕にしがみついてきたものだから、さすがの凌牙も仰天して青年をほっぽり出し、瞳を潤ませながら必死に引き留めてくる遊馬を見遣った。
 ぽい、とまるで荷物のように放られた青年は再びフェンスのお世話になる羽目になってしまったが、凌牙の意識は最早其方に無い、視界に映り込んでいるのは腕にしがみつく後輩だけだ。

「シャーク、やめて! 俺なら大丈夫だから!」

 腕に縋り付き先程の余韻で未だ涙を流しながら必死にそう訴えてくる遊馬を暫し見つめていた凌牙だったが、ふと我にかえったのか悪かったと素直に謝罪の言葉を口にして、先程放り出した青年へと目をやる。
 散々ぼこぼこにされた青年は凌牙の行動に怯えた様子だったが、その表情から明確な敵意が消失しているのを見て少々安心はしたらしかった。ほっ、と青年の口から安堵の溜息が漏れたのを耳にして、殺人沙汰を危惧していた遊馬も気が抜けたかのようにへたり込む。学校内で死人が出るなど、相手が不審者であっても冗談では済まされない事態だ、しかも先程の凌牙の剣幕ではそれが起こりえなかったとも言い切れない。
 凌牙も大分落ち着いた様子で、怒りやらなにやらを沈めるためか深呼吸をやたらと繰り返している。漸く事態も一息ついた、さてどうしようかと遊馬は顔を上げたが、一難去ってまた一難というべきか、どうも災難はこれだけでは終わらないらしかった。

「なにをしてるんですか、兄様」

 かんっ、と一際高く鉄製の階段が鳴ったかと思った瞬間、ブリザードが吹き荒れんばかりの冷たい声音でそんな言葉が響いて、今度は長髪の青年どころか頬に十字傷のある青年までもが、ひぃ、と悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。普段は落ち着きがあって耳に心地よい筈のアルトが、今となっては悪魔の声にしか聞こえない。まさかと思って振り向けば、やはりそこに居たのは部長であるミハエルその人だった。

「悲鳴を聞きつけて来てみればこの有様、一体全体何があったのか、しっかり話してもらいましょうか」

 悪魔、否、魔王だ、魔王がいる。最初に悲鳴を上げた二人どころか凌牙を除いた全員が、ミハエルの様相に背筋が凍る思いだった。本日まともな部活動はできるのだろうか、遊馬の胸中には不安が渦巻くばかりである。



back


 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -