原稿用紙の上でにっこりと無邪気に笑む可憐な少女の完成度に、明里は、うむ、と満足げにひとつ頷くと、正面の席で机にべたりと力無く伏している男ことクリスを見やった。
 涼しげな筈の目許には黒々とした隈が浮かび、自慢のキューティクルは無惨にもずたぼろ、老若男女から羨ましがられる程の美人が見事に台無しである。度重なる徹夜作業の疲労を色濃く残すクリスの有り様は、それはそれはひどい物だった。
 お疲れさん、と大分軽い口調で労う明里を、クリスは机に伏したまま視線だけでじろりと睨めつけた。そうして薄い唇を開き、恨みがましげに言葉を紡ぐ。

「居ないじゃないか……」

 地獄の底から響いてくるような声で、そう吐いたのだ。たったそれだけではあったが、明里が総てを察するには十分だった。にや、と明里は意地悪く笑むと、弧を描いていた口を開く。

「残念でした、遊馬は本日先輩とデートです、ざまぁみろ」
「うっ、うわぁぁぁ! 止めてくれ、デートなんて嘘だと言ってくれ!!」

 明里が言葉を紡ぎ終えた瞬間、クリスは悲鳴を上げて頭を抱えつつ、盛大にのた打った。その後ろに控えていた弟二人は、兄のあんまりな様相に悲しくなるやら噴き出しそうになるやらで、ぷるぷると両肩を震わせ、笑いを押し殺そうと必死に口元を押さえながら俯いていた。
 まさか焦がれている少年が不在、というだけでここまでショックを受けるとは。デートだって言葉の文だというのにこの悶えようである、最早笑うしかない。

「彼に会うため、睡眠時間を削ってまで仕事に勤しんだというのに、一体全体なんだこの仕打ちは!」

 だん、と机を一度叩いた後にクリスは力一杯そう叫び倒した、先までの無気力さはどこへやらだ。
 正面に座る明里はあまりの喧しさに眉を潜めて、年甲斐もなくぎゃんぎゃん吠えるクリスを、静かにしなさい、と一喝した。途端、気力が途切れたかのようにしゅんとなってしまったクリスの有様は、それはもうご馳走を取り上げられた飼い犬よろしく、うすぼんやりと垂れ下がった犬耳の幻覚が見える程だ。
 しまった流石に酷だったかと少々罪悪感に駆られた明里だったが、直ぐさま何時もの事ではないかと持ち直して、そのひとつまみ程度の罪悪感をどこかへほっぽりだしてしまう。

「タイミングが悪かったってことでしょ、まったく、もう少し早く原稿上げれば会えたかもしれないのに、ねぇ?」

 そう口にして弟二人に同意を求めるかの如く視線をやれば、二人も揃ってこくりと頷いた。面倒なことは後回し、という性格が災いしてこの様だ、少しは兄も反省するだろう。
 当のクリスはと言えば、相変わらずぐったりとどこぞのリラックスしている熊さんの如き脱力具合で、この有様では暫くは仕事をする気も起こさないだろうな、と弟達は内心うんざりせざるを得なかった。



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