09
 



「名前」

二三回程深呼吸を繰り返したあと、俺はベンチで未だに泣いとる名前の名前を呼んだ。俺が近づいとったことに全く気付いてへんかった、て顔をして、涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。

なんで俺が、ここにおるんかわからん、とでも言いたそうや。名前が泣いとるから、放っておかれへんから、謝りたいから、来たんやで。

…怖いやろか、俺が。あんなことしてしもた後やし、名前にはそう易易と触れられん。代わりに俺は名前の隣に少し距離を開けて腰掛けた。冷たい秋の風が、名前の気持ちまで冷ましてしまうんやないかって思ったら、自然と手が震えよる。

頼むから俺のこと、嫌いに、ならんで。名前に嫌われたら俺は、生きとる意味なんかないんや。名前のおる世界を知ってしもたから、俺の傍からおらんくなる、とか、考えられへん。考えたくも、ない。
名前は泣き虫やけど、俺と付き合い始めてからは幸せそうにいつも笑っとったと思う。それが初めてこんな風に拒絶されて、泣かれて、どんな風にこの状況を修復したらええんか、わかれへん。隣の名前は、まだ、鼻を啜って泣いとる。

手を繋ぐ事さえ、許されん気がして、ただただ無言で座っとるだけの俺の中は、ほんまに罪悪感とか、後悔とか、良くないものばっかりや。なかったことに、とか、ほんま、できたらええのにな。

しばらくそうしとったら、ようやっと落ち着いてきたんか、わからんけど、名前が俺の左手小指を握ってきた。びっくりして思わず、「えっ…」と間抜けな声が出てしもた。

「包帯、は?」
「あ、あぁ、さっき、外してん」
「ど、して?」
「名前に、毒手なんか、いらへんから」

そう言うと、小指を握られとる手の力が、きゅっと強まった気がした。
怖がらせるようなことしてごめんな、とまだ声には出せずに、心の内側で呟いた。

「初めて、みた」
「…うん?」
「蔵の手、きれい、やね」

そう言うて名前が少し微笑んだから、俺はするりと名前の指に自分の指を絡めた。なんでさっきあないなことしたっちゅーのに、こんな、優しいん?なんで、俺が嬉しいこと、言うてくれるん。

「あと、大きくて、豆がかたくなっとるね」
「…痛いか?」

こんな手、嫌いか?そう聞くと、首をふるふると横に振って、「…すきだよ」と一番欲しかった言葉をようやっとくれた。俺も、ちゃんと言葉にして、謝らなあかん。

「名前、さっきは」
「蔵」

俺の言葉を遮るようにして、名前を呼ばれたら言葉は詰まるしかなくて。大人しく返事をすると、「あのね、」と俺の手をぎゅうっと握って、距離を詰めてきた。な、なんやろか?ま、さか…別れてとか、そんなんちゃうよな?絶対、絶対嫌やでそんなん俺は。名前がおらん世界とか、ほんまに、生きていかれへんから。

「さっきは、ごめん」
「…は、」

何、謝っとんの、この子。謝るんは、明らかに俺の方で、悪いんも何もかも全部俺やんか。せやのになんで、お前が謝るんや、名前。
一先ず落ち着いて、俺は名前の話を先に聞くことにした。俺が謝るんは、名前の話が終わってからにするとしよ。

「蔵に、な?絶対言うたらあかんて、思たんよ」
「…何を?」
「蔵と、おんなし大学行きたいとか、わたしが勝手に決めたことやんか。せやから、めっちゃ頑張らなあかんのはわたしやし、蔵にも迷惑かけたなかってん」
「相変わらず、遠慮しいやなあ名前は」
「遠慮やないよ。やって蔵の成績がいいのんは、蔵が毎日ちゃんと勉強をしとったからで、サボったりとか、せえへんし」

手をぎゅうっと握ったまま、「蔵は、真面目やから」とそこは俺にも文句言わせへんみたいな顔しとるから、胸がぎゅうってなって、嬉しい気持ちが俺ん中に溢れ出した。いつだって、俺のことを一番に考えてくれてるんやな、名前は。愛されてることを実感できる瞬間や。

「でも、な?心のどっかで、蔵は推薦やからええよね、って思う自分がおって。それが、ほんまに、ほんまに嫌で、最低やわたしって、その度に思うんよ。蔵が推薦をもらえたんは、わたしなんかよりずっと頑張っとったからやのに、ってわかっとる自分も、嫌やってん」

次第に名前の声は涙混じりになっていったけど、俺はずっと、時折相槌を打ちながら話を静かに聞いた。名前がこんな風に、自分の意見を言うてくれるんは、初めてのことやったから。こんな内容でも、嬉しいんや。
いつも俺んことを考えてくれて、俺に合わせてくれて、「たまには我儘言うてもええんやで」言うても、「蔵に合わせるのが、わたしの幸せなんよ?」って嬉しそうに笑ってくれたら、もう嬉しすぎて、俺はこんなに幸せでええもんやろかと思った。

「わたしは勉強嫌いやから、できることならやりたくないって思てまうし、あとどんだけ頑張ったら、わたしは蔵の隣に並べるんやろとか考えたら、悲しくなってしもて。どんな頑張っても推薦はもらわれへんし、どんどんどんどんフラストレーション溜まってって」

「今日、は、…もう、わけわからんくなって、蔵は勉強せんでもええけど、わたしはあかんのに、それなのに蔵は、って、嫌って言うてしもて、それから、怖くなって」

「阿保みたいに涙流して、蔵のこと、傷つけてしもた、から」

「せやから、ごめん、ね。…傷つけて、ごめんなさい」


この子は阿保や。正真正銘の阿保の子や。なんでそんな、そんなことで謝るん。そんなこと、溜め込んどったんか。
俺が推薦で楽しとるとか、思てしまうの当たり前やん。誰だって生まれる感情やわ。もし俺が逆やったとしても、ええなあて思うと思う。自分も頑張らなあかん、でも俺はもう決まっとる同然やから、複雑な心境やったんやな。話の途中、俺も推薦蹴って自分の実力で名前と一緒に入ろかなとも思ったりしたけど、それは絶対名前は嫌がるやろうし、それこそ本気で怒りそうやから、その着想は却下にした。


うまく言葉を並べられんくても、名前の言いたいことはしっかりと俺の胸には届いたで。
黙り込んでしもた名前をそのままぎゅううと、これでもかってくらい強う抱きしめたった。

「なんで、そんな優しいん、名前」

阿保ちゃうか、言うたら「く、苦しい、蔵」と少し嬉しそうに返された。可愛いすぎるから、しばらく俺にこうされとき。

「他に、溜め込んどること、ない?」
「…あ、あのね」
「ん、なんでも言うて」

我儘でも、愚痴でも、なんでもええねん。名前が思うてること、なんでも話して、それ全部聞いてやりたいて思うさかい。なんでも俺に吐き出して欲しい。

「きょ、う、少し、怖かった、蔵」
「ごめん、ほんまに、ごめんな」
「腕、強くて、痛かった」
「うん、ごめん。怖かったな。ごめんな」

俺は名前の腕をさすって、何度も何度もごめんを繰り返した。ずっと言いたかった言葉をやっと言えて、心ん中の嫌な黒い感情はスーッと消えてなくなってしもた。心も浄化できるとか、ほんまに名前パワーはすごいと思う。

「もうせえへんよ」
「…っ、ちゅ、ちゅーも?」

慌てて名前が俺を見上げよるから、額にちゅ、とキスをしたって、「してほしい?」と意地悪く聞いてみた。ちゅーもせえへんとか、そんなん俺の方が無理やから、とは口には出さんどく。

「…して、ほしいです」
「ほななんぼでもしたろ」
「あ、と」
「ん?」

今度は瞼にキスを落とすと、擽ったそうに身を捩らせて顔を赤くした。キスだけじゃ、全然足りひんなあ、と思いながらも、もう今日みたいなことには絶対にしたくないから、我慢するんや。

「ぎゅうって、して?」
「っ、あーもう!するに決まっとるやろ!」

すっかり暗くなった公園で、俺らは体温分け合うみたいにして、しばらく抱きしめ合いよった。




「せや、名前、これ」
「なに?…あ!シャーペン!えっ、なんで?」
「…急いで部屋出てったからやろ」
「あ、…そ、か。あ、ありがと」
「可愛いな、そのシャーペン」
「ね。ランド行きたいなあ」

あの後しばらく人のおらん公園でイチャイチャして、気づいたら夜10時をまわっとったから、急いで公園を出た。今は名前を家まで送り届けとる最中や。チャリで追っかけたったらよかったわ、て今更思っても遅いんやけど、夏とは全然違て秋の夜は寒いし、早く名前をあったかい家に帰したりたかった。(長いこと一緒におりたいんは山々やけど)(明日も会えるしな)
名字家は意外と放任主義らしく、門限はないらしい。俺と名前の間にもし女の子が生まれたら、門限絶対つくるけどな。

シャーペンを受け取った名前は、いそいそと鞄から筆箱を取り出してそれをしまった。物を大事にするっちゅーんは、ええことやな。そんなところも好きやな、ってまた実感してまうわ。

「ランドなあ、俺行ったことないねん」
「わたしもー。夢の国ってどんなんなんかな?」

高校の修学旅行は、二年の秋に北海道に行った。食べ物がおいしかったことと、美味しそうに食うとる幸せそうな名前を見て、幸せな気持ちになった、記憶がある。(今じゃ見とるだけとか考えられへんけど)

「そういや謙也は行ったことある言うてたなあ」
「まー、医者の息子はちゃいますなあ」
「(医者の息子やなくてもランドは行けんねんで、名前)従姉弟が東京におんねんて」
「そうなん?従姉弟もヘタレなんかな?」
「や、何回かテニス関係で会うてんけど、めっちゃフェロモン前回の色男やで」
「ほんまにそれ謙也くんの従姉弟なん?」
「どうやろか。血繋がってなくても、違和感あらへんやろうしな」
「ふーん」

初知りやー、と名前はそんなに謙也のことには興味を示してない様子で、ちょっと嬉しい。興味津々やったら、妬いてまうからな。(何回か俺の嫉妬で謙也はとばっちり食ろうとるけどな)

「ランド、行く?」
「え、…えええ!?」
「嫌?やったら、」
「い、行く!絶対行きたい!」

俺が最後まで言葉を紡ぎ終える前に、名前は「絶対行きたい!」と日本語になってんのか怪しい返事をくれた。え、めっちゃ楽しみになってきたなんやこれ、もう今すぐ東京行きたいんやけどどないしよう…!

「ほな冬休みいこか。クリスマスとかええなあ」
「そ、そんなっ、ええの!?蔵、大事なクリスマスを、っわ、わたしなんかと…!」
「なーに言うてんねん、阿保」

名前はほんま、こんだけ俺が愛してんのに、何を遠慮してるん?少し興奮状態の名前の鼻をむぎゅ、と摘むと、「く、蔵、?」鼻声で名前を呼ばれて、それがおかしくて、可愛いくて、俺はくすくすと笑う。

「俺は名前と過ごしたいねん。せやから、一緒に過ごしてくれんと嫌やで」

摘んどる手ぇを話して、俺は少し赤くなった名前の鼻頭にちゅ、とキスをした。

「ふは、トナカイさんみたいやなあ」
「…蔵のせいやもん」
「すまんて、可愛いくてついな」

そのまま名前の手を握って再び足を動かす。もうすぐ家、着いてまうなあ。

「え、ええの?蔵のクリスマス、くれるん?」
「その台詞、そのまま名前にお返しや」
「め、っちゃ、楽しみにすると思う」
「ん、俺も」
「ちゅ、か、今からめっちゃ、楽しみ」
「俺も」

名前の家まで後10メートル弱。俺はぎゅううと抱きしめて、甘いキスを唇に落とした。






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