ひとりで生きたいわけじゃない



三年生になると、中間考査、期末考査というものがうちの学校ではなくなる。受験という大きな壁に立ちはだかる者が大勢いるからだ。

普段から毎日勉強をかかさなかったわたしは、これといって特別何かを重点的にやる、というようなことはしなくてもよかった。素行ももちろん良く、先生からの勉学における評価も学年で一番、と豪語して良いくらいに最高だった。

であるからして、わたしは既に希望の大学には推薦で合格しているんだけど。

「…おはよう、名字」
「おはよう。…何かあったの、忍足くん」
「おん…俺な、このままじゃ…」
「え、そ、卒業出来ないとか?」

彼はそれ程に出来の悪い頭の持ち主なんだろうか。確かに脳みそには知識がたくさん詰まっているようには見えないけど…。

「落ちる。絶対落ちる。Cて!なんやねんCて!俺どこ間違った!?」

この間の模試の結果でどうやら落ち込んでいるらしい。C判定とは彼にしてはそこそこいいものだな、と内心失礼なことを思ってしまった。友達になんてことを。

「…ちなみにどこ受けるの?」
「K大の医学部」
「い…?」

医学部!?な、何故!?というか現時点でK大医学部志望C判定…!今はまだ11月だし、…いやいや!ええ!?

「ど、どうして医学部に?」
「え?いやー俺長男やし、実家が病院でな?まあ継ぎたくないんやったらええ言われてんねんけど、興味ないわけちゃうし、頑張ってみよう思て」
「病院?病院ってあの病院?」
「他になんの病院?あ、もしかして美容、」

すごいな…!すごい人を友達に持ってしまったんじゃなかろうか…!「ちなみに白石んとこはー」とぺらぺら喋りまくる忍足くんの声は最早聞こえない。ナメてた。完全に。白石くんは勉強も出来る人だと聞いたことはあったけど、まさか忍足くんまで。脳みそつるつるだと思ってたけど…ごめん、忍足くん。

「ちなみに苦手科目は?」
「世界史」
「得意なのは」
「英語と数学」
「ふむ、なるほど」
「?」

いつか言えたら、言える日が来るといいなと思ってたんだ。まさかこんなに早く夢が現実になろうとは。

「忍足くん、わたしが勉強を教えてあげよう」
「え!?マジで!?」

わたしの唯一の取り柄である勉強。今までの努力が、積み重ねてきた知識の数が、友達の役に立つなら本望だ。


というわけで放課後、勉強会を開くことになり、図書室に来たのはいいものの。

「…何故白石くんと住谷さんまで」
「俺は単に暇やったから」
「あたしは勉強がこれっぽっちも出来へんからー」
「はあ、じゃあ始めます」
「全く動じてないな」

どさどさっと図書室内からかき集めて来た資料を机に置く。忍足くんは多分元々頭が良い。回転も速そうだし、絶対頑張れば医学部だって受かるはずだ。

「数学、は得意なんだよね」
「おう。あと英語も割と分かる」
「じゃああとは…化学、生物、物理あたり?」
「せやねん!そこらへんも危うい!」
「あと世界史が苦手って言ってたけど、あれはもう暗記するしかないよ。ただひたすら書いて読んで覚える。それだけ」
「冷た!お前冷たいな!」
「本当のことだよ。じゃあ化学からやろう」

渋々化学のノートと教科書を開く忍足くん。ノート汚いなあ、と思って見ていると、白石くんが「俺化学なら名字さんより出来ると思うで」といきなり挑戦状を叩きつけられた。わたしより出来る?そんなことあるわけないだろう、だって学年で一番はわたしだもの。

「白石くん、この間の模試の化学の結果は」
「え?100点やけど」

完敗だった。なんだ100点って。全国模試の化学で100点って…!すごいなこの人。本当に顔よしスタイルよし頭よしなのか。忍足くんが目の敵にするのもちょっとわかる気がした。

「名字さーん、化学って何なん?」
「わたしに聞かれても…」
「なんか脳みそ疲れてきたわー」

住谷さんはまだ何もしてないじゃないか。と思いつつ、そっとわたしのノートを開いて彼女に見せた。忍足くんには白石くんが教えればいい。わたしは…このいかにもアホそうな人に教えられるだけの知識を教えよう。



「あー、疲れたー」
「相変わらずお前飲み込み早いなあ」
「え?そうか?普通ちゃうん?」
「いや、忍足くんは本当に飲み込み早いと思う」
「てことは住谷は悪いんや」
「あ、いや、…そういうわけでは、」
「うそやー!名字さん今間があった!あたしは騙されへんで!」
「ちゅーか住谷お前声でかい」

確かに、と心の中で同意しつつ、わたしは席を立った。

「飲み物買って来るよ。何がいい?」
「俺コーラ!」
「あたしミルクティーのホット!」
「わかった。白石くんは?」
「4つも両手で持てへんやろ。一緒に行く」
「え、い、いいよ。持てるし」
「ええから。ほなちょお行って来るわ」
「なっ、し、白石が行くなら俺も行く!」
「ええ!?け、謙也が行くならあたしも、」

それじゃあ埒が明かないでしょう、と思い溜息をつくと、白石くんがわたしの思っていたことをまるまるそのまま口にした。二人は大人しくなって、良い子にして待っていることを白石くんと約束した。

「白石くんってさ」
「ん?」
「お母さんっぽいよね」
「俺が?…あー、まあ上も下も女やからなあ」
「…三人きょうだい?」
「おう。姉ちゃんと妹」
「へえー」
「名字さんは一人っ子?」
「うん」
「それにしては辛抱強いな」
「そうかな。まあお母さんがあんなだしね」
「ははっ、賑やかでええやん」
「まあね」

忍足くんも相当変な人だけど、白石くんもなかなか変わってる人だと思う。こうして廊下で並んで歩いていて思うけど、女の子の視線は白石くんがいるだけで勝手に集まって来る。その代わりわたしにはビシビシと痛いほど視線の見えない光線が当たってるけどね。

購買の近くの自販機は種類が豊富で割とよく利用する。勉強で疲れた脳を癒すにはやはり糖分。糖分が大切だよねー。

「…名字さん、そんなん好きなん?」
「え、うん、美味しいよ、ドローリチョコレート」
「それ何?ほんまに飲み物?呷ったらちゃんと流れてくるん?」
「当り前でしょう」
「…(いつまでもあるから誰かが買うてんのやと思てたけど、まさかこの子やったとは)」

ガコン、とまずは自分の分を買い、続いて住谷さんのミルクティーを買う。

「白石くんは何飲むの?」
「せやなー、炭酸は糖分すごいし、かといってカフェインもなー」
「?」
「せや!ビタミンCや!これにしたろ」

そう言って、ほっとレモンを買った。色々気にし過ぎだろう、と思いつつも、白石くんは自らの選択に満足しているみたいだ。
最後に忍足くんのコーラを買って、お釣りを財布に戻した。

「ん、名字さん。ちょっと寄りたいとこあんねんけど、ええ?」
「?、うん」

白石くんに言われてだめだなんて言う子いないよ、と大人しく彼の半歩後ろを着いて行く。出来れば住谷さんのミルクティーが冷めてしまわない程度の所がいいのだけど、どうやら靴に履き替えて外へ出るみたいだ。

「ごめんな、寒いのに」
「いや、いいけど…どこ行くの?」
「テニス部。ちょっと覗きに」

彼は少しだけ懐かしそうに目を細めて笑った。テニス部かあ。そう言えば白石くんはテニス部の部長だったんだっけ。この顔で頭もよくてスポーツも出来てまとめ上手…神様って不公平だなあ。

「お、ちゃんとやっとるやっとる」
「今の部長さんは誰?」
「えーと…ああ、あれや。あそこで寒そうに肩すくめて立っとる奴」
「…なんていうか、自由な部長さんだね」
「ああ見えて実力は俺のお墨付きやねんで。ちょっと性格に難有りやけどな」
「そ、そうなんだ…」

難有りって、わたしみたいな感じだろうか。見たところ面白くもなんともないといった表情だ。

少しだけ部活の様子を見て、白石くんは「戻ろか」と言いながらほっとレモンのフタを開けた。わたしも真似して、ドローリチョコレートのプルタブを開けた。


図書室に戻ると二人は机に顔をぺたりとくっつけて寝ていた。どうしてこうも集中力がないんだ、この人達は。

「二人とも、ジュース買って来たよ」
「おいコラ謙也、せっかく名字さんが買って来てくれたんになんで寝てんねんお前」

むにゃむにゃと二人は起き上がって、忍足くんは盛大に欠伸をする。住谷さんはまだ眠いみたいで、再びうつらうつらと船をこぎ出した。

「住谷さん、ミルクティーここに置いとくね」
「うーん」

さっきまで眠そうな顔をしていた忍足くんはというと、既にコーラをごくごく飲んでいる。どんだけ寝起きいいんだ、と思いつつも、美味しそうに飲む彼の姿を見て、なんだか少し嬉しくなった。

「名字のそれは何?チョコレート?」
「ああ、これは、」

わたしのジュースのラベルを見て、うげ、とあからさまに嫌そうな顔をする。これを好んで買って来たわたしの前でよくそんな顔出来るなあ。つくづくデリカシーに欠けた人である。

「名字さん、それ一口ちょうだい」
「え?うん、いいよ。はい」
「ん」

欲しいと手を伸ばす白石くんに、そっと缶を渡すと、「ちょお待てちょお待て!」と忍足くんが缶を横取りした。

「おっ、俺も一口欲しい!飲みたい!」
「別にいいけど、さっき嫌そうな顔してなかった?」
「してない!俺も飲みたいと思てたとこや!」
「まあ飲んでもいいよ。美味しいよ」

「名字さん、結構鈍いなあ」
「…?、何が」
「いや、なんでも?俺謙也のあとは飲みたないからええわ」
「何だそれ。忍足くんは菌でも持ってるの」

ぐいーっと思い切り呷る忍足くんは、ごくりと一口飲み終わってすぐ、「げほお!うっ、うえっ、けほ、あ、甘あ!」とわたしにそれを返却した。自分で欲しいって言った癖に、なんなんだ全く。

「忍足くん、うるさい。図書室では静かに」
「お、おお、すまん」
「あーあ、名字さん不機嫌になってしもたで謙也」
「え、ええ?なんで?すまん、ごめん、とりあえず謝ったるわ」
「なんで上から目線やねん」

自分を偽らなくたって、この人達はわたしをあーだこーだと推測で物を言わない。居心地なんか、良くって悪くたって構わなかった。

受け入れてくれる人が、3人もいるなんて。神様も言う程不公平ではないのかもしれない。